ゼロからスタートのブログ

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会社経営をしていた時、そして「今」
そして「これから」

未だ?人生構築まっただ中の私達の成長期♪♪

短くまとめられずですみません。

文章って、得意じゃないなぁ〜、そんな風に思ってます。

で、こちらの投稿の続きになります。。


学会のために関西から来た従兄弟。


従兄弟と私は 会場近くのビジネスホテルで隣の部屋に泊まったのですが、深夜(明け方)に尋常でない声が聞こえて来ました。



部屋に行くもドアは開かず返事もなくホテルの方に部屋を開けてもらった先には



うずくまり、うめいている従兄弟がいました。

痛みで吐いてもいました。




「救急車呼ぶよ!」と言ったのですが

「大丈夫、あと少ししたら薬飲むから、カバンから薬とお水・・」と言われました。



従兄弟は学会の時に

痛みが出る事がない様に、

その時間に合わせて薬を飲もうと思っていた様。


そして、この時にはその前に飲んだ薬が切れてしまったらしくて。。


その後、そばにいて本人の言う時間に合わせて薬を渡しました。


その日に無事に学会も終わり、

帰路に着く際に

「叔母には今回のこと言わないでほしい」と。

叔母を本当に大切にしていた従兄弟。




その後、

会う時にはこの様な事はなく

歩き方の不自然さなどはあったかもですが

笑顔の印象しかありません。



そして



その従兄弟は日本で生物学的製剤の治験の始まる前の年に亡くなりました。。


症状が出てから17年。強直性脊椎炎と診断されてから13年でした。



従兄弟の京都の主治医の先生には


「こんな痛みが続く状態でうつ病にならないなんて凄いよ」


と、従兄弟は言われていたと

後に叔母に聞きましたが・・


亡くなる数年前には

「うつ病になっている」と

叔母は私の母に伝えていました。



そして従兄弟の家には

沢山のステロイド薬と「ステロイド薬の副作用」の事が書かれた多くの論文などが残されていたとも聞きました。


副作用の事を調べ、最低限の薬しか取らなかったのか??



叔母は

「もう本当に限界だったんだと思う、ずっとずっとだったから」と、今会っても言っています。。




「強直性脊椎炎」



初めてこの病名を聞いてから30年以上。


「え?わたしも?」


そんな風に診断を受けた時に思いました。



従兄弟が亡くなったその後、

生物学的製剤が次々と

承認されていきました。



昨日読んだ

「患者さんたちの声」という物には

従兄弟と同じ頃に診断を受けた方が


「治験が始まった事が病気となってからの

ターニングポイントになった」と


書かれていました。



「あと1年早く治験が始まっていたら・・」


「あと1年、頑張れたなら・・」



そう思うと残念な気持ちが

今でも強く湧き上がって来ます。





今の私は・・



「こんな感じなんだからちゃんと病気を自覚しないと」と、行くたびにレントゲン写真を見せられて主治医に言われてます。




痛い時は痛い。


薬を飲んで痛みが治る時もある。


薬を飲んでも注射をしても

痛みが取れず数ヶ月苦しむ時もある。


調子が良ければ普通に動き回る。

(↑これに「加減して」と注意がはいる(笑))




「見えない未来」を想像で不安に思う事なく、


「今」に不快があれば対処をし


意識が病にのみ向かう事がなく 

過ごすようになっています。



今はそんな日々です。



私は病気の事に詳しい訳でもなく、

薬に詳しい訳でもないので

特にこれから皆さんの参考になる事も

書くことはないと思います。



ただ 今回、

病院の転院をしなければならなくなっている今、

ちょこっと思う事があるので、

また次にでも書こうと思ったら

書きたいと思いますニコニコ













すっかりアメブロは「読むの専門」となっていました(笑)


久々の投稿のために自分のブログ見たら以前使っていた背景テンプレート(?)がなくなったのか 背景白いし(笑)



今回ブログを久々に書いてみようと思ったのは、実は強直性脊椎炎でかかっている大学病院の転院をしなければならなくなった、という事から。



昨年からその話はされるも日常生活に戻るとそんな事もあまり考える事もなく過ごしていましたが、今月に入り「もう決めないとならない」となりました。



で、ブログで熱心に病気のことを発信されている方のブログを見ていくうちに「あら、私と同じ病院に行ってる」と思ったところからメッセージを送り、先日お会いしてきました。


この方↓


その事からの流れから、私の過去のブログを読んでくださった方からメッセージなどもらう事もあり、改めて自分のブログ読んだら「強直性脊椎炎」についての記事、とても中途半端で終わってて(笑)


ということで、少し書いてみようと今に至っていますニコニコ



前にも書いてありましたが私は「急性前部ぶどう膜炎」から「強直性脊椎炎」という事が分かりました。


診断が決定的となったのは、私の同じ歳の従兄弟が40年ほど前に「強直性脊椎炎」と診断されていた、という事だったと思っています。(他にも大叔母も主治医曰く、恐らく強直性脊椎炎)



今回書くのはその従兄弟の


「強直性脊椎炎の激しい痛み」


を見た時の事になります。



母と叔母。

この2人にある遺伝子に何かある?



従兄弟の強直性脊椎炎の方は高校生の時からの原因不明の痛みから始まり、成人少し前に京都の先生に診断を告げられた、と言っておりました。



今の様に生物学的製剤も認可されていない頃、その痛みには「ステロイド」が出されていました。



「これ、1番効くよ」と言っていましたが、よほどの痛みの時しか飲んでいなかったと後に知りました。



一度だけ、その従兄弟の激しい痛みを目の当たりにした事があります。



関西に住む従兄弟が関東で学会がある時に、叔母から「ちょっと手伝ってあげてほしい」と言われ東京駅にむかえに行きました。



久しぶりに会って驚きました。



歩き方が前と違う。

私の方を見る時に身体ごとこちらに向ける?


「体調があまり良くないんだな」と聞かずとも分かりました。


その晩に従兄弟の大変な姿を見ました。



会場近くのビジネスホテルで隣の部屋に泊まったのですが、深夜に尋常でない声が聞こえて来ました。



部屋に行くもドアは開かず返事もなくホテルの方に部屋を開けてもらいました。



うずくまり、うめいている従兄弟がいました。

痛みで吐いてもいました。


・・長くなってしまったので、続きは次に



お店が売れてからの「おまけ」話です。


お店が売れた後 家でゆっくりできた事が嬉しかったのは 2週間位でした。


「ひま〜」
「つまんな〜い」

そして出てきた「何やろうかな?」と言う気持ち。


とは言え、これから赤ちゃんが生まれると言う未知の世界が待っているし。


そんな中思いついたのは


「売れたお金で家買ってみよう」でした。


って言っても自分で住む家ではなく、です。


実は結婚をするにあたり、それまで一人暮らしをしていたマンションを引き払う時にこんな事がありました。


一人暮らしをしていたマンションを契約した不動産屋さんが倒産したらしく ある時に


「契約の更新など今後はこちらによろしくお願いします。」と手紙が来ていました。

その手紙には関西地方の住所と個人名が書いてあり

「この人がこのマンションの持ち主になったんだ〜」と思っていました。


解約をする時に 書かれていた所へ電話をしたところ

「私はその部屋の所有者なんだけれど今はここの管理会社に管理を委託しているからそちらへ連絡してください。」と言われました。


「この部屋だけの持ち主??」
「この部屋だけを買ったんですか?」


質問してしまいましたが その方は笑いながら


「そうだよ、投資物件で部屋を幾つか購入してるんだよ」と教えてくれました。


こちらは最近買ったいえ(笑)


ふと、その時のことを思い出した私は早速「不動産屋さん」巡りを始めました。


めちゃくちゃ勉強をさせてもらった事は言うまでもなく


無職にもなっていたし
「融資」なんて事は思う事もなく

「今あるお金」で購入できる物件を探し始めました。


その時は「不動産投資」なんて言葉すら知りませんでした。




「競馬で当たって」


そんな記事を書いたけれど

競馬には2回しか行ったことがありません。


1回目は いっつも会うと競馬で大当たりをしていた

「中華街で餃子を作っているおじさん」が


「府中競馬場が本当に綺麗になってから女の人も増えたんだよね〜」と言っていたので


「行ってみたいなぁ〜」とついて行ったのが1回目でした。


行った時 すごーく広くて開放的で


そして


「馬」がレース前にいる所の近くで本物の「馬」を間近で見た時に


「馬ってこんなに綺麗なんだ〜」と感動をした事を鮮明に覚えています。




(地方で「競馬」を引退した馬を引き取っている所へ行った時)




その日に大当たりをしたのですが 馬券はおじさんの真似して5,000円を3つに掛けた1レースだけ。


そしてレースが始まった時


普段 「絶叫」とかする事なんてない私も


最後の方は思いっきり


「絶叫❗️」


地響きしているみたいな雰囲気にすっかりのまれていました。


当たった事もだけれど


何よりもあんなに広々とした場所で
あんなに興奮した自分にビックリだったし


何よりもあの開放感やら
始まる前のワクワク感やら
走っている馬の美しさやら
レース中の歓声やら
レース後のざわめきとか


全てが感動でした♪♪


そして


新聞を真剣に見ながら
走る前の馬を見ている人がたくさんいて


「ここまで真剣に研究して当てたら本当に最高だろうなぁ〜」と思うと同時に


「そこまで夢中になれるなんて凄いなぁ〜」と
めちゃくちゃそんな人を羨ましく思った事を覚えています。



本当に「初」の競馬経験は


見るもの全てが初めての素敵な経験でした。









花屋さんのお話の最終回・・かな?

つづきです。



全くの初めての「商売」の「花屋さん」


ずーーーっとやりたくて始めた訳でもなく


競馬で当たって🏇


「なんかやってみよぉ〜」と言う気持ちで本当に出来ちゃった最初の「起業」


1年半ほど経った頃、新婚だった私は妊娠しました。


「お店どうしようかな?」


結婚を機にお店から「市」を1つまたいだ所に引っ越しをしていて
45分ほど車を走らせて通勤をしていました。


「お店どうしようかな?」


市場で同業の人にもそんな話をしていたら少しして


「お店を売ってくれるかな?ってうちの社長が言っているんだけど、どう?」と言われました。


「お店ごと買ってくれるの⁉️」


話では


駅ちかや商店街ではなく家賃が安く


でも洗車場もついている大きなガソリンスタンドの側でお墓参りに行く人が多く立ち寄るし


住宅は周りに多く 洗車の時に「園芸もの」のお買い物をしていく人が多くて


「なかなかいい場所にお店を出してるな〜」と言われていたらしく


「辞めるなら是非買いたい!」と。


売らない理由なんて見つからなくって


「もちろん売ります!どうぞ!」

(言葉こそ覚えてはいませんが この言葉通りの気持ちでした)


その後は「リース」の継承やら書類の手続きなどをして難しいことなどなく お店は売却!


もちろん・・

「スタッフ」
「お客様」
「お花の先生」
「市場の方々」


まだまだたくさんの方とのお別れは寂しさを感じました。


でも


そんなこんなで


450万ほどの競馬🏇での「当たり」で始めたお店は


1000万で売れて終わりました。



・・・まるでわらしべ長者だ!




そんな風にその頃は思っていました。


その頃は本当に「商売」など分からず
お店ごと売れるなんてビックリな私ですが

その後の人生では この人生初の


「M&A体験」は私の視野を広げてくれた経験となり


その後の商売でもお店をやめる前に「売却」を考える様になった事は言うまでもありませんでした。