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前回のつづき



情報社会における、あらゆる熱狂を鎮静することができるようになりたい。

外部から受ける刺激に、惑わされてはならない。


ジョルジュ・バタイユの《非―知》は、バタイユの講演録である。

私は、バタイユと萩原朔太郎を読んだことによって、書くことにたいするためらいがなくなった。神秘と日常の思考は相互のあいだで矛盾するものではない、というバタイユの思考方法は、私がいいたかったことを代言してくれているようなものだったのである。


知を放棄することによって、われわれは、非―知の体験に触れることができる。

ただし、バタイユによれば、非―知は『大いなる戯れ』であり、また『戯れは定義できない、思考の抱懐しえないもの』だ。事実の世界には、思考という回路のうちに閉じこめられないものが、存在するのである。

彼は、言語の停止について語ることを怖れずに『わたしが自分の考えを表明する唯一の仕方は沈黙することであって、話したがるのはわたしの悪い癖だということになります』と弁明している。

そして、沈黙する術は『いっさいに耐えうるという可能性』だ、という話で、講演に幕が降ろされた。


今は、皆が話したがる時代となった。あたかも、思考の産物をなんでも語ることが、美徳であるかのように称賛される。それができないことで、他者を妬むものもいる。両方いる。

このような状況の中で、われわれは、非―知の沈黙から離れてしまった。皆、脳の言語中枢を酷使して、燃えつきるまで思考を表明することに努力をそそいでいる。


もしも、議論することによって、皆、おたがいを研鑽しあうことができるならば、理想的だけれども、実際には、うまくいかないものだ。

意識しているか、意識していないかにかかわらず、私情が絡んでしまうことは、多い。自我の強さが、問題だ。相手を論破することにヤッキになってしまう、という熱狂の理由は、それだ。


しかし、その一方で、静かなこころをもつことの必要性も、現代において、叫ばれている。私は、マインドフルネスの流行も、また、そのような、こころの静寂にかえろうとする運動だと思う。

社会的な緊張を緩和するために、沈黙について語ることは、有効だ。


ポール・サイモンは『静寂の音』をよびさますことについて歌っていた。ロック音楽の分野さえも、静寂のこころを詩のことばにのせる人々は、いる。

おそらく、私の世代ならば、サイモンよりも、むしろ、マイケル・スタイプ(《R.E.M》のシンガー・ソングライター)を思い浮かべるだろう。


バタイユの話に戻ることとしよう。

私が驚いたことは、バタイユが、ある部分で、非―知を『解脱』という語で表現しようとしていることだ。

言語の停止によって解脱する、というのは、禅と同じ発想だ。『無言の行』という方法だ。

アステカ文明の血なまぐさい太陽神の儀式や、黒魔術を発想源としながら近代批判をしてきたバタイユが、解脱について語る、というのは、どのような風のふき回しなのだろうか、と私は思った。バタイユは、晩年となって、東洋思想によって開眼したのかもしれない。

あるいは、積極的ニヒリズムというのは、そういうものだ、ということもできる。


もっとも、そのようなことは、たいした発見ではない。

また、ある個人の思想が変化することは、朝令暮改などというものではない。精神の成長が思想に変化をもたらすことは、自然なことだ。

しかし、私は、バタイユの心境が変化したことを知ったときには、意外なことであるように思った。主義をつらぬくことよりも、自己の主義を捨てることのほうが、より、勇気を必要とするものだ。


ブログなど、やめたい、と思うことは、ある。

第一、私のような、単純な人間が、思想を言語化しようとすることじたいが、無謀な挑戦である。今でも、すべてが、手探りなのだ。もしも、この世にすべての人々が十割納得するような、正しい答えがあるならば、私がうかがいたいものだ。

しかし、もともと、このブログは、ただ私の考えを伝えるためだけにはじめたものではない。

思想をことばにする、ということは、私が成長するための過程でもあるのだ。ブログの説明文を『思想探求ブログ』といっているのは『私自身が、いまだに探求している途中にある』という意味だ。


沈黙することができる人物だけが語ることができるようなことばを、できるだけ多く語ろうとすることは、難しいことだ。

しかし、そのようにしてきた人々は、いる。

私も、私のやり方で、そのようにしよう。

すべての表現者たちに敬意を払いながら、私のほかにはだれもできないことを、するのだ。

(令和四年八月廿六日)