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山あり谷あり備忘録

2011年お正月。いきなり卵巣癌の告知を受け、日々、手作繰り状態で癌と闘うzeroの、のほほーん日記です。少しでも同じ病で悩む方のお力になれましたら幸いです。。。

2013年7月4日。

大切な友人が亡くなりました。

昨年5月に子宮頸癌の告知を受けてから一年二ヶ月。
あまりにも早い旅立ちでした。


彼女はまだ三十代の半ばでした。
優しい旦那様との間に赤ちゃんを授かることを熱望していた
中での子宮頸癌の告知。

最初に訪れた地元の産婦人科では、すでに進行をしていたはずの
子宮頸癌を見つけていただけるどころか、「膀胱炎」という診断をされ
そのお薬しか処方していただけなかったのです。

しかし、素人である私でも絶対に膀胱炎の症状ではないということは
わかったので、他の大きな病院を受診することを強くすすめました。
このときほど、彼女と私が住む場所が遠く離れていることをもどかしく
感じたことはありませんでした。


しばらくして受診した大きな病院での診断は「子宮頸癌Ⅱa期」。

この結果を聞いたとき私は何を思ったか「大丈夫」と感じてしまったのです。
私なりに子宮頸癌のことも勉強をしたつもりだったのですが、心のどこかで
「子宮頸癌で手術適用なら...」という気の緩みがあったのかもしれません。
何の根拠もないのに、自分が出会った子宮頸癌の患者さんたちの予後が
良かったというだけで安心をしてしまったのです。

彼女は旦那様と暮らしている地域での治療ではなく、ご両親のもとでの
治療を選択しました。
それはひとえに旦那様を思ってのことでした。
日々お仕事でお疲れの旦那様の負担になりたくないという。。


そして三ヶ所目。故郷にある病院へ。
そちらで下された診断は「子宮頸癌Ⅱb期 リンパ節転移あり」でした。
腫瘍も大きく、リンパ節への転移もあることから、手術はせずに抗がん剤と
放射線で治療をする「同時化学放射線療法」という治療方針に。
私が読んでいた本に「同時化学放射線療法」は、ステージが進んでいて
手術で摘出することが困難な癌に対して行われると書かれていたことを
思い出し、事の重大さをあらためて実感したのでした。

検査をし診断が下るたびに上がっていくステージ。
どんなに怖かったことでしょう。
それでも彼女は明るく前向きに治療に臨み、余命の宣告を受けても
諦めずに「癌とともに生きる」決心をしていたのです。
彼女のブログやメールはいつも前向きな言葉で溢れていました。
でも、そんな彼女の言葉にふれるたびに、彼女が抱いている恐怖や
絶望がひしひしと伝わってくる思いがしていました。

つらいときこそ笑顔を作ってしまう。

彼女はそういう女性だったから。
本当はすごく怖がりで、淋しがりで、、、つよがり。
口癖の「大丈夫^^」は「怖い」「つらい」の裏返し。。

私はそんな彼女に何もしてあげられなかった。
癌経験者である私に出来るはずだった唯一のこと「早期発見」へ導いて
あげることも出来なかった。

彼女のお母様から彼女が亡くなったとのご連絡をいただいたとき
私は頭の中で必死に彼女と交わした言葉を思い出そうとしました。
長く離れて暮らしていた母子。
ここ数年の彼女のことをお伝えしなければ、と。
でもうまくまとまらず、やっとお伝えできた言葉は彼女がよく私に
言っていたこと。

「私、ママのことが大好きで、ママがいてくれないと生きていけないの」

「ママ」という言い方に、「幼い」とかではない特別な思いを感じました。
一人娘を亡くされたばかりのお母様に申し上げて良かったのかどうか
正直、わかりません。。
でも、私が知る一番ハッキリとした彼女のお母様に対する思いなので。。



彼女はホスピスに転院をして二週間で旅立ってしまいました。
治療を受けていた病院で言い渡された命の期限は「早くて今秋」という
ものでした。

あまりにも突然の出来事でした。



こうして彼女のことを思い出しながら記事を書いている今も涙がとまりません。

浮かんでくるのは、独特のイントネーションで私の名前を呼ぶ彼女の声。


今はまだ彼女のことを思っては、起きては泣いて寝ては泣いて...ばかり
だけれど、今の私にはこれも必要な過程なのだと思っています。

もう少し落ち着いたら、彼女のことを知る方々と彼女のお話もできればいいな。
彼女がどれだけ頑張ったかお知らせすることが出来たら、と思っています。




最後の数週間は、たぶん、意識がなかったことも多かったのではないかな。
痛みを和らげるために、随分強いお薬を使っていたみたいだから。。


絶え間なく襲ってくる痛みから解放された今、どうしてますか?

安らかな気持ちでいられていますか?

車椅子から解放されて思い切り走れているかな?


私もいずれそちらの世界に行きますが、もう少しこちらでの修行が必要みたい。

そのときが来たら、会ってたくさん思い出話をしよう。^^


どうかそれまで、穏やかな気持ちで見守っていてくださいね...☆


判明しました。(><)

卵巣がん標準手術から2年と2ヶ月。
先日、年に一度となっている腹部MRIを撮影してきました。
私がお世話になっている病院にはMRIがありませんので、病院の
すぐ近くにあります画像専門のクリニックに撮影しに行きます。

MRIは...回数を重ねるごとに苦手になっていくみたいです。
なんでしょね。
精神的なものが大きいのでしょうか。
目を開けていると目の前に迫った機械に圧倒され、目を閉じると
それ以上のものを想像してしまいパニックを起こす。。。

前回は軽い呼吸困難程度だったのですが、今回は撮影されている間
ずっと呼吸の仕方がわからなくなりパニックでした。
終わった途端、全身で深呼吸。。
スタッフの方に顔色の悪さを指摘されたほどでした。


結果は数日後に主治医から。

がんの方は、相変わらずCA125の数値はお高め(基準値内)ですが
幸い再発の兆候はみられないとのお言葉をいただけました。

...が。
先生がポロッと。

「ん?椎間板ヘルニアって書いてあるね」と。


「椎間板ヘルニアって、あの椎間板ヘルニアですか?」と、
ワケのわからない質問をしてしまいました。^^;

主治医はもちろん婦人科の医師なので、そのあたりについては
明言を避けられました。ご自身の専門分野でないことについて
うかつなことは言えませんからね。。
ただそこに書いてあることをおっしゃるだけにとどまりました。

必要あらば整形外科へ...と。

実はここ数ヶ月、腰が痛くて痛くて長時間同じ姿勢でいることが
できなくなり、ひどいときには吐いてしまうくらいの痛さだったんです。
鎮痛剤に頼ったり、姿勢を良くしたり、ストレッチなどの軽い運動をして
少しは楽になったつもりでいたのですが。。

うーーん。なぜ突然ヘルニアなんでしょうね。
卵巣を摘出しているので、骨量が減っている可能性は十分に考えられる
のですが何か関係はあるのでしょうか?
病院では骨密度の計測などは行っていないので、どの程度減少している
のかはわからないのですが。。
先生からは、ヘルニアだけが腰痛の原因ではないだろうと言われ、
普段は計っていないホルモン量の数値も出していただくことにしました。
すぐにもお聞きしたいところなのですが、私の先生はとにかく忙しくて忙しくて
すぐに出てくる検査結果以外は次回の診察までおあずけなのです。
ホルモン量の結果は夏の検診で...。^^;


普段の私であれば、わからないことは徹底的に調べるなりするのですが
もう、ここまで色々な疾患を抱えてしまうと、自分自身を誤魔化したい
気持ちになってしまい、この一件についてはまだあまり調べてないのです。

原因は色々あると思うのですが、やはり「加齢」や「骨の老化」が大きいのかな?

「カルシウムをもっと摂りましょうね」と言われたのですが...。
主治医が変わったのでお気づきではなかったのかもしれませんが、
私には腎臓結石がありますので、あまり積極的にカルシウムを摂取しては
いけませんよね?

それを申し上げると、「色々あるんだね...」と名医らしからぬ一言を(笑)。


...なんか、もうこれ以上疾患名を増やすのが本当にイヤなのです。
たぶん、当分の間は自分を誤魔化し続けると思います。。
でも、良い姿勢の保持やストレッチなど、出来ることはやってみます。
痛みが治まっているときも、腰のあたりには何かモヤモヤしたものがあり
それが痛み以上のストレスであったりしますので、せめて精神的な
ストレスはためこまないように心掛けよう。。


自分の身体が自分の思うようにいかない歯がゆさは、この2年間で存分に
味わってわかっていたつもりでしたが、そういう状態になるたびに、まず
受け入れることからまた始めないといけないのですよね。(´・ω・`)

唯一の家族である(いつも手厳しい)兄に報告したらまた何を言われるか
わからないので(笑)、しばらくはコツコツと地道にがんばってみます。


孤独な闘いのハジマリ...。(ノ◇≦。)


約半年ぶりの更新ですね。^^;
またまた随分と放置してしまいました。。
治療中は気が張っているせいか、ちょこちょこと書き留めて
いられたのですが、こう変化がなくなってしまいますと、、、ね(笑)。


先月末、無事術後2年経過の日を迎えました。
大切なのは、抗がん剤治療終了からの年数であるということは
わかっているのですが、やはり嬉しいですね。^^
そのXデーも半年弱でやってきます。

でも、2年が経過したからといって「完治」ではないのがこの病気。
3年後、5年後、10年後...どんな形で再発するかは、誰にも
偉いお医者様でもわかりません。神のみぞ知る。。

その後の体調なのですが、私は卵巣欠落による更年期の症状が
比較的強めに出てしまっているように思います。
痛みに強いか弱いかなどでも個人差があるとは思いますが、
私の場合は頭痛、肩や背中、腰の痛みが強く、今はお薬なしでは
耐え難い状態です。
卵巣欠落症状に似た症状がある甲状腺の持病もありますので
更年期がダブルでやってきているような感じでしょうか?(笑)

現在、卵巣欠落症状でいただいているお薬は、相変わらず
ツムラの25番「ケイシブクリョウガン」なのですが、なんだか、、、
全く効いてない気がします。(><)
私の現在の主治医は医学雑誌などにもときどき登場される方で
手術の腕やその筋の研究はピカイチなのですが、どうも、その後の
ケアに不安やら不満やら(笑)。
いわゆる手術オタクなのかもしれませんねぇ。
命に関わるものは見逃さないけれど、自分の範疇ではないと思えば
「内科へ」とか「健診センターへ」などと他へ振られてしまいます。
治療中はあんなに親身になってくれたのに。。。と思っていらっしゃる
患者さんは少なくないはず!(笑)

まぁ、一山越えたからこそのこの対応なのでしょうね。
小さな?不具合はあるものの、とりあえず再発の兆候はないようで
穏やかな日々を送っています。

同じ時期にともに闘った患者仲間さんの中には、もうお会いできない
状態になってしまった方もいるようで...。
患者さんがお元気な間は看護師さんも状況を教えてくださるのですが
そうじゃない状態に陥った後は何度うかがっても言葉を濁されるだけ。
これ以上聞いてくれるな、推して知るべし、ということなのでしょうね。。

再発を恐れてびくびく生活をすることほど愚かなことはないのでしょうが、
あまり慢心しすぎてもダメなんだ。
まわりの方がいくら「良かったね」「大丈夫」という言葉をかけて下さっても
その言葉は言葉としてありがたく受けとって、前向きに生きつつも
いつ何が起こるかわからないことへの心の備えはしておかないと。
病気に関しては、自分自身が全てを受け留めなければいけないのだから。
これは大病をした人に限らず、どなたにも言えることですが。^^;

...と、気を緩めたり引き締めたりの繰り返しです(笑)。


相変わらず、同じ時期にともに闘った患者友達とはべったりです(笑)。

誰かの検診日にはついみんな集まってしまいます。

経過良好の一言を聞いて、笑ってご飯を食べるひとときが幸せです。

みんなで四季折々の自然をみることが好きです。
今こうして生きていることのありがたさを実感できるのです。
来年も再来年も、ずっと、見て行きたい。
当たり前のようでいてそうではない、病気にならなければ見過ごして
しまっていた「普通」ということへの感謝。

きっとこの先また忘れて行ってしまうことなのかも知れないので(笑)、
今はアンテナをびしびし張り巡らせて、色々と感じていたいと思います。