11月5日は縁結びの日でしたね。
日本には
「袖 振り合う(=触れ合う)も多生の縁」
という素晴らしい言葉があるのに。
作られたコロナバカ騒ぎで
人という字自体が解体のありさまだね。
人はお互いが支えあっている形。
人間とは その多くが支えあっている「人」の集合体。
人は人であって「ヒト」ではないよ。
昨日 電車待ちでホームに腰かけていると、
おばさんが「高知からきて・・・」と話しかけてきました。
たぶん私がマスクをしていないので、
話しても嫌がられないと思ったのでしょうね。
おばさんはマスクをしていたけれど、
こういうタイプの人は同調圧力を跳ね返すだけの気がないだけで、
コロナやマスクはほとんど気にしていないのよね。
( いつぞやのバスのおっさんと大違いだよ )
電車が来るまでの15分ぐらい
ほとんどおばさんが話し続けで、私は相槌を打つぐらいでした。
でも自分よりも長い時間生きている人の話には、
ネットの検索では得られない貴重なことは多々あるのよね。
なぜならネットの検索とは
検索する側の意思が最初に入っているから、
その部門ではいろいろと出てきても、
検索する側が夢想だにしないこととは無縁なのよね。
人との話では相手はこちらの検索の話をするわけではないから、
全く未知の話が飛び出してくることも・・・
これが「袖振り合うも多生の縁」の大きなメリットの一つ
だと思っています。
せっかく人との触れ合う機会のある外出で、
スマホ三昧の輩は、24時間機械に支配されているも同然だよ。
でも今は作られたコロナ騒ぎで、
人と人との距離を開けさせて
人を人でなくす有様だよ。
何度も書いているけど
日本中の神社仏閣が真剣に「疫病退散祈願」をしているのに、
一向に終息しないということは、
これは自然の猛威ではないという証拠ですよ。