本日の 読売 朝刊、「 編集手帳 」 の ご紹介です。

 

 

テレビ の カラー 放送は 1960 年 に 始まった。

 

ただし カラー テレビ が 高額と あって、家庭への普及は 70 年代に なっても 30 % ほどに とどまった。

 

初代 「 ウルトラマン 」 の 放送、あるいは 人気を 得ての 再放送は、カラー テレビの 伸び悩みの 時期に あたる。

 

ある 世代の 記憶を探れば、ウルトラマンが 手を 十字に組んで放つ 必殺技 「 スペシウム光線 」 が 白黒画面の なかに 焼きついているかも しれない。

 

昔の 子供たち には 「 カラー が 何だ 」 と いうのが 大方の 感想だろう。

 

その 怪獣を倒す 迫力ある 光の筋は、実は 人の手から 生み出されたものだという。

 

スペシウム光線 を 描いた 光学合成 技師、飯塚 定雄 さん が 88歳 で 亡くなった。

 

洋画家の 東郷青児に 絵を 学んだのち 映画の道に 入り、円谷 英二 監督の 勧めで 「 光学作画 」 を 専門に するように なったという。

 

フィルムに 仕上げるまで、きめ細かな 光の筋は すべて 手書きだった というから 驚かされる。

 

特撮技術を 押し上げた技に 敬意と 感謝を 表したい。

 

わが家に カラー テレビが なかなか 来なかったことを 思い出す。

 

モノクロで 見る スペシウム光線には、再々放送 ぐらいまで お世話になった。

 

 

その後、 社会面に 目を通すと、このような 記事を 見つけました。

 

 

「 スペシウム光線 」 描いた 光学合成技師 ・ 飯塚定雄さん 死去、88歳 … シン ・ ウルトラマンでも

 

「 ウルトラマン 」 の 特殊撮影で、必殺技 「 スペシウム光線 」を 描いたことで 知られる 光学合成技師、飯塚定雄さんが 24日、誤えん性肺炎 の ため、死去した。 88歳だった。

 

東京生まれ。 高校時代に 洋画家、東郷青児に 絵画を 学んだ。

 

「 ゴジラ 」 など 映画の 美術助手を していたが、円谷英二に 勧められて 光学作画を するようになり、以降は 第一人者 と して 特撮作品で 活躍した。

 

1966 年 に 放送が 始まった 「 ウルトラマン 」 では、手描き した線を 基に スペシウム光線 が 誕生した。

 

昨年 公開された映画 「 シン ・ ウルトラマン 」 でも、光線を 描いていた。

 

 

 

当時は 漫然と、この番組を 見ていたのだけど、その 裏側では、こんな 手の 込んだ、高度な 技術が 導入されて いたんだなあ と、改めて 感動した 次第です。

 

〔 了 〕