●人柄で読み解く三顧の礼 | 【諸葛孔明先生】って知ってる?

【諸葛孔明先生】って知ってる?

孔明先生一筋34年★【武侯墓公認】孔明先生の回し者・玄子(げんし)が「古代漢字✖︎剪字」で現代に甦らせる!孔明先生の文魂(あやだま)

諸葛孔明先生の熱い人生を紐解きながら

三国志英雄たちの魅力も伝えたい

浪漫派三国志諸葛武侯伝真っ最中@玄子です。

三顧の礼だけでちょっと長過ぎって流れですが

三国志を好きな人は三顧の礼ってどんなものなのか

既に今後の展開をもご存じなので

当ブログでは三顧の礼を通して

孔明先生や玄徳殿の魅力をゆっくりまったりじんわりと

お伝えしていくことを趣旨としています


もどかしい位ひっぱるなぁって思われるかも、ですが

予めご理解くださいまし~。

また三国志初心者の方にも三顧の礼時点での

三国志の状況が解るよう三顧の礼を通じて

紹介しています
ので

気長にお楽しみくださいませ~。

*:..。o○☆゚・ここから先はおまけ:,。*:..。o○☆

ちなみに、

今、諸葛武侯伝の

舞台となっているのがこちら

孔明先生の文霊(あやだま)活用術~【三度のメシより三国志世代】が浪漫と情熱を武器に人生を楽しむ次のステップ~

襄陽・古隆中。

私が訪れた時、1999年9月は

襄樊(じょうはん)でしたが

2010年に突如、襄陽市に

名義変更されました。

理由は一説によると孔明先生&三顧の礼!?

中国では孔明先生が晴耕雨読生活をし

玄徳殿に三顧の礼を受けたとされる

『隆中』は南陽か襄樊かで

長い間、中原に覇を唱えるべく争っていたとか。

何でそこまで争うのかといえば

孔明先生が後世でも、すっごく慕われているからビックリマーク

なのですが、だからこそ

『隆中』を制する者は観光地を制する

という挟天子以令諸侯
(帝を擁して諸侯に号令するBy曹操閣下)

並みの隆中争奪戦が繰り広げられていたのです。

で、襄樊市は襄陽市に名義変更したことで

南陽市よりも一歩リードしたとか。

※名義変更理由には諸説あります


孔明先生の文霊(あやだま)活用術~【三度のメシより三国志世代】が浪漫と情熱を武器に人生を楽しむ次のステップ~



そんなこんなで

1800年後に争奪戦になるとは

思いも寄らないほどの

人里離れた静かな隆中の庵に

雪が降り注ぐ中

玄徳殿、関羽殿、張飛殿が

孔明先生を訪ねてやってきました。

ってところで次回は二度目の訪問から☆

急かさずに気長にお待ちあれ~♪

玄子