学校に行くと幻聴や幻視が現れるという長男。
精神科で弱い抗うつ剤を処方されるも効果なく、長男は部屋に引きこもるようになりました。
精神科の医師にもう少し強い抗うつ剤の処方を希望すると、傾眠などの副作用があり学校生活に支障があると言われました。
「副作用のことは学校に相談します。通常の抗うつ剤を出してください。」
私は一日も早く長男の鬱病を治すことで頭が一杯でした。
長男の鬱症状のことを担任、学年主任、教頭らに包み隠さず説明して、理解と協力を求めました。
「学校としてもできる限りのことは致します。」
高校サイドからあたたかい言葉をもらったものの同時に厳しい現実も突き付けられました。
それは登校と授業への出席についてでした。
学業の面で皆についていけなくても追試やレポートでゲタを履かせて何とかすることはできるが、授業だけは出席してもらわないと困るというものでした。
高校は学力よりも出席重視なのです。
小中学校のように保健室登校すれば何とかするというのが高校にはありません。
科目ごと年間授業時間の三分の一以上を欠席すれば単位はもらえません。
副作用で授業中寝ててもいいから何とか授業に出席することが最低要件でした。
このため長男には
「薬を少し強いものに変える。副作用で眠くなるが、学校の先生は承知している。」
「とにかく登校して授業に出ればいいから、何とか頑張ってほしい。」
と伝えました。
長男は死んだような目をして「わかった」とだけ返答しました。
鬱病で大切なのは休養と言われています。
本来なら3カ月ほど休学させて、体調がよくなったら復学するのがベストですが、そうすると留年はほぼ確定です。
当時、長男はとにかく学校に行きたくない。学校を辞めたいということに取り付かれていたので、休学はそのまま退学の方向になるため、何とか薬を飲みながら通学する
ことを私は選択したのです。
妻は
「真っ暗な顔してゾンビのような歩き方で登校する長男の姿は見るに堪えない。」
「単位未取得で留年でも仕方ないよ」
という意見でした。
私も内心、
「長男は今いる高校は辞めさせて、通信制高校にでも行かせるしかない。」
と考えはじめていた矢先でした。
「もう頑張れないよ・・・。」
長男は涙声で妻にそう言うと部屋に閉じ籠り、しばらくするとドスン、バタンと激しい音をたてながら刃物で部屋のあちこちを傷つけたといいます。
会社から帰宅して長男の部屋に入った私は壁はもちろんのこと部屋に置いてあるチェストが見るも無残にメタメタに切りつけられたのを目の当たりにしました。
長男の強い不登校の意志の表れが暴力となって発露したのでした。
当時、小学校5年生だった次男は不安そうな表情を浮かべながら
「パパが会社に行っている時、凄かったんだ。ちょっと怖かったんだよ。」
と言い寄ってきました。
ひどく傷つけられた長男の部屋を見た私はその時、決心しました。
「とにかく、高校を中退させてはいけない。」
「高校を辞めるのは簡単だが、暴力や引きこもりに屈して態度を変えてはダメだ。」
長男と私たち家族の不登校をめぐる試練がはじまりました。
長男の不登校の根っこにあった原因が発達障害でしたが、当時そんな余裕はなく、ある日突然不登校になり、家庭内暴力がはじまるという展開に翻弄されるだけでした。
今、思い返しても辛い日々でした。