217,これって危険かも?(短編) | 冷茶猫のカフェ

冷茶猫のカフェ

冷茶猫のカフェへようこそ。扉を開けると、そこはミステリアスな世界。
珈琲の芳しい香りの中で、気楽におしゃべりしたり、ちょっと真剣にものごとを考えたり、そんなカフェになったらいいなと思います。
                     (現代版・鳥獣戯画)

散歩中の犬に「死んだらいいのに」発言、紅葉を折って持ってかえるおばさんとか(215…参照してください)はじめ、多々、迷惑な人はいる。駅員に暴力をふるう乗客もいる。近所の人にわざと大騒音で嫌がらせ…

非常識、わがまま勝手、不愉快な言動、こういう人にどう対処したらいいのだろうね?
 
 
どうみても、一線超えてる…一言、言いたい、注意したい…しかし、こういう人はたぶん逆切れして、喚く。暴力を振るうかもしれない。やっぱり怖いし、大喧嘩になったら、恥ずかしいし、もっと気分が悪くなる。
 
「いい死に方はしないね」と、心の中で呟きながら、やり過ごすことになる。そして不愉快は続く。
そういう人たちが増えてきたら、世も末だ。
こういうことが、たび重なると (間接的に聞くのも含めて)、誰か一喝してくれないかな、と思ってしまう。
 
「愚かな者!」「未熟者!」 って。
「この印籠が目に入らぬか!」と、一刀両断してくれたら、すかっとするのに。
 
 
でもねえ、こういう気持ちが積み重なると、なんかリスクが…
つまり、多くの人が、どうにもできないイライラや不愉快を抱えていると、それを解決してくれる人を、知らず知らずのうちに求めてしまう。
 
そして、知らず知らず、誰かに強い権力を渡してしまう?こういうことに、つながらないかなあ?
 
  
 
 
なんか最近、こういう状況になってきていないかな?
閉塞感?国際関係の不安感?イライラをネット中傷やヘイトスピーチなどで、より弱者にぶつける?
これって、やがて厳しいルール、強いリーダーを求めることにつながる?それもねえ…
 
 
 
 
 
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