現在、大学4年生の長男の先行きをめぐって妻と衝突しています。

 

長男は他人と上手くコミュニケーションを築くことができません。

その原因は発達障害もしくは社会不安障害というもののようですが、先天的な性質なので矯正したり治したりすることはできないと言われています。

 

もちろん知的障害は皆無ですし、他人の気持ちを推し量る能力は人一倍あります。

高校まではソコソコのレベルの進学校に行っていました。

典型的な発達障害に見られるようなその場にふさわしくない言動や行動、無神経な発言をするようなことはありません。

 

ただ、他人から話しかけられても朴訥とした対応、視線を合わせない素っ気ない返事などで孤立しがちです。

幼いころからいつもポツンとしていて、村八分にでもされているのかと思っていたのですが、高校生になってようやく知的障害のないASDと注意欠陥が混在する発達障害傾向が見られると分かりました。

 

長男は人間嫌いな訳ではありません。

むしろ友達やガールフレンドが欲しいの方なのだと思います。

 

だけど、他人とどう接していいかわからず、怖さも手伝って自閉的な行動に出てしまうのではないかと考えています。

 

そんな長男も大学4年となり、就活せざるを得ません。

発達障害云々の話はいっさいせず、フツーに企業に応募していますがネット上の面接段階ではねられまくっています。

ただし、応募数を本人に尋ねたところ10社に満たないという回答。

 

それは問題だと本人にあまり応募厳選しないで、業界問わず(やりたくない業界は外して)手広くやったらどうかとアドバイスをした矢先、妻から

 

「応募なんてほとんどやっていないと思う。パソコン閉じて、部屋でゴロゴロしているよ」

 

という話を聞きました。

 

「それは問題だ。 長男のそんな様子を見たら、少し注意してほしい。」

 

と妻に言ったところ

 

「あたしは(長男を)もっと自由にさせたらいいと思う。就活もその気になるまで待ってもいいのではないか。」

 

という返答。

これにはさすがに私はキレてしまい、

 

「長男がニートやフリーター、引きこもりみたいなことになっても構わないってことか?」

 

と言うと妻は

 

「そうなると決まったワケではない。」

「20歳も過ぎた子に干渉し過ぎだ。」

「その気になるまで待たないと、何をやってもダメになる。」

 

等々の反論。

自分の子を信じて、もっと大らかな目で見てやらないと可哀想だというのが妻の主張なのです。

 

そんな大甘なこと言っていると、30代、40代になっても親にパラサイトして年金を食い潰す人間になるだけだと危機感を主張する私。

 

互いに主張は平行線。

 

父親が長男が何かしらの職に就くことに気を揉む一方で、母親は「そんなのそれほど大事じゃない」という正反対の対応なのです。

しまいには妻から

 

「あなたは世間体を気にしているだけ。大学出た長男が職にも就かずブラブラしていたら世間体が悪いからだ。」

 

というトンチンカンなことを返されてブチ切れてしまいました。

世間体を気にしていたら、大学名を出すのも憚られるような大学に長男を行かせることなどありません。

 

まぁ、売り言葉に買い言葉の部分もあるのですが、自分の子どもがいい年齢になっても自立しなくていいという発想を受け入れることは私にはできません。

 

とはいえ、長男は大学卒業したら家から出て、自活させた方が本人の将来につながるという点では妻も私も一致したため衝突は一応おさまりました。

 

 

どうやら妻は本気で長男がニートやフリーターになってもいいと思っている訳ではなく、

社会に出れば生きづらさを感じる長男に実家ぐらいは暖かく、理解ある姿勢で受け入れてあげたいという母心から出た気持ちのようでした。

 

とかく父親は息子に厳しく、母親は息子に甘いという傾向も手伝っているのかも知れません。

 

夫婦で長男の行末をめぐって衝突しても当の本人がどこ吹く風では意味がありません。

 

正直、長男にはやはり普通の就活は厳しく、発達障害等を考慮した形の就労支援的な要素がある就職を探すべきではないかと考え始めています。

通常の就活が最終的に区切りがつく夏の終わりまで長男のことは注視して、本人の自主性を重んじ結果が出なければ次のステップにシフトするつもりでいます。

 

 

 

他人とのコミュニケーションに難がある人はスマホをはじめとするIT機器の普及とともに拡大しているとも言われています。

 

生身の人間と対面してやり取りするというのは存外、面倒臭くてストレスなものです。

そうゆう煩わしいことからスマホを端末にしたネット世界は開放してくれます。

 

その分、本来人間なら誰もが持っているコミュニケーション能力が失われ、旧来型の人間社会に馴染まなくなっています。

 

長男がコミュニケーションに難がある原因を何でも発達障害だとか〇〇障害だという専門家が多いですが、障害だから治せない、順応する仕事を選べではなく、退化してしまったコミュニケーション能力を取り戻す取り組みも必要な気がしてなりません。

 

今後も長男のようなタイプの人が社会に順応できずに生きづらさを抱える事例が続出するのではないか危惧しています。