※今回の話題はデリケートなものです。表現や描写で気分を害する方もいると存じますので、苦手な方は読まないでください。

 

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この時期になると私は忘れられない嫌な光景がフラッシュバックする。

五年前、鉄道の人身事故の瞬間を目の当たりにしたからだ。

 

五年前の帰宅時、私は勤務先の最寄駅のホームで会社の同僚と一緒にいた。

帰る方向が同じなので一緒にいたのだ。

 

職場の愚痴、上司の噂話、最近のトレンド等とりとめのない話を同僚とホームでしていると、向かい側のホームに入線してきた列車がけたたましく警笛を鳴らして来た。

 

尋常ではない列車の警笛に向かい側のホームを見ると、同世代の中年男性が向かい側のホームの縁に目をつぶって立っている。

 

次の瞬間、中年男性は入線してきた列車に合わせるかのようにホームの縁から倒れ込んだ。あっという間のことなのだが、今でもスローモーションのように覚えている。

 

「ワァ!」

 

私は思わず視線をそらした。

本能的に見たくない瞬間だったからだろう。

 

「ドォーン」という鈍い、金属製のコンテナに力いっぱいバスケットボールを投げつけたような大きな音がした。

この音は今もってなお、頭にこびりついていて離れない。

 

一緒にいた同僚は何と衝突の瞬間からすべて見ていたという。

 

「おい、どうなったんだ?」

 

私が同僚に尋ねると、同僚は向かいのホームに入線した列車の下部を指さして、

 

「あそこだよ。」

 

と冷静に言った。

視線をそらしていた私はもしかしたら、大したことないのではないかと思い同僚に尋ねたのだ。

 

同僚の指さした方向には轢断こそ免れていたが、手足が不自然な形で折れ曲がったマネキン人形のような物体が横たわっていた。

 

列車の運転席の窓は大きくひび割れ、マネキン人形はピクリとも動かなかった。

 

いたたまれなくなった私は同僚とともにその場を急いで離れた。

本当は事故の瞬間の目撃者なので警察などに説明しなくてはならないのかも知れないが、当時ホームにいて瞬間を目撃したのは数十人はいたので問題ないと思った。

 

列車に倒れ込んだ中年男性に何があったのか、どんな事情だったのか、いっさいわからない。

バラバラにならなかったとはいえ、あのような亡骸を引き取ることになる遺族はどんな気持ちなのだろうか? 

鉄道会社から莫大な賠償請求が家族に行くのではないか?

 

いろいろなことが私の頭の中をよぎり、その日は一睡もできなかった。

 

そして、ひとつ感じたことはあの中年男性は逃げたかったのではないかということ。

鉄道自殺をはかる人の多くは、フラフラと吸い込まれるように行ってしまうと聞いたことがある。覚悟の自殺であることは極めて少ないのだという。

 

厳しい、きつい現実から逃げ出したいという防衛本能が死んだら楽になるのでないか

という希死念慮につながり、ひょんなきっかけで実行してしまうというのだ。

 

私も20年前、転職したばかりで早く仕事を覚えて戦力になろうとオーバーワークになった時、このままどこかに行ってしまいたい、会社に行くのが辛いと感じたことがあった。

 

私の様子を見て、おかしいと感じた妻が強引に私をメンタルクリニックに連れて行き、医師よりうつ病だと診断された。

 

「うつ病? 大丈夫です。そんなことで仕事は休めません!」

 

と私が医師に喰ってかかると

 

「うつ病を甘く見てはいけません。あなたのように身体が動く時が一番危険なのです。ひょんなことで簡単に自殺するからです。」

 

と真剣な眼差しで厳しく言われた。

結局、私は3カ月休職し、その会社には居づらくなって再び転職することになったが、

 

妻は「命が何よりも大切だから」

 

といってくれたことが大きい。

後日談として、私がメンタル崩して退職したその会社から自死する人が出たことを知って驚いた。

 

健康というと何かと身体(フィジカル)な面ばかり追求されがちだが、精神(メンタル)な面は命に直結するだけに、より重要ではないかと思う。

 

日本は先進国の中ではトップクラスの自殺大国といわれている。

人間ドッグで隈なく自身の身体(フィジカル)を調べる人は多くいるが、自身の精神(メンタル)をチェックする人は少ない。

 

精神(メンタル)の健康を損なうと命に直結することがある。

死にたくないのに、フラフラと死神に操られるように鉄道に吸い込まれるような悲劇は無くさないといけない。