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30万人もの市民らを虐殺したとされる1937年の南京での戦争の真相(概要)

1)私が把握した南京大虐殺について概要を説明します。陥落時に日本軍と一緒に入城した150名もの記者達は虐殺を見たと言っていません。記者も証言していますが、アウシュビッツのような処刑場があったわけではありません。そして市民は欧米人が運営していた安全区の中です。

2)記者達に見つからずに大虐殺は不可能です。安全区の外に市民はほとんどいません。なのに後世の人は大虐殺があったと言います。真相は、現場で記者達が目撃した話の中にあります。彼らは、「捕虜の処刑は見たが、それは戦闘の延長だ」と言っています。

陥落時点で20万人とされた安全区の人口は1ヶ月後の1938年1月14日には25万人に増えている。この増加分は城外からの帰還ではなく、城内の安全区外の各家屋に隠れていた住民が安全区に移ったのではないかと思われる。日本兵が物資徴発に家屋に入った際に「奥に人がいた」との記録もある。掠奪から家財を守るために残っていたらしい。


3)事実、昭和60年頃に南京戦に参加した兵士らが振り返った「証言による『南京戦史』」では、数千の捕虜(または敗残兵)の処断について行き過ぎがあったと反省の弁を述べています。しかし、市民の虐殺は断じて無かったとも言っています。

4)埋葬を担当した紅卍字会の記録では、城内で回収した遺体が2,800、城外で約4万。うち、女子供の比率は0.4%です。この数字からも市民の虐殺はなかったと言えると思います。すると、捕虜または敗残兵の処断が適法であったか否かが主な争点になります。

特務機関員として中国人遺体の埋葬事業を担当した丸山進氏によると、市民経済を潤すため紅卍字会の埋葬実績の水増し計上を黙認したが、その水増し分を差し引くと、埋葬実数は2万962体とのこと。


5)東京裁判の判決を見ると、松井司令はA級ではなくB級戦犯です。細かく見ると訴因54は無罪なので、虐殺の実行、命令、許可をしたとは判定されていません。有罪は訴因55のみで、判決文には「市民の保護を怠った」と書かれているだけです。従って、処断は合法です。

6)では市民の犠牲はというと、南京事件の最初期の公式記録である『南京安全地帯の記録』は、燕京大学の徐淑希教授が1939年5月頃に国際委員会の抗議文書を集めて編集したものですが、これによれば、殺人26件(犠牲者53人)、強姦175件、掠奪131件、傷害39件など合計517件。

7)また、犠牲者の氏名が判明している殺人事件は7件で犠牲者数は8人です。そして、「120件位は確実に処断した」(陸軍省法務官・塚本浩次)、「日本兵の犯罪は…悉く軍法会議に付せられた」(第十軍司令部第三課長・谷田勇)という証言もあるので、大半はその場で処罰が済んでいます。

東京裁判における塚本浩次(事件当時陸軍省法務官)の証言:
「罪種は主として略奪・強姦であり、傷害・窃盗は少なく、それに起因する致死は極めて少なかったと記憶して居ります。殺人も2、3件あったと思います。但し放火犯を処断した記憶はありません。又集団的虐殺犯を取り扱ったこともありません。」

8)さらに、安全区に潜伏してた郭岐なる中国側将校は強姦を匂わすようなことを自分で書いていたり、呉堯邦なる中国兵は日本軍通訳を装って暴行事件(強姦?)を繰り返し、日本軍憲兵隊に捕まったりしているので、強姦事件の類いも全てが日本兵の犯行ではありません。

9)すると、約10万の兵力の2つの正規軍が首都を巡って戦った戦争としては市民の犠牲者は実はむしろ少なく、中国側に戦死3万、敗残兵処断2万弱、捕虜1万くらいの損失が出た戦争、というのが南京攻防戦の実相ではないかと思います。

戦闘中に挹江門を経て揚子江岸から対岸へ逃れようとした中国兵の一群があり、これを日本軍が挟撃したために数千の遺体が残された。この中に、軍とともに逃げようとした市民が紛れていた可能性がある。そのような市民の巻き添えはあった。


10)大虐殺あった派は猟奇殺人事件的な描写の記事を並べますが、それらの犠牲者数を加算したとしても上述の数字が変わるほどの数字にはなりません。そしてまとまった数字の市民の処刑証言(中国人による証言)には、対応する日本兵や記者の証言が見当たりません。

11)欧米メディアの記者たちが陥落2日後に南京を出立する時に、ベイツという米国人歴史学者(安全区の運営メンバーでもあった)が日本軍の悪逆非道を記述したレポートを記者たちに渡したのですが、これが大虐殺の元ネタのようです。このベイツは中華民国政府の「顧問」と指摘されています。

12)陥落翌日から、安全区に潜伏した敗残兵(軍服を脱いで平服を着ている)の摘出と処断を開始していますので、ベイツはこれを目撃したはずです。ベイツレポートには犠牲者数の記述はありませんが、これを下敷きにしたティンパーリ著『戦争とは何か』に「非武装の者4万人が殺害され、うち3割は兵士ではない。」と記述されています。

13)ちなみに上河鎮という地区の戦闘で、日本軍が敵の戦死数を数えたら2,377人、これが国民政府の記録では犠牲者数2,873人ですから、まぁだいたい合っています。ところが、中国共産党の記録になるとこれが28,730人となり、国民政府の記録の10倍になっています。

14)ということで、実際の戦死者数約3万をテキトーに10倍したあたりの数字で「30万虐殺」というのが中国共産党が政治的に設定した数字なんじゃないかと思っています。従って、証拠なんていくら探しても出てこないと思います。

東京裁判に臨んで、原爆犠牲者数より多い数字にしたという説もある。

ある方からの指摘:
支那人にとって数字は形容詞です。「三」は「たくさん」を意味します。たとえば「白髪三千丈」などと使います。ですから、彼らにとっては3千人でも3万人でも30万人でも意味は同じです。国際的な政治宣伝として30万人を使用しているだけ。


細かい情報は省いていますが、概要は以上の通りです。