今日仕事始めという方が多いのではないでしょうか。私もそうでした。 生きることは働くこと。今年もがんばりましょう!ところで、先日「神秘行の方向性にずれを感じて」李先生と疎遠になったと書きました。今回はそのことについて。
どんな人間も、共通する願いがあります。それは「幸せになりたい」ということです。では、なにをもって幸せとするのでしょうか。ある人はお金、ある人は仕事、ある人は家庭・・・。「人助けをしたい」「欲望からはなれ、悟りを開きたい」といった思いも結局は個人の願望です。要するに、満たされない思いを満たし、幸せな人生を送りたいんです。そして、ごくまれにここに神秘行がかかわってくる人がいます。神秘行修行者とは、そういうマイナーな存在なわけです。
神秘行とは、意識の奥深い場所にひそむパーツを具現化させる手段のひとつです(そういう意味では芸術や文学とよく似ています)。その人がかかえる課題や願望を満たすための手段ですから、当然個性がでてきます。しかし、文化や環境、哲学、体質などを背景にある程度の体系を作ることもできます。それが、いわゆる「神秘行」といわれるものです。チベット人に、中国人に、日本人に、それぞれの民族にふさわしい体系がつくられました。また、同一民族であっても時代や地域によって傾向がでてきます。さらに、おなじ流派であっても伝承のうちに変化していきました。その結果、この現代にふさわしい体系のみが生き残りました。
高藤氏の神秘行はあくまで高藤氏の願望を具現化したものであって、万人受けするものではありません。高藤氏も、弟子によって教え方を変えていたと聞いたことがあります。体質、性質によって個人の方向性を見極めていたのだと思います。
しかし、これは何も特殊なことではありません。スポーツ選手を目指す人もいれば、歌手を目指す人もいる。実業家を目指す人もいる。学者、料理人、医者、弁護士、政治家・・・などなど。個人個人で求めるものは違うし、同じであったとしても手段や方法も千差万別。できる範囲で努力をし、時には周囲の人間に助力を求める。そして、師となる人物に教えを仰ぎ、師は個性を見極めたうえで教えを授ける。
その結果、その人にとってオンリーワンの体系が作り上げられていきます。魔術書や仙道書というのはそのような先人の「修業日記」のようなものです。ですから、最終的には自分独自の体系を作り上げなくてはいけません。イチローの真似をしたからといって、イチローになれないのと一緒です。イチローが誰かの真似をすることに固執していたら、イチローにはなれていなかったと思います。
前置きが長くなりましたが、李先生のもとを離れた理由も同じことでした。思想や体系を含め、神秘行を通した「人生の目的」に少しずつ違和感を感じていきました。この「人生の目的」というのは、理念や信念といった根本的な価値観を含みます。これが、完全にとはいかなくてもそれなりの部分で一致できないと信頼関係は結べません。そして、信頼関係が結べない人間を導こうとする人もまた存在しません。
師は弟子を、ゴールまで、とはいかなくても途中までは2人3脚で導いていきます。2人の方向性に全くの相違があれば、導くことなど到底不可能です。誰かを指導する、とはそういうことです。己の人生を通して、何を求めるのか。そこに神秘行が存在する必要があるのか。自分が向かう方角は自分で決めなければいけません。
もし、中途半端なあこがれや中学生レベルの妄想で神秘行にかかわろうとしているのなら、きっぱりと忘れて、目の前の現実を見ることをおすすめします。夢や目標に向かって全力投球してください。夢や目標がなければ、とりあえず目の前の課題を全力で片づけてください。
私が考える、幸せになる方法とはこの一点のみです。