師走ということもあり、スマホ・携帯のデータを整理していたら今年、4月末に亡くなった母からの留守電メッセージが大量に残っていた。

 

昨年の後半のものが多く、着信時刻の多くが深夜2時~深夜3時だった。

 

再生してみると無言のものが多かったが、中には

 

「あの・・・、その・・・・、ごめんなさい。」

「何だか怖くて・・・・・その・・・・ごめんなさい。」

「声が聞きたくて・・・・あー・・・」

 

というメッセージもいくつかあった。

 

当時、私の母は軽度の認知症があったため時折、意味不明な言動やとんちんかんなことを言ったりすることもあったので深夜の留守電メッセージもそうした一環だと思い、気にしていなかった。

 

だが、今になって考えると母はとても心細かったのだとわかった。

 

深夜に目が覚めて、得体の知れない不安に襲われる。

心細くなって手元にある携帯から無意識に息子への通話ボタンを押してしまう。

私の携帯は深夜サイレントモードの留守電になっているため、仕方なしに電話を切るということが想像できた。

 

母はよく、深夜が嫌いだといっていた。

深夜は静かで、人の活動の気配がなく、心細さを助長するからだろう。

 

心臓の手術を目前に控えて、そうゆう忘れ去っていた心細さを最近私は感じるようになった。

 

私が4歳かそこらの頃、昼寝から目を覚ますと家には誰もいなくて、不安で心細くて、私の昼寝中に買い物に出かけた母を半べそかきながら待っていた記憶がある。

 

心細さの本質は頼れる人が近くにいないことにある。

 

母からの深夜の留守電メッセージに「怖いよ。助けて。・・・」というのが一つだけあって、それを今改めて聞いた時には涙が出た。

 

どうしてキチンと対応してあげなかったのか。

心細い気持ちだったのに、認知症から来るたわごとと片付けてしまったことに後悔した。

 

心細さを訴えている人には傍にいてあげること。

傍にいて「大丈夫、心配ない。私がいるから。」と言ってあげるだけで充分なのだ。

 

そんな簡単なことなのだが、大人になると忘れ去ってしまって意外に誰も気に留めなくなる。

 

幼い頃、得体のしれない心細さに襲われた時のことを思い返して行動すると良いように思う。

 

自身が心臓手術を控えて、得体の知れない心細さを感じた感想である。

心細さ身にしみます。