誰が最低だったかなんて
忘れてしまったんだけれど
あの日の花火に
居なくなったのさ、ああ。
ー「八月のレイニー」はるまきごはん
お久しぶりです。演出のもかです。
というわけで、『ビードロ越しの花火』、無事終演しました。
楽しんでいただけたでしょうか?
冒頭に引用した歌詞は、めちゃめちゃ祐介っぽい〜!!!ってなったもので。
機会があればぜひ、聞いてみてください。
感想も沢山ありがとうございます。
とても楽しく読ませていただきました。
言及して〜!ってなったものについていくつか触れつつ、脚本として描きたかったものについて、この場をお借りしてお話出来ればと思います。
〜〜以下ネタバレ注意〜〜
・『ビードロ越しの花火』に込められた意味
これね、感想で7割くらい正解の考察を書いてくれた人が居て!!
アツいです、うれしい。
せっかくなので、ここではタイトルに込めた意味からお話しようかなと思います。
まず、ビードロって何か分かりますか?
普段あまり聞き馴染みのない言葉ではあると思うんです。
ポケモンのルビー・サファイアでちょっと出てきたりなど、ゲーム内ではたまーに聞くかも?
知ってる人いるかも??くらいの認識でいますね。
日本では、ガラス製品を指す古い呼び方です。
そんな「ビードロ」ですが、今回の脚本ではかなり重要な意味を持たせています。
この脚本内では、ビードロ=ラムネ瓶のことです。
各所で出てくるラムネ瓶、特に導入と最後のシーンで祐介が手にしているラムネ瓶は、タイトルの「ビードロ越しの花火」を強く表現しています。
ラムネ瓶越しに見る花火は、きっと少し歪んで見える。
でも、その歪んだ花火も綺麗に見える。
だからこそ、最後の祐介の
「少し歪んで見えるくらいが、ちょうど良かったのかもしれない。」
という言葉につながります。
祐介が作中で現実を歪めて見ていたもの。
それは、凪との関係性です。
祐介にはちょっと可哀想なところもあるけれど、凪との関係を、自分にとって都合の良いように解釈していた。
お互いが特別だと思っている、特別な関係なのだと思っていた。
期待をして、期待通りにならなくて。
でも、その時の祐介には、それが「間違っていた」とは言い切れなかったんじゃないかなと思っています。
だからこそ、あの関係は祐介にとって、少し歪んで見えていたけれど、それでも綺麗だった。
そんなイメージで「ビードロ越しの花火」というタイトルをつけました。
そして、もう一つ。
作中では、祐介と凪がラムネのビー玉を取り出そうとするシーンがあります。
何度やっても、結局ビー玉は取り出せませんでした。
じゃあ、「結局、ビー玉は最後まで取り出せなかった」祐介が、本当に取り出せなかったものは何なのか。
それは、凪の心です。
凪が自分をどう思っていたのか。
あの関係をどう思っていたのか。
自分にとっての「特別」が、凪にとっても同じ「特別」だったのか。
祐介には、最後まで分かりません。
もちろん、凪は祐介の所有物ではありません。
それでも祐介は、もっと近くで知りたかったし、自分にとって特別な存在である凪のことを、自分だけが知っているような気持ちになっていた。
けれど、結局その心の中までは、取り出すことができなかった。
だから、ビー玉は最後まで取り出せないまま。
そして、祐介は今でも、あの夏を「綺麗だった」と思っている。
それが、『ビードロ越しの花火』です。
・この脚本を書こうと思ったきっかけ
1日目の朝に更新したアメブロでも少しだけ言及しましたが、これは私の実体験が元になっています。
ただ、りんご飴を食べたいと言ったら花火大会に誘われた、そんな物語映えする話だから、という理由だけではありません。
ここまでいい感じの関係を築いておいて、私が祐介以上に辛い目に遭ってしまったから。
物語にすることで昇華したい。
あわよくば、大衆にあの話を届けたら面白いんじゃないか。
――悪巧みです。
私は、この物語でいう凪のモデルになったあの人を晒し上げるためにアメブロを書こうとした訳ではないし、当初の思惑通り、無事に昇華できているため、ここで具体的な言及をするつもりもありません。
ただ、私利私欲まみれの目的は、無事すべて達成することができました。
そして、見てくださった方々にも楽しんでいただけた。
なので私は、この夏公演を頑張れてよかったなと思っています。
……と、ここまで書いたところで文字数制限に引っかかりました。
アメブロってこんなに書けないんですね。
私はまだまだ語りたいことがあるんですが????????
という訳で、続きます。