今日午後1時から守屋前次官の証人喚問が国会で開かれた。耐震強度偽装問題以来の国会の証人喚問になるわけで。久しぶりだなという感じがした。だが以前にも感じていたのだが、証人喚問とは公開の責任のなすりつけではないのか。見ていてどうも気分のいいものではない。そもそもこの問題は、恐らく前任の久間さんなども関わっているようで、公開の場で大元とされている守屋前次官を絞ることで、「自民党は不正には厳格に臨んでいる」という態度を誇示し、この問題のすべてを収めようとしているようにもみえる。で証人喚問の内容はというと、ゴルフの回数の確認など正直どうでもいいし、いまさらというものばかり。どうしていつも証人喚問はお説教になってしまうのか。
この倫理規定問題のおかげで新法の成立が妨げられないかなどと騒いでいたが、まったく別の次元でとらえるべき。そもそも給油問題、実のとこ国際的に大きなこの議題が役人1人の規定違反で左右されそうになるなどあってはならないこと。個人のコンプライアンスの問題は、新法には関係にないわけで。まあ、そんな規定も守れなそうな人たちのつくった法なんて信頼できない、というのならそれまでだが。つまるところこの問題は、政治不信という言葉に踊らされている面もあるのではないかな、と。役人に任せればいいなんて時代も終わってる感じがするってわけで。