千秋楽が終了したそんな中失礼いたします


誰にも許可を取らずに

勝手にキーボードを叩いております、

劇団深夜特急3回生のいろはです!


本公演では、演出キャスト宣伝美術

そして脚本を担当させていただきました✨


そんな、いろいろな権力を握り締め

やりたい放題させていただいた私から、

昂ぶった今の気持ちのまま、

今回の劇の内容についてちょっとおはなし

(難しかった、というお声も多かったので☺️💦)


でも正直、蛇足感は否めないので

自分なりの解釈を貫きたいのよ!って方にはおすすめしません。

こんなもの読むより、寧ろそれを教えて欲しいです😌

ハッシュタグ #ゼロ特急_真昼の星 で是非🙋‍♀️




いいですね?

話しはじめますよ??



まずはタイトルについて!

本作品のタイトル『真昼の星』には

実は3つの意味が込められていました。


・真昼ちゃんの星

・太陽

・見えないけれどそこにある存在の比喩


皆様、いくつ気が付きましたか??



 今回の作品は、勘づかれた方も多いかと思いますが、(私の本番前のアメブロを読んでくださっていた方は既にご承知だったかと思いますが、)

宮沢賢治の作品、主に『銀河鉄道の夜』『よだかの星』がもとになっております。

 ほとんど銀河鉄道の夜を前面に押し出した作品となりましたが、実は今回の台本を書き始めたきっかけはよだかの星にあったりします。

 あのお話は初めて読んだ時から、どうにも心を抉ってきて仕方がなかったのです。綺麗な星になれたよだかを祝福する気持ちと同時に、綺麗事で無理やり納得させられたようなやるせない気持ちが渦巻きます。


 私なら何をさいわいとするのだろう。私なりに、この二作品に向き合って、噛みついて、考えてみました。その結果が『真昼の星』です。


 しかしながら、この台本は主張に一貫性がない。ような気がしています。


 互いを傷つけ合わないと生きられない世界で生きる意味を見失い、「本当のさいわい」を求め、それでも生きていることに意味がないとは、真昼の死を本当のさいわいとはできない。生きたいとも思えず、死のうとも決められなかった真宵。


 死んだ後の自分にも存在意義を求め、そのために「本当のさいわい」を目指すも、真宵のそばにいたい、真宵の力になりたいというエゴを捨てられない。死後を過ごしながら、それでも死んだら全て終わりだと言う真昼。


 矛盾だらけの登場人物たち。

 2人の主張はぐちゃぐちゃで、お互いの主張も噛み合わなくて。2人とも、本当のさいわいを求めながら、わがままもやめられない。でも、生きて欲しいというわがままが真宵の力になり、見ていてほしいというわがままが死んだ真昼に意味を与えた。


 自分たちのさいわいを選んだ2人は、しかしながら結果として、本当のさいわいを成したとも言える。銀河鉄道の星にはなれなかったけれど、それよりもっとずっと明るい星になった。


 綺麗事を嫌ったら綺麗事に辿り着きました。不思議ですね。


 全員が自分のことだけ考えていては、もちろん世界も社会も成り立ちません。誰かのためを思って行動することはとても素敵なことです。私も、それができる人でありたいと常々思います。

 でも、だから自分の幸せよりみんなの幸せを、と言うには現代を生きる皆様の精神には「人のために」が染み込みすぎているような気がします。もう少し「自分のために」を意識して生きるくらいが、きっと丁度いいのではないでしょうか。


 誰かのために生きることが素敵だと思える人は、きっと案外自分のために生きても、自分のためだけに生きているつもりでも、知らないうちにそれが巡り巡って人のためになっていたりするものです。知らんけど。


「人生は冥土までの暇つぶし」

という言葉をどこかで聞きました。

暇つぶしなら楽しまないと損ですよね。

自分のさいわいの責任者は自分しかいないのですから。



珍しく真面目に語ってしまいました💦


お客様の心それぞれに三者三様の何かが、傷として、光として、残っていればいいなと思います。一つにはきっと定まりません。私が一つに定められなかったから。




改めまして皆さま

ご来場、誠にありがとうございました


(文責:いろは)