岩波英知先生の誘導技術は一部の人に理解されないでしょう。
それは最初、大変衝撃を受け、ビックリするからです。
なぜかといいますと、これまでの常識が崩壊するからです。
怯えやすい人は大変でしょう。
こんなことがありうるわけがない! と自分の狭い常識で考えます(いや、誰だって狭い常識の中で生きている)。
なので、最初から、Dream Art Laboratoryのサイト(岩波英知先生が代表の心理脳内研究所)には、
通ってほしくないタイプの人が掲載されています。
プログラム適用外の人
本人の自主的な意志や動機があっても、プログラム適用から外れる人は以下の方です。
・統合失調症の方
・「極度」の人間不信・男性不信の方
・被害意識・被害妄想が「極まっている」方
・社会生活が送れず日常生活にも支障をきたしている強迫性障害の方
・パーソナリティ障害(人格障害・妄想性人格障害・境界性人格障害)の方
・薬漬けがひどく社会生活が全くできなくなっている方
・病的なほど自分の体調ばかり気になる方
・過去に脳梗塞や心筋梗塞の経験がある方
・心臓弁膜症の方
・先生の指示に従えない方
・反社会的な行動をとる方 ・宗教、マルチ、投資の勧誘をする方
・他責傾向や依存心が強い方
・回数をごまかそうとする方
などです。
また、出される課題を最低限こなす気持ちがない方(ただ通えばいいと思っている方)もご遠慮ください。
当プログラムは非常に効果があり、他のどこよりもずば抜けた潜在意識からの根源的処理が可能です。
通われて効果が上がっている方の確率はとても高いので、低くするような方(家での訓練をほとんどやらないでいいと思っている方)は、他の方法をお探しください。
このような書き方をして申し訳ありませんが、円滑にプログラムを進めるため、何卒よろしくお願い申し上げます。
と、Dream Artのよくある質問(FAQ)のコーナーに書かれてあります。
他力本願の気持ちで通う人も向いていない人だと言われています。
料金が高いプログラムであるため、主体性がない人は受けないほうがいいと体験者の人はよく言っています。
僕もそう思います。
主体性というものは覚悟が必要でして、自主的に自分を変えていこうという覚悟と意思です。
それがない人は、ビックリするなら誰でもそうですが、そのレベルを超えて、岩波英知先生の誘導技術を見た日には、顔面蒼白になって、ションベンを漏らしてしまうでしょう。
毎日、不安で不安でたまらない人は受けないほうがいいと思います。
その不安の根っこの原因を自分でしっかり受け止めて、乗り越えていきたいという人ならばおすすめします。
その差は、自主性、主体性、覚悟、意志の差です。
僕が思うに、色々な凡人施術家のワークショップに10個参加したとしても、岩波英知先生の施術を受けたほうが遥かにお金も安くすみます。
そこも覚悟でしょうけど、「安物買いの銭失い」にならないように気をつけてください。
それこそ、プロを名乗っていいのかというぐらいレベルの低い、少し勉強すれば僕もあなたもプロを名乗れる凡人がたくさんいます。
そして覚悟が決まったら、岩波先生の超越技術を受けてください。
最初は個人差があります。
人生もそれぞれ、人もそれぞれ、受け止め方も考え方も解釈もそれぞれですので、効果に個人差は出ます。
ですが、人と比べないことです。
これは自分との闘いです。
僕にも誰にでも自分というブロックがあり、潜在意識に重石をのっけて生きています。
このブロックを外すことも大変なら、ブロックを解除してもらって自分の潜在意識に直面したときも大変です。
そこも覚悟が大事です。
自分の潜在意識というものは、とんでもないやばいエネルギーが溜まっています。
これが生きることへの苦しさや、成功したいけれど成功できない障害となっています。
悩んでいない人や成功者はみな、潜在意識がクリアできれいだと思います。
あるいは、潜在意識のやばいエネルギーを有効利用するだけの胆力を持っていると思います。
そこも覚悟です。
岩波英知先生の技術はあまりにはるか上空に飛んでいて、信じられない光景を見ますし、自分も大変衝撃的な体験になります。
(岩波先生は初回にこの人は不安で乗り越えられないなと判断したら、すぐ帰すことも多いようです)
覚悟がある人だけ、覚悟を持ちたい人だけ、岩波英知開発の超スーパー誘導技術を受けてみてください。
それがない人は最初から受けないで、凡人の施術家のところをハシゴして、世の中にモノホンの存在がいないことに気づいてから通えばいいでしょう。
そちらのほうが覚悟が決まりやすいですから。
どの世界にも頂点の能力を持つ人がいます。
そういう人ほど一部の人には理解されないですが、ずば抜けた人はそういう宿命を背負っていますね。
もし様々な歪んだ情報に振り回されているなら、あなたは変わるチャンスをフイにし、一生何も変われないまま、停滞していくかもしれません。
竹田