今なお日本人の死亡原因の第一位をしめるのが"がん"。

 

検査技術の目覚ましい発展により、ごく初期のがんや早期がんを発見できるようになり、初期や早期のがんなら完治できるようになりました。

しかし、基本的な治療方法は大昔と何ら変わっていません。

 

要するに全身にがん細胞が拡散する前にがん細胞に侵された患部を切除するというシンプルなものです。

ですから、自覚症状が出るような進行がんですと完治は難しく延命措置的な治療にならざるを得ません。

 

「がんはもはや怖くない!」

 

などとセンセーショナルなことを主張する研究医や学者もいますが、現実は

 

「初期・早期がんなら怖くない!」

 

です。

ですから常にがん検診を怠らず、身体の些細な変化も見逃さない取り組みが重要だということは周知のとおり。

逆説的にいえば、

 

「進行がんは怖いし、ヤバイ!」

 

ということに他なりません。

 

そんな現代医学でも画期的な治療法が出来ていない"がん"ですが、その歴史は意外にも大昔から知られています。

 

がんの存在が文献に出て来るのは何と紀元前30世紀ごろ(今から約5,000年前)の古代エジプト。

乳がんの存在でした。

女性の乳房に石のように硬いしこりが発生し、どんどん増殖してやせ細り、そして死に至る謎の病。

 

古代エジプト人はやむなく乳房にできた石のような硬い病変を焼いたり、薬を塗ったりしてみましたが効果はゼロ。

ただし、多くの人はがん以外の他の病で亡くなることが主流だったため、がんは人類の間ではマイナーな病でした。

 

時は遡って古代ギリシア。

紀元前400年ごろに出た医学の父といわれるヒポクラテスはやはり女性の乳房に発生する乳がんを研究し、乳がんの乳房における浸潤のありさまがカニが足を広げているような形だったところから、かに座を意味するキャンサー(cancer)と命名しました。

 

英語でがんのことをcancerと称する由来の通説はヒポクラテスとするものが多いです。

 

さらに時は遡って江戸時代の後期。

有吉佐和子の小説で有名になった華岡青洲が人類初の麻酔手術を行いますが、彼が麻酔手術をしようとした患者の疾患はやはり乳がんでした。

 

がんという言葉の由来は乳がんが石のように硬かったので『岩』と呼び、病だれの『癌』という漢字を宛てたという俗説があります。

 

つまり人類のがんとの歴史は長らく乳がんということになります。

乳がんの多くが硬がんという硬い悪性新生物だったためのようですが、医学史に詳しい方によると通説に過ぎないという指摘をする方も少なくありません。

 

古代エジプト~19世紀に至るまで、乳がんは腫瘍部分を切除して、周囲のリンパ節も取って転移を防ぐという基本的な外科療法の一択でした。

 

がん治療に新たな変化を生じさせたのは世界大戦。

 

第一次世界大戦で使用されたマスタードガス(イペリット、ナイトロジェンマスタード)を第二次世界大戦中に誤って大量に被曝して亡くなった兵士を解剖したところ、がん患部が著しく縮小したり無くなっていたことから生まれたのが抗がん剤です。

 

抗がん剤とか化学療法とかもっともらしい名前がついていますが、そのルーツをたどると毒ガス、毒物を投与したら゛がん組織が縮小したり消滅したことが起源です。

 

ですから医師によっては

 

「抗がん剤というけど、あれは基本的に毒物です。毒物を体内に入れれば中毒を引き起こすに決まっています。」

「副作用というような生易しいものではありません!」

 

という方がいます。

抗がん剤=毒物なのは間違いありません。

 

がん細胞も死滅しますが正常細胞も一緒に死滅させます。

がん細胞を除去する前に中毒になって倒れたりするのは至極当然なのです。

 

現在の医学で毒性の強い化学物質を流用するのはがん治療だけです。

 

戦前、深刻な病だった梅毒の特効薬としてエールリッヒ・秦佐八郎らが開発した化学薬のサルバルサンがありましたが、ヒ素を主成分とするクスリだったため深刻な中毒症状を起こす患者があとを絶ちませんでした。

 

生物由来のクスリである抗生物質が開発されてからは強力な化学物質治療薬は姿を消しました(抗ガン剤を除いて)

 

がんの三大治療

・手術

・抗がん剤

・放射線照射

 

は高度成長期に定着したものですが何と21世紀になっても踏襲されています。

 

進歩したのはがんを早期発見できる検査技術の向上ばかり。

 

"毒をもって毒を制する"的な発想の毒物薬の抗がん剤に頼らない画期的な薬剤開発が待ち望まれます。

 

がんも怖いが、抗がん剤はもっと怖いものなんですよ。

 

これは私の知る医師が言っていた言葉です。