60周年マタンゴ・・・・・・。 | zojurasのブログ

 

今年は東宝一の怪奇ホラー映画の『マタンゴ』公開から60年目です。

『ゴジラ-1.0』が絶望がどうたら、などと云われていますが、正直、あんなのより、60年前のこの映画の恐怖感と絶望感の前には霞んでしまう・・・・・すらと断言出来ます。

 

とある医学センターに一人の男、村井が居ました。村井が語る体験談とは、世にもおぞましいものでした。村井達7人の若き男女はヨットに乗って、大海原の旅に出ていたのですが、嵐に遭遇してヨットは遭難し、とある地図にも載っていない無人島に辿り着いたのでした。

 

しかし、そこには既に難破していた船があり、その航海日誌によると、食糧難になった事から島にある新種のキノコを口にした途端、乗組員が・・・・・・というものなのでした。果たして、その乗組員のなれの果てなのか、怪しげな怪人が出てきて、7人を脅かし始めました。

だが、ここは孤立無援の無人島、食糧が尽き、やがて食い物と異性を巡って、7人はエゴ剥き出しの醜い争いを起こしてしまいます。そうした一行を嘲嗤うように、キノコの化け物達が姿を見せ始めました。そして強烈な飢餓によって一行は既に肉体も精神も限界を迎え、一人、また一人、禁断のキノコを口にしていきました。その結果、彼等は次々と醜いキノコの怪物と化していきました。

 

もはや、狂乱の宴と化してキノコを貪り、キノコとなっていく6人を置いて、村井のみ生還しますが、島の体験を話しても、医者からも相手にされず、精神病院に閉じ込められてしまいました。そして、その村井自身も・・・・・・・・。

 

そうした身の毛のよだつ、極限状態の人間の心理をえぐく描写していて、このおぞましさが醜いキノコの怪物と化していく・・・・・という生理に訴える怪奇モノでした。-1.0を手放しで褒めちぎっている人は、絶対、この映画の事を知らないと断言してしまいそうな程のものでした。

設定ではこの映画に登場するキノコは、ゴジラのように水爆実験によって変異して生まれたものです。そうして人類に汚された自然が、汚し続ける人類に復讐するように、キノコによって人類が・・・・・・というものでは、終末SFモノ要素もあったりで、恐怖度でも絶望度でもこの映画の方が上だったと思えます(あまり特撮シーンは無いけれど)。

そんなマタンゴですが、ゴジラなどの怪獣ものと比べても、あまりにグロテスクな内容故なのか、バンダイでも殆ど立体化されておらず、エクスプラスなどのメーカーによって少々・・・・・・という具合に、ガレージキット以外には出ていません。

 

そういう具合に、いつかのガバラのように、キングシーサーを素体にして、パテを盛ってマタンゴっぽくしてみました。

 

とはいえ、ゴジラに追っかけられるのと、マタンゴになっちゃうのとどちらが恐ろしいか?皆様もちょっと想像してみて下さい・・・・・・・。。

第三の生物マタンゴ

身長:10cm(キノコサイズ)~2m(キノコ人サイズ) 体重:50g~300kg

核実験によって変異したキノコの一種で、とある無人島のみに根付くが、その島にはこのキノコ以外には植生は無く、僅かにウミガメが産卵に上陸する程度という乏しい生態系故に、キノコのみが繁茂し、他の生物を排除、更に人間を媒体にして巨大キノコとなる恐ろしい性質を持つ。

キノコ自体は非常に美味であるが、強力な麻薬の作用もあり、幻覚と精神の高揚だけではなく、堕落と破壊をもたらし、只ひたすらにキノコの虜として人間を意のままにする。

キノコだけに光や熱、炎には弱いが、貧弱な生態系を逆手に採り、人類を誘惑させ、破滅させていくかのような生態は、あたかも狂った人間の精神を媒体にしているかのようであり、一度キノコを口にすると、その人間はもはやそのキノコ以外には口に出来ず、徐々にキノコ人間となってゆき、最後には巨大キノコとなって、人としての自我も心も失われていく事になる。

直接口にしなくても、キノコ特有の胞子によって人を媒体としていく部分も示唆されており、核実験で自らを破滅させるような事をする人類に対する自然界の復讐とも解釈出来そうな程の異様さを持っている。