子どもの頃(幼稚園~小学校)、私たちの世代は何故か学校で大便をすることを忌み嫌いました。

 

小便は問題ありません。

大きいのを学校のトイレでするのは理由は不明ながら憚られたのです。

 

幼稚園(年長)では我慢できずにコソっと大便をした子が、これまたブツを流さずそのままにして置くため(なぜでしょう? 今もって謎)

 

「うんこ発見! うんこ発見!」💩💩

 

と騒ぎになり、流さずにドンと置かれたソレをわざわざ大勢で見に行くという奇妙な行動があったことを覚えています。

 

精神科医のフロイトによると幼児は肛門期と称する時期で、排泄物とくに大便に異常な興味を抱くというリビドー理論を用いてこの奇行を説明しています。

 

4~6歳の子どもがウンチ関係の話を喜ぶのはフロイトのいうリビドー理論が本当に影響しているのかも知れません。

 

 

小学校に上がると流石にうんち💩ではしゃぐことはグっと減りますが、それでも何故か学校のトイレで大便をすることをタブー視する慣習はありました。

 

小学校4年生の時、宮坂君というクラスメイトの男子はお腹が弱いらしく、便意を頻繁にもよおし、よく授業中にコソッと放屁(俗にいうスカシっ屁)するため、彼の真後ろの席にいた私はしばしば強烈な臭いを嗅がされて困惑していました。

 

ある日の午後最後の授業時間中、宮坂君の顔色が真っ青になっていました。

どうしたのかと尋ねると、お腹が痛くて強い便意をもよおしているとのこと。

 

「トイレ行きなよ。先生にコソッと言ってさあ・・・」

便意を我慢してはいけない

 

私はそう説得するも宮坂君は大便を我慢するといいます。

 

真後の席にいた私は宮坂君が我慢できずに粗相をしてしまったらオナラの被害どころの話ではありません。

 

彼の様子が気が気でなく、授業どころではありませんでした。

 

結局、宮坂君はその日の午後の最後の授業を乗り切りました。

しかし、強烈な便意が彼を襲っていたのか下校時はおしりを手で押さえてヘロヘロ歩きになっていました。

 

その様子があまりに滑稽で苦しむ宮坂君をよそに私は笑い転げていました。

 

とはいえ、彼の家は学校から結構距離がありました。

滑稽ながらも心配であったため家路まで一緒について行くと、彼は突然

「も、もうダメだ!」

と叫んで、歩道のど真ん中でサッとズボンをおろして用便してしまいました。

 

咄嗟の出来事に私は驚愕。「おいおい!」としか言えません。

 

幸い、通行人の年配女性が一部始終を見ていて、その場をうまく処理してくれました。

宮坂君は大声で泣いていました。

情けなく、恥ずかしく、恨めしく、悲しかったのでしょう。

 

 

時は流れ、通勤時に私は電車の中で強い便意をもよおしました。

朝食の食べ合わせが良くなかったのかも知れません。

 

途中下車して駅のトイレに駆け込みました。

 

ご存知の方も多いと思いますが、首都圏とくに東京の駅のトイレはお世辞にも清潔とは言い難いところです。

 

「駅のトイレは汚いからイヤだ!」

 

そんなことを言っている余裕などありませんでした。

ただ朝の駅のトイレは混んでいて、中で何をしているのかわからないほどトイレが空きません。

 

「1万円出したらトイレを空けてやるよ!」

 

そんなことを言われたら迷うことなく1万円を支払うほど追い詰められました。

この時、ふと小学校の時の宮坂君のことが脳裏に浮かびました。

「こんなにキツくて、苦しいのか!」

 

10分いや20分は待ったのでしょうか。(1時間に感じましたが・・・)

やっと駅のトイレが空いて、ギリギリのところで私の人間の尊厳は守られました。

 

ただ、この日以降、今度は私は深刻な便秘に見舞われるようになりました。

便秘というより、便意をあまり強く感じなくなったのです。

 

後日、医学書を読むと

"便意があるのに我慢することは極めて危険な事"

とあり、その理由として直腸性便秘という病になり、そこから直腸がんをはじめとする各種疾患の元凶になるからと記されていました。

 

令和の今は学校で大便をすることを面白がったり、忌み嫌ったりすることはなくなったかも知れませんが、とても大切な事だと思い書いてみました。

 

便意があるのに我慢してはいけません。