女の子が主人公。学園もの。そして当然、宇宙世紀(UC)ではない...
先日、めでたく最終回を迎えた『機動戦士ガンダム 水星の魔女』。かなりの高評価を受けた作品でしたが、未だスルーしてる方も多いのではないでしょうか(とくに絶対UC主義のガンダムファンの皆さま)。
かくいう間口は人並みの量産型ガンオタ(「OO」「鉄血」も大好き♪)である自分も、なかなか食指が動かなかったうちの一人。
「女の子が主人公はまだしも...学園ものはないわな」
そんな冷ややかな見方をしていたワケですが、何気に観た前日談「PROLOGUE」から評価が一転。
「これぞまさにガンダム。しかも、とんでもなく面白いeee!!」
てな感じで、プライムで「Season1」を一気見。心待ちにしていた「Season2」もあっという間に終了。
最近はガンプラ作りつつ、本作の考察・感想動画を楽しんでましたが、自分もフレッシュな気分のうちに「水星ちゃん」感想を、ブログに残してみっかと思った次第。
未見の方を想定してサラッと書きたかったのですが、なかなかに長くなりそうなので上下編ということでお許し下さい
ストーリー
「ヴァナディース事変」と呼ばれたフォールクヴァングの襲撃から21年。ガンダム開発者が「魔女」と呼ばれるようになったA.S.(アド・ステラ )122。
モビルスーツ産業最大手「ベネリットグループ」が運営する「アスティカシア高等専門学園」に、辺境の地・水星から一人の少女が編入する。名はスレッタ・マーキュリー。
「ヴァナディース事変」の首謀者、デリングの一人娘ミオリネ・レンブランを救助した彼女は、ミオリネに婚姻を強引に迫るグエル・ジェタークとMSによる決闘を受諾。愛機のガンダム・エアリアルで圧勝するのだが...
感想
自分は本作肯定派。その根底の理由として「ガンダム的世界観のクリア」を非常にスマートに果たしてくれたことにあります。
「そもそもガンダム的世界観とは何ぞや??」ですが、それは「登場する機体/モビルスーツ(以下「MS」)はあくまで兵器であり、MSが活躍するのは現実感が伴う、リアリティある世界が舞台」と考えています(もちろんあくまで個人的!)
いくらカッコいいMSが登場しても、それがバーチャル的存在、ファジーな世界観は基本的に✖︎(「Gガン」は別)。硝煙漂う、血なまぐさい戦場に存在してこそ「ガンダム」であると思うワケです。
本作で先ず引っかかったのは、学園内で生徒同士がMSで決闘するという、コロコロコミックのような設定。その世界観、何なんだよという拒否反応は当然至極。
しかし、本作が秀逸なのは、実はMSの実戦データを収集するために企業が「決闘」を利用しており、兵器の実戦コンペの側面があるということ。これは上手いこと考えたわ~。
時代背景は、宇宙進出を果たした企業による巨大経済圏が構築され、企業が国家を超える力を持ち始めたという、まさにアーマードコア的世界観。
しかも、企業はスペーシアンとアーシアンの対立を煽り、「戦争シェアリング」で金儲けに奔走しているという、明るい学園ドラマの裏側で、ディストピア的世界が広がっているというのもタマりません!!
肝心かなめのMS群も非常に魅力的なラインナップ。デザインは作中勢力ごとにデザイナーが割り振られているという、なかなかに贅沢な試み。
また学園内のMSは、派手目カラーリングですが、実戦データを基に開発したMSはかなりシブい兵器然とした佇まいというのも、リアリティマシマシ♩
そして主役機「ガンダム・エアリアル」。このコの造形がなんとも有機的。
何気なく観ると、トリコロールカラーの定番ガンダムですが、よくよくみると細マッチョぽい人体造形(とくに腹部・太もも)。実はガンプラ完成(HG)させるまでは、気が付かなかったんですが、コイツはか・な・り新鮮。
また固定武装にビットがあるのが、本ガンダム最大の特徴。オールレンジ攻撃を当たり前のように繰り出すガンダムって、もはや無双。ファンネル・ビット装備のないMSに勝ち目はないぜ、こりゃ!!
そして作画が毎回、劇場映画なみのハイクオリティ。昨今のアニメ事情は知りませんが、作画崩壊の回が一切ないのは、もう単純にエクセレント。縦横無尽に駆け回る、濃密なMS戦を堪能できるのは贅沢なことこの上なし。
とはいえ、『水星の魔女』が初ガンダムの新規ファンは、古のガンダム作品の数々は映像的に正直キツイかもしれませんね(^^;
ということで、次回後編に続きます。再度、お付き合いいたたげると幸いです!!
満足度 ???点