仮面ライダーシリーズは、まさに日本特撮界を代表する作品です。

 

自らのライダー歴を振り返れば、「ストロンガー」までは昭和ライダーを熱狂的に観ていた少年も「スカイライダー」で失速。以降の昭和ライダーはほとんど観ることはありませんでした。

 

それから長い時を経て、運命的な作品「仮面ライダー龍騎」との遭遇。

 

生き残るために殺し合う、仮面ライダーのバトルロワイアルに、文字通り心を鷲掴みにされました。

 

そして平成ライダーに傾倒した青年は、オッサンになった現在もリアルタイムで仮面ライダー作品をせっせと観続けておりますσ(´∀`●)アタシ

 

当然、劇場版作品も数多く観てきており、そろそろ仮面ライダー映画をブログにあげてみっかなどと思い選んだのが『劇場版 仮面ライダーゼロワン REAL×TIME』

 

...のはずでしたが、前フリでTVシリーズについて書いてみると、何ともけっこうなボリュームにあせる

 

ということで、今回は「仮面ライダーゼロワン」TVシリーズの感想報告イッテみたいと思います。

 

 

 

(2019年9月1日から2020年8月31日 全45話)

 

 

  TVシリーズ「 仮面ライダーゼロワン」

 

令和第1作目の「仮面ライダーゼロワン」。現時点(2022年9月)では令和最高の仮面ライダーと言ってよいかと思います。

 

特に作品の持つ現代性、テーマ性の志の高さが他の2作品とは段違いです。

 

本作はAIと人類との共存がテーマとなっています。

 

人工知能搭載人型ロボ「ヒューマギア」。彼らは人間の仕事をサポートするために存在しますが、この手の話のパターン通り、彼らの一部(滅亡迅雷.net)は人間に反乱を起こします。

 

当然、人類側(A.I.M.S)も反撃。「ターミネーター」のスカイネットを出すまでもなく、反旗を翻したAIは人類にとって最強最悪の敵。「ヒューマギア」勝利であればディストピア。人類側勝利であれば「ヒューマギア」側の殲滅。それ以外の決着は、想像しずらいところなのですが...

 

幾多の戦いを経て、最後は人類と「ヒューマギア」が共存する世界を迎えます。

 

バトルもので考えれば、AI対人類との徹底抗戦を描く方が単純明快、ストーリーも描きやすかったと思います。

 

しかし、本作は「共存」というあえて困難な結末を選び、それが多くの視聴者が納得できる形で成し遂げた、稀有な作品なのです。

 

その要因として人間ドラマの素晴らしさ。特に或人とイズの関係性が、心を打つものであったからに他ありません。

 

仮面ライダーとしてのルックも、非常にスッキリ、近年稀にみるカッコよさ(強化フォームがゴテゴテしていないのも秀逸)。テクノロジーによる変身も個人的には好みです。

 

また主人公以外のライダーたちのキャラクター性の強さも、作品の娯楽性を非常に高めていたと思います(これについては後述)。

 

もちろん、全てがよかったワケではありません。

 

「お仕事5番勝負」というストーリー展開を遅らせ、かつあまり面白くない題材を前後編で行うという悪手!!

 

しかも、これだけで第17話~29話と相当なボリューム。せめて3番勝負、1話完結の箸休め回にして欲しかったです、マジで。

 

また本作はコロナ禍が直撃した作品であり、撮影が遅れて総集編の話が何話も続いたこともありました(不可抗力ですが、「お仕事5番勝負」がなければ滅亡迅雷.netの4人での揃い組がもっとみられたハズ!!)。

 

 

※ダークテイストで固めた仮面ライダー4人衆。カッコ良すぎ。

 

 

とはいえ、トータルでみれば群雄割拠の「平成ライダーシリーズ」と比べても、遜色ない出来だったかと思います。

 

 

最終回で号泣したのは、仮面ライダーシリーズで本作以外にはありません。

 

 

 

満足度 70点

 

 

 

  複数ライダーについて

 

昭和の仮面ライダーは、そもそもシリーズ1人が定番でした。

 

平成ライダーもクウガだけは1人でしたが、シリーズを重ねるごとに2号ライダーや3号ライダーが登場。龍騎に限っては13人ということもありました。

 

ここで大事なのは、ライダーの数だけ増えても話が面白くなるワケではないということです。現に「クウガ」はいま観ても圧倒的な面白さです。

 

ライダーの数が多ければ画的にハデですが、ホントに小さな子供以外は薄っぺらなストーリーは見透かされると思います。

 

先ず重要なのはストーリー。それは間違いありません。それをクリアした上で、複数ライダーが作品の魅力を増大させる条件は二つあると考えます。

  

 

各ライダーのキッチリとしたキャラクター性。

 

「龍騎」のダントツの面白さの一つはコレだと思いますし、「ゼロワン」も各ライダーのキャラクターはしっかり確立していました。


キャラクター性とは記号ではありません。カレーが好きだ、美人に弱い、犬がキラい。そういうことではありません。

 

生きている人間は単純にみえてフクザツです。キャラクター性はそういったものを内包しているものだと考えてます。

 

変身者(変身前の人間)が、各作品の世界の中で本当に生きていると思わせてくれる存在感とリアリティ。そして、その上での強い個性。それがキャラクター性だと思うのです。

 

大声あげて悲壮感ぶってる、現実味のない人物ではキャラクター性があるとは思えません。

 

変身者の延長線上にあるのが、仮面ライダーとしてのキャラクターなのです。特殊能力も大事ですが、あくまでオプションです。

 

「個」として確立したキャラクター性が強い者たちが、それぞれの思惑で変身する。そこで初めて、複数ライダーとしての魅力が成り立つと思うのです。

 

記号化された変身者がライダーに変身しても、それはただの着ぐるみ。何の思い入れも湧きません。

 

 

対立(納得できる理由)あっての共闘

 

個々の目的の違い、考え方の相違、そもそも敵味方。色々あると思います。

 

そんな彼らに共通の敵が現れ、一時的に手を組む。今まで決して相いれなかった者同士が、恩讐を超えて肩を並べて闘う。

 

そこで生まれるカタルシスはハンパではありません!!

 

例を挙げれば、サウザー/天津垓が、ゼロワン/飛電或人と初めて共闘するエピソード(38~39話)。

 

ヒューマギアとの共存を目指す或人VSヒューマギアを全否定するそんな二人が、強大な敵である仮面ライダーアークゼロに闘いを挑む。

 

たった二人のライダーですが、シリーズを観てきた者にとって、あそこまで対立していた彼らが共に戦うのです。その興奮度といったら最初からクライマックスです。

 

対立構造が明確で強固なほど、その反動が大きなカタルシスにつながります。延々と続く兄弟ゲンカでは何の肥やしにもなりません。

 

 

結論を言えば、複数ライダーは「是」だと思いますが、安易な取り扱いは作品をつまらなくします。正直、令和の仮面ライダーシリーズ(ゼロワン以外)はかなりヤバい領域に入っているかと思います。

 

 

  仮面ライダーギーツ

 

「仮面ライダーゼロワン」のことを書くつもりが、近年TVシリーズの愚痴になった気がします(こんなこと話せる人いませんしね...)。

 

とはいえ、9月新スタートの「仮面ライダーギーツ」はかなり攻めた内容。久しぶりに期待できそうな仮面ライダーです(メイン脚本が「ゼロワン」と同じ高橋 悠也氏)。

 

 

 

 

このまま「ドンブラ」(最高!!)にすべて持っていかれるのは、ライダーファンとして歯がゆいところですし、平成ライダー1期のころの興奮をぜひ「ギーツ」には体現してもらいたいですね。

 

次回はようやく『劇場版 仮面ライダーゼロワン REAL×TIME』の感想です。よろしければ、再度お立ち寄りください。