私が神秘行と初めて出会ったのも、父がきっかけでした。


もうだいぶ昔の話ですが、父の出身校が甲子園に出場しました。甲子園ファンの方が見ていれば、ばれてしまうかもしれないので詳細は伏せますが、それはそれは非常に面白い勝ち方をすすめ、なんと優勝してしまいました。初優勝です。父は、普段私たち子供におこづかいというものをあげない人でした。食事に厳しい人だったので、お菓子でも買われるのが嫌だったのだと思います。ところが、母校の優勝に珍しいほど上機嫌となり、なんとおこづかいをくれました。確か1000円だったと思いますが、私としては非常にびっくりです。その時、私は優勝の瞬間を商店街の大きなモニターで見ていました。喜び勇んだ私は、おこづかいを握りしめ、近所にあった本屋さんに入りました。まんがでも買おうかと思っていたのですが、角のスペースに何やら怪しげな本を見つけ、なんとなく手に取ってみました。皆さんご存知、高藤シリーズでした。


ぱらぱらと眺め、まるでドラゴンボールの世界がとびだしたような内容にびっくりしてしまいました。なんじゃこりゃ!という衝撃を受けて、すぐに買ってうちに帰って読みました。


あとはご想像の通り。シリーズをそろえ、興奮冷めやらぬまま次々に読んでいきました。この後も想像できるかと思いますが、独習を試みるも全く進歩することなく、次第に興味を失っていました。ようするに、あきらめたわけです。


そして、大学進学をきっかけに地元を離れ、ごく普通の学生生活を送っていました。


ところがあるとき、ふと思い立って大学のパソコンで神秘行や仙道に関する検索をかけてみました。まだインターネットが普及して間もないころの話です。今思うと当時は、なかなか面白いサイトがありました。自分で調べておきながら、なんだか怪しいサイトがこんなにあるんだな、と大変失礼な感心の仕方をしながら、次々に読んでいきました。


次第に神秘行に対する興味が再燃し、いくつかのサイトの主催者にメールをだしてみました。あってもらえないか、あってもらえるなら弟子にしてもらえるか尋ねてみました。ほとんどがNOだったのですが、一人だけあってもらえることになりました。ただし、非常に遠方の方だったので、「来てもいいけど、その距離じゃ弟子入りは無理でしょ・・・」という返事でした。私は逆に「定期的に通えるなら弟子入りしてもいいんですね!」と思いっきりポジティブにとらえ、強引に弟子入りの許可を得ました。当時私は学生としての勉学と部活と、アルバイトと3本立ての生活でした。そこにさらに神秘行が加わる羽目になり、今思うとよくやったなぁ、と思います。


ちなみに、学生時代に戻れるなら神秘行はやらないか、やったとしても学生生活をエンジョイすることを第一に考えると思います。このあたりの感覚は社会人にならないとわかりませんよね・・・笑


というのも、先に結論を言ってしまうと時間と労力をかけた割には、(少なくとも気功や瞑想という意味では)目に見えた進歩というのがほとんどありませんでした。全くなかったわけではありませんが。


神秘行というのは難しいところがあって、上達するためにはいくつかクリアーしなければならない条件があります。まずは学ぶ人間の熱意。あたりまえですね。次に、才能。仙縁などといわれるものです。そして師となる人物の実力。この3つがそろわないとなかなか上達は望めません(例外は本人の才能が抜きんでている場合)。ところが逆に、この3つがそろっていても上達しないケースがあります。それが師弟の相性です。


神秘行といってもジャンルは様々です。仙道、密教、古神道、修験道、西洋魔術、占星術・・・。さらにそこで得た能力をどう生かしたいかという願望も人さまざまです。ある人は精神の充足を、ある人は健康な肉体を・・・。ほかにも、超能力や霊能力に対するあこがれ、ヒーリング、恋愛、身体能力の強化などなど。


2人の人間が出会って、ほいほいと技術の伝承が進むというのは非常にまれで、相性が細かいポイントまでぴたりと一致した時にのみ可能になると思われます。まあ要するに、私と師匠(今後も出てくると思うので李先生としておきます。もちろん仮名です)はその点で条件がそろわなかったわけです(努力が足りなかっただけだろ、といわれれば否定はできませんが・・・)


誤解のないようにいっておきますが、李先生を批判するつもりは全くありません。色々面白い話を聞かせてもらったり、興味深い経験もさせていただきました。それに、遠い土地まで神秘行を教わりに行ったのは、今となってはいい思い出です。


ただ、李先生のもとで目に見える成長をされた方というのは、先天的に何らかの能力を持っている人たちでした。おそらく、李先生自身がそのようなタイプだったのだと思います。


また、李先生の神秘行の方向性がなんとなく私が求めるものとは違うな、と思うようになり自然と疎遠になりました。弟子入りした期間は約2年間でしたが、その後も独学で細々と続けていました。なんだかんだとあきらめきれなかったわけです。しかし、その後社会人となり仙道だなんだとあやふやなものに時間をさく余裕もなくなり、ごく普通の勤め人として毎日を送るようになりました。