悲しいコト、嬉しいコト | 山あり谷あり備忘録

山あり谷あり備忘録

2011年お正月。いきなり卵巣癌の告知を受け、日々、手作繰り状態で癌と闘うzeroの、のほほーん日記です。少しでも同じ病で悩む方のお力になれましたら幸いです。。。

悲しいコト。


今回は、身体の不調というよりも、精神的に少し落ちてしまいました。
なんだか、自分が情けなくなってしまって。
他の患者さんにお見舞いにいらした方々の何気ない一言などが、漏れ
聞こえてくると、どうしようもなく心がざわついてしまう。


早期の卵巣のう腫で入院された女性のお友達がお見舞いにいらした
ときに聞こえた一言。。。


「腫瘍部分をとるだけで良かったよね。卵巣一個でもとると、いろいろと
あるみたいだし。全摘になんてなったら、赤ちゃんうめないし最低~」


しょうがないということは、わかっているんです。
その方が私の事情をご存知なわけもありませんし。
でも、考えないようにしていることを言われてしまうと、針で刺された
ようなイタミを感じます。


もし私に卵巣があったとしても、今から赤ちゃんを生んで、ちゃんと
育ててあげる自信は、正直、ありません。
でも、「生まない」ということと「生めない」ということでは、同じなようで
大きな違いがあると思ってしまうんです。


そして。。。
子宮と卵巣...生殖機能を司る臓器というよりも、女性のシンボル
ですよね。それらを失うということが、心に重く重く圧し掛かってきます。


子宮と卵巣摘出なんて、よくあること。私だけではない。
赤ちゃんを生まない選択をしている人だってたくさんいる。


そう、励ます気持ちで言って下さる方もいらっしゃいます。
でも、そういうことではないんです。
誰とも、何とも、比較なんてできない。
その人その人自身の問題なのです。。。
でも、そう言い返すと、単なるワガママにしか聞こえないでしょう?
自分をかわいそうだとも思いたくないし、悲劇のヒロインになる気も
サラサラないのです。
だからそう言われても笑ってやり過ごすしか、私には出来ない。


今回の入院では、近々、お孫さんを授かる女性がお隣さんでした。
お隣のベッドから聞こえてくる、赤ちゃんを待ち焦がれるご家族の会話。
いつもの私なら、何も気にすることなく微笑ましいと思えたのでしょう。
でも気持ちが落ちているときには、どうしようもなく居た堪れない気持ち
になってしまいます。
本当に、本当に、こんな自分がイヤでしかたがなかったです。


私が病院を選ぶ一つの基準は、「産科」がないこと、でした。
産科と婦人科が揃っている病院では、出産をされる方と、その機能を
失う手術を受ける方が一緒の病室になることも珍しくないと聞きます。
私にはとても耐えられないと思いました。


ずっと、こんな気持ちでいるわけではないのです。
元々、子供は大好きですし、人と自分を比較して生きることも、あまり
ありませんでした。何を幸せと感じるかは、人それぞれですものね。
でも、ときどき、自分でも制御できないくらい、見ること聞くこと全てを
マイナスに捉えてしまうときがあります。

ガンの再発についても、考え出したら止まらない。。。
そういうときは、じーっと、その嵐が過ぎ去るのを待つようにしています。
そうしたら、また、笑えるときがくる。
落ち込みっぱなしにはならないのが、私の数少ない長所の一つ(笑)。


ただ、婦人科病棟にいる患者さんの多くは、そういう病気を抱えている
のだということを、どうか、心の片隅にでもとどめておいていただけたら
嬉しいなぁ~と思います...(*^▽^*)




嬉しいコト。


入院をするたびにお見舞いに来てくださる方がいます。
その方は、3月の大震災を隣同士のベッドで過ごした方なのです。
その方の旦那さまは、震災後の混乱の中、2週間毎日毎日お見舞いに
いらっしゃり、ついには皆勤賞をとられましたっ!(笑)
大事な奥様のお隣である私(笑)のことまで心配して下さって...
あぁ、いいご夫婦だなぁ~と、心から感じることができました。


退院されてからも、逐一私の入院日を確認され、そのたびに、ご夫婦で
考えた品を私のために手に入れて持ってきて下さるのです。
味のついていないご飯が食べにくくなると伝えたら、美味しいゴマを
ゴマすり器つきで用意してくださったり、暑い日が続くようになって
くると、濡らすだけで冷たくなるタオルなどを...(笑)


今回の入院でもお見舞いに来て下さったのですが、私の入院日程が、
一週間早まったため、日程確認のメールをいただいた頃には、すでに
入院をしてしまっていたのでした。
そのことをお伝えしたら、彼女は私の体調に何か起きたのかと思って
しまったらしく、会社を出て病院にくる前に、神田明神に寄ってきて
下さって、、、
順調だから早まったのだということをお伝えしたら、安堵の涙まで
流して下さいました。もう、どう感謝したらいいのか。。。


制御できなくなるほど自分の心が落ち込んで、悲しい涙をたくさん
流した後だったのですが、今度は、嬉しい涙を流すことになりました。


捨てる神あれば拾う神あり...の例えではありませんが、人間は
誰だって、悲しいことと嬉しいことに直面しながら生きていくもの
なのですよね...