以前 三国志英雄への敬称、どうする?
って記事を書きましたが
孔明先生の文霊に触れて
三国志の時代は
敵でも字で呼ぶのが常識
なのでは?と思わずにはいられない
今日この頃。
特に注目したいのは
曹操殿によって
父親の馬騰殿を始めとする
大切な家族を失った
孟起殿でさえも
亡くなる間際に
「馬岱を宜しくお願いします」と
訴えながらも
曹操殿を「孟徳」と字で呼んでいること。
あんな目にあったら
思いっきり名を呼びそうなものですが
最後まで毅然とした態度を見せる
その辺も錦馬超なのかも♪

もしかしたら陳寿が意図的に
孟起殿のセリフを改ざんしたのかとさえ思いましたが
孟起殿(もしかしたら)曰(かもしれない)

誰かさんと違って育ちがいいもので……。
孟起殿がチラッと視線を向けた先には↓


さぁ、誰でしょう。
こうして

やっぱり

二人揃えば三国演義の世界へ♪

葭萌関の戦いが始まるのでした。
……という時空游びはともかく^^;
基本は字。
舌戦群儒では私の個人的な都合上
虞翻さんを始めとする呉の参謀お歴々は
姓名で表記していますが
孔明先生は一貫して「字」で
呉の方々を呼んでいます。
一方の呉の参謀は
だんだん血圧が上がって
感情的になっているせいか
最初は孔明先生、とか
臥龍先生と呼んでいたのですが……
明日更新予定の
諸葛武侯伝
ではその辺も気に留めながら
ご覧いただければと思っとりまする。
特に好きな三国志英雄は
字で呼んでいる玄子でした!