医学以外の分野においては、「 根本的な対策とは離れて、表面に表れた状況に対応して物事を処理すること」…という意味で用いられることがある。(ウィキペディアより)
最近、世界中で、日本でも、いろいろな社会問題は対症療法に追われて、元栓を閉める、つまり根本の原因そのものを何とかしないとというところまで、手がまわらないみたいだ。
例えば、難民問題も…根本は難民を出さないように世界中がどう協力するかだろうけど、ほぼ不可能。
だからやってきた難民の 対症療法にあけくれ、数が膨れあがるとキャパシティを超え、その国々の政治の不安定、社会の不寛容という、大ピンチを招いている。
これは、エコロジーセンター館長、環境漫画家のハイ・ムーンさんの、「元栓を…」
日本でも、多くの社会問題は結局、 対症療法に明け暮れている。あたふたと明け暮れている間にますます根本を解決するのは遠のく。
地球環境問題も、日本の高齢化社会も、少子化も、最近めだつようになった、あおり運転なども含む凶悪犯罪も、子ども虐待も、動物愛護も…
できる問題も多々あると思う。その気になれば…政治家とメディア、多くの国民がね。なのにいつも対症療法だけ…
結局、人間の社会は歴史とともに進歩するのではなく、いつも足踏み状態なのかも。
一歩前進、一歩後退、あたふた対症療法はいつの時代も同じなのかな?