戦前の「吉良の仁吉」歌・美ち奴 に始まって
バタヤン田端義夫さんの
「舞妓物語」「浅間の鴉」「呼子星」等のヒット曲。
テイチクの文芸部長として、
三波春夫の歌謡浪曲を企画したり、
石原裕次郎の歌を数多く作詞「錆びたナイフ」
「赤いハンカチ」「夕陽の丘」等のヒット曲を書いた人。
奈良県曽爾村の出身とはあまり知られていないのよね。
Wikiにも書いてないね。
曽爾村の今のキャッチフレーズ「ぬるべのさと」は
萩原氏が作詞した曽爾村の村歌の冒頭
「ぬるべの里に夢はあふれ」からね♪
奈良県民の歌
♪吉野の桜 畝傍山 歴史を染めて 陽が昇る
も 萩原氏の作詞だよ。
バタヤンの別の資料を探していたら、
会報に萩原四朗氏が京都新聞に寄稿した記事が掲載されていたよ。
1985年8月24日京都新聞夕刊
記事一部抜粋
引用開始
>僕の生まれ故郷は、奈良県曽爾村だ。浪曲師や歌手を村に招いたところ、心よく慰問公演してくれたのはうれしかった。全盛期の佐々木米若や木村友衛が、鳥も通わぬと言われた山奥の村へ来たくれたんだ。学校の講堂で僕が書いた「婦人従軍歌」なんかを読んでくれた。勘当した息子が米若を連れて村へ帰ってきたものだから、親父は驚いたらしい。人気絶頂のころの三波春夫、田端義夫らも、多忙なスケジュールをやりくりして、巡業先から駆け付け、公民館ホールで歌ってくれた。ノーギャラ出演だ。奈良市内へさえ公演に来たことのない三波が、こんな山奥へ来るはずがないと、村の青年団は最初半信半疑だった。ところがステージに立った三波を見て、会場は大かっさいとなった。もう遠い昔のことだ。
引用終わり
下に載せておくけど、これ以上大きくするやり方がわからないよ。
それから8月27日投稿の門僕神社
https://ameblo.jp/zerowife/entry-12620694168.html
御本殿の建物が写っていないから、
以前のだけど下に追加しておきました。