営業の始め方(その2) | 元営業マンの古賀芳郎が語るお仕事とOFFのヒント



おはようございます!
歴史好き営業コンサルタントの古賀芳郎です。






今年の初詣は小梅村(と言っても、今は東京都
墨田区向島3丁目です)の“三囲(みめぐり)
神社”にしました。




何度も行っていて年末に初めて気がついた
“超パワースポット”の“三柱(みはしら)
鳥居”を拝んで来ました。



昨秋にお話しましたように、ここは三井グループ
の総鎮守のようなお稲荷さんです。





本殿脇の由緒書によれば、京都の豪商三井家が
江戸に進出したのは、享保元年(1716年)の頃
のようで、NHKの朝ドラ『あさが来た』で



あさの父三井家第6代当主の三井高益が五代友厚
に言われて東京へ移る事になったと云うのは、
本店を東京へ移転させるの意味である
ことが分かります。





これを知るまで私は三井家が東京進出したのは、
明治の頃かと思っていましたが、
勘違いでした。



“三囲神社”の話の中で、江戸へ進出した三井家が
当初商売が上手く行かなかったので、当主三井高治
が三井の家紋に近い“三囲”の神社へお参り
することを思い立ち、、、


そうしたところ商売がとてもうまくゆくよう
になったことから江戸中で評判と
なったとあります。




当初は本業の内、“呉服商”の方で進出したものと
思います(三越呉服店)が、明治になってからは、


銀行業務を含む一大コンツェルンとして大躍進
したのですから、“三囲神社”のご利益は
相当あるのだろうと思います。




それにしても享保年間より300年もの間
この“お稲荷さん”を信奉し続けた三井家
の歴史には脱帽ですね。



それで“超パワースポット”の“三柱鳥居”
ですが、もともと三井家の屋敷にあったもの
を移築したもののようです。



もとの原型は京都太秦の木島神社にあった
ものとWikipediaにあります。




境内には“三”が溢れてますね。。。



“三囲神社”
   ⇓
“三柱鳥居”
   ⇓
“三つ穴灯篭”
   ⇓
“三井家・三越”





ここの旧名“西葛飾郡小梅村”は、私の好きな作家
佐伯泰英の時代物小説“居眠り磐根 江戸双紙”


の主人公坂崎磐根の直心影流坂崎道場がある
場所で、丁度三囲神社の近所になります。





まぁ、そんなこともあり、三井グループと密接
な“パワースポット”と“居眠り磐根”を
楽しみながらお参りしています。









では、営業のお話をいたしましょう。







前回、“営業の始め方”と題してお話しました。


“営業”と“販売”の意味が少し違うこと
を云いましたが、“売る”と云う点では
結果は同じです。




しかし、これはカタカナに直すと“ビジネス”と
“セールス”になるのでしょうか。



“ビジネス”は“仕事”とか“役割”的な意味も
あるかと思いますが、“セールス”となると
“売る”と言う意味が強いですね。




私のいた業界で、外資系のエッソとかシェルは
私のような“営業マン”を単に“セールスマン”
と言っていました。




事務をやる人は“クラーク”ですね。




英語はずい分はっきりと職種を峻別しますね。






日本語は“おい!少しは営業に行って来いよ!”
とか言うと、これは“セールスして来い!”


ですが、“わが社は今年○○地区への営業を
伸ばさねばならない。”となると、これは
“事業展開”・“ビジネス”の意味が強く
なります。




ですから、日本語の“営業マン”はやはり
英語の“セールスマン”よりは、“ビジネ
スマン”に近いニュアンスだと思います。




以前私は“営業マン”は“経営者”を含む
とお話しましたが、大体そんな意味合い
なんですね。





そんなことどうでもいいじゃないかと言われる
向きもあるかと思いますが、マインドの
問題としては重要です。





私は社会人になった時、先輩社員から“経営者”
になったつもりで仕事に取組めと言われ、
とても励みになったことを今でも
覚えています。




セールスマンは販売に追われて、ノルマに攻め
られて、心身をすり減らします。




“営業を始める”に当たって、自分はセールスマン
だけれども“ビジネスマン”なんだと言う
マインドセットを大事にしてください。





現場で能力を発揮することと、全体・将来を見据えた
目を持つことも大事にしないと気がついたら
違う場所へ出ていたという事にも
なりかねません。







ちょっと話がズレますが、、、




昔かの上司から、、、


“古賀ぁ~!昔の商店の丁稚云うたら、今の会社の
ポジションではなんやと思う~?平社員か、係長か、
課長代理か、課長か、ひょっとしたら部長か?”



と唐突に聞かれて、“そりゃ~、平社員でしょ!”
と反射的に答えました。




“そやろ~、そない思うやろ!”


“ところがなぁ~、正解は課長や!つまり、
わしら丁稚やねん。”


“そやから、お前ら、小僧か見習いや!”


“手代は支店長・部長クラスで、番頭は社長や!”



“ええ~っ!社長は旦那じゃないんですか?”



“旦さんはオーナーか大株主・資本家や!”




と言われたことを思い出しました。






昔の商家の町人は番頭クラスになって
初めて嫁が取れると言われてまして、
手代クラスまでは皆独身だったようです。



それで、江戸の人情ものは手代クラスの
色恋沙汰が多かったのではないかと
思います。



まだ資格がないのに、お嬢様や女中に手を
出すと厳しい仕置きが待っていたようです。





話が大きくズレてしまいました・笑。






仕事は夢を持って、やらされるのではなく、
先の目標に向かって達成して行く
感覚を早くから持てれば、


そんなマインドセットでいれば、“ビジネス
マン”に近づくのではない
でしょうか。




“営業の始め方”はテクニックではなくて、
心の問題―マインドセットをきっちり持つ
ことが大事と云うことです。





さあ、レッツ営業!





本日はここまで!