今さらですが
北野監督の「首」を観てから
本能寺の変への妄想が楽しいです
あくまでも妄想ですが(笑)
いやいや・・
この視点でこの事件をみると
謎が謎でなくなるので不思議です
しかしながら
珈琲ブログみたいに
暴走しないよう気をつけますね(笑)
結論から言うと
あの本能寺の変というのは
明智光秀による
恨みを晴らす為の謀反でもないし
光秀を陰からけしかけたような
黒幕的な人物もいない
なぜならば
明智光秀と織田信長が仕組んだ
歴史的なヤラセ事件だからであ~る( ̄ー ̄)v
もっと言えば
豊臣秀吉も一枚噛んでいた可能性は
極めて高い・・というか
最終的な目的は
3人とも同じだから成立したこと
それは偏に
天下泰平の世を築くために・・です
日本で100年も続いていた
戦乱の世の中を憂いていたことは
当時の日本人ならみな同じ
戦国の武将とて
それは例外ではないのです
ただ1つの存在を除いては・・
そのことは次回書きますが
信長だけがやったことを考えれば
その信長の存在が
当時の日本人にどう映っていたのか?
その感情を払拭しなければ
天下泰平の世の中は訪れないのだ・・と
そんな時代背景の中で
それを払拭するために計画され
その通りになったのが「本能寺の変」です
結果的に織田信長は
家臣の中でも
重鎮であった光秀に裏切られ
骨も残らぬほどに炎に焼かれて死に
安土城も本能寺の変のすぐ後に
原因不明の火事によって焼失してしまう
織田信長が無限地獄に落ちた!
・・と
日本中の国民に
そう思わせる必要があったのですよ
もう私の言いたいことがピンときますかね(笑)
こんな妄想ですけど
そもそも
信長の遺体が見つかっていないことが
ミステリーのはじまりですが・・
もともと計画していた事ですから
さっさと避難していて
そこには居なかった
具体的な史実はこう・・
1582年6月2日の卯の刻(午前6時)
明智光秀の軍勢が本能寺を包囲する
寝込みを襲われた織田信長は
是非に及ばずと家臣に言いながら
浴衣姿のまま迎え撃つも
やがて本能寺に火を放って自刃した
この間30分のできごと・・となる
※参考:山科言継の日記「言継卿紀」より
名言と知られている
あの「是非に及ばず」という言葉さえ
創作の可能性は否めませんし
この短時間の状況の中で
信長の死体が見つからない・・って
あり得ないと思いませんか?
つまり
明智光秀の軍が到着した本能寺には
織田信長はすでに居なかった・・
でもそれは計画通りのこと
でも明智光秀は
そのことを知らない体のまま
信長討伐の指揮をとったのです
そして
世紀の謀反人とされた
明智光秀の死についても諸説ありますが
豊臣秀吉の前に並べられた
明智光秀の首に対して
秀吉は
検分はおろか晒し首にもしていない
※検分とは首が本人であるかを調べること
これは戦国時代の習慣としては
極めて・・いや・・
かなり不自然なことなんですよね
つまり
その首は別人の首であって
明智光秀も死んではいなかったのです
でもそれを
光秀の首としたことは
豊臣秀吉にとっても計画通りのことだった
そして
岡山県の高松城を攻めている時に
本能寺の変の知らせを聞いてからの
いわゆる
豊臣秀吉の奇跡的な「中国大返し」は
さまざまな主張はあるけれど
1万人の行軍は
食料の調達を考えれば
事前の準備がなければ不可能なことで
つまり
この計画を知っていた可能性は
極めて高いのです
※参考:豊臣秀吉は知っていた
ここまでが
信長の計画のお話しですが(笑)
謎がすべてきれいに繋がってしまうので
妄想は面白いですwww
ん?
もしかしたら
本当のことかもしれませんよw
まあとりあえず
信長ブームの中で展開された
これまでの諸説について
なかなか突っ込んだ動画がありましたので
興味があったら覗いてまみてください
ん~・・でしょ?
やはり光秀謀反の理由とか
黒幕探しに入ると
とにかく迷宮の入り口なんですよね(笑)
この続きは
信長だけがやったことについて・・と
なぜ?
本能寺の変が必要だったのか・・について
妄想を少し書きたいと思います(笑)
ではまた(^。^)/