今年(2022年)4月21日、自宅で看取るため母は帰ってきた。
脳梗塞で会話はできなかったが、家に着くとキョロキョロと周囲を見回して安堵したような表情を浮かべていた。
「お袋。帰って来たよ。」
私がそう言うと微かに頷いたように見えた。
母のケアマネージャーのお陰で、看取りのための医師と看護師、いつでも駆けつけてくれる介護士までつけてもらい万全の受け入れ態勢を整えた。
病気持ちの私と高齢の父親の二人での自宅看取り。介護力0に近い状態だったため、手厚い受け入れ態勢をつくってもらったのだった。
入院中母は点滴で命をつないでいたのか、食べないという割には痩せていなかった。
大量の水分を点滴で入れられたのか、むしろ水ぶくれ状態に近かった。
それでも少しぐらいは食べられるのではと、母が好きだった高級プリンやアイスを私は買いそろえていた。
「お袋、好きなプリンだよ。ひと口だけでも食べてみるかい?」
私はそう言って小さな匙でプリンを母の口元に運んだが、全く食べようとしない。
父が脱脂綿で水を浸して母の口元に近づけても、プゥーと水を吹いて口に入れようともしない。
母はもう何も飲食したがらない状態のようだった。
看取り医師からは、無理に飲食させると誤嚥性肺炎を誘発するので何もしないようにと注意された。
それからずっと母は何も飲食をしなかった(したがらなかった)
1日の大半を眠っていたが、それでも起きている時は私や父の顔をしっかり見て、時折こちらの問いかけに頷くこともあった。意識はしっかりしている様子だった。
とはいえ、飲まず食わずで母は1週間以上介護ベッドの上で過ごしており、何だか母が死ぬのを待っているように感じてしまった私は看取の医師に深夜であったが電話相談した。
「さすがに1週間以上、水分を何も取っていない状況を看過できません。何かできないでしょうか?」
そう私が相談すると、医師は腹部の皮膚下からの点滴で水分を補給する方法がある。静脈に針を刺さないので、苦痛も少ないハズだという。
それを聞いて、その腹部の皮膚からの点滴を私は医師に要請した。
翌朝、医師が往診してくれることになった。
そして4月30日の朝、母が退院して9日目になるこの日、いつも通り父と私で朝食を取った後、母のベッドに行ってみると穏やかな顔で眠っていた。
「もうすぐ、先生が水を入れに来てくれるからね。」
そう言って母の顔をよく見ると、私は母が息をしていないことに気がついた。
「親父! お袋、息していないよ!」
私がそう叫ぶと父は何故か母の額を触って、「まだ温かいぞ!」と言って信じようとしない。
心臓マッサージすれば・・・・とも考えたが、看取りで帰ってきたのに何だか変だ。
それに母は何とも言えない穏やかな顔をしていたので、私は母が亡くなったことを受け入れることにした。
「お袋、ごめんね。旅立つ時に傍にいてあげられなくて・・・」
看取るために母を退院させたのに誰も傍にいない時にひとりで逝かせてしまったことを私は悔やんだ。
すると父が私にそっと呟いた。
「あいつらしいよ。逝くときは、騒がれないようソッと逝きたかったんだろう。」
朝食前に様子を見た時、母はスースー寝息を立てていたので、私たちが朝食を取っている十数分の間の出来事だったよう
だ。
点滴に往診に来た医師はそのまま母の死亡を確認し、死因は脳梗塞だった。
水分を取らなかったので血栓ができやすくなっていて、それが脳に飛んで詰まったのだろうということだった。
医師によると、こうゆう逝き方は苦痛はほとんどない安らかな死であるとのことで、それが唯一私にとっての救いだった。
「死ぬときは皆に迷惑かけるような死に方はしたくない。」
生前、母が元気な頃によく私に語っていた言葉だった。
それを本当に実践するなんて・・・・
穏やかな顔で逝った母。
今では、それだけが自宅で看取ってよかったと思える唯一の証しとなっています。