本日の 「 読売 歌壇 」 に 掲載された 短歌の ご紹介です。
「 選 」 並びに 「 評 」 は 歌人の 小池光さん。
まずは 一首目。
「高橋和巳全集」 を 書架より 外す
青春に いざ さらば する 友
東京都 唐木よし子
【 評 】
むかし 愛読されて、いま 顧みられること 少なくなった 本は 多いが、高橋和巳 なども まさしく そうだ。
胸 痛むが 思い切って 捨てる。
あたらしい 生を もう一度 生きるために。
― 筆者の感想 ―
この作家の名前は、筆者が若かったころ、目にした 記憶が あります。
その本は 読んだことは ないのですが。
Wiki には こう 説明されています ――
「 日本の小説家で 中国文学者。 中国古典を 現代人に語ることに努める 傍ら、現代社会の 様々な問題について 発言し、全共闘世代の 間で 多くの読者を 得た。
代表作に 『 悲の器 』、『 邪宗門 』 など 」。
ちなみに 「 全共闘世代 」 は、 筆者の 少し 歳上 です。
小池さんの 「 あたらしい 生を もう一度 生きるために 」 と いう 評が、この歌に 新しい発見を させてくれます。
殺生の 資格あるのか 人間に
インフルエンザに かかりし 鶏 ( とり ) の
北九州市 白木典子
【 評 】
鳥インフルエンザ と いう 厄介な 病気があって、見つかると 数万羽、数十万羽の ニワトリが 一夜で 殺処分 される。
すごい 話だ。
作者の素朴な 問いかけに、はっ と させられる。
南天が 雪が降るのを 待っている
早く 兎の眼に なりたい と
奈良県 松本悦子
【 評 】
雪の歌は めずらしくないが、南天の 実の 側に 立ち、雪を 待ってる発想が ユニークだ。
早く わたしを 雪兎 ( ゆき うさぎ ) の 眼 ( め ) に して おくれ。
最後の 歌です。
正月は 「祝う 今日こそ 楽しけれ」
係り結び を 知らず 歌い き
ひたちなか市 新山英輔
この歌は 入選は しなかったけど、筆者が 面白い と 思ったものです。
童謡 「 一月 一日 」 の 歌詞の 一部が 「 係り 結び 」 に なって いるのを 知らずに、これまで 歌っていた と いう 感慨です。
「 係り 結び 」 とは、これまた 懐かしい。
高校生の頃、古文の授業で 一生懸命、暗記 したものです(笑)
文法書によると、これは
「 文語文の 文中に 係助詞 『 ぞ 』 『 なむ 』 『 や 』 『 か 』 『 こそ 』 が 用いられた場合、文末の活用語に 特定の活用形を用いて、文を 終止する 決まりのこと 」。
先の童謡で 言うと、元の文は 「 祝う 今日は 楽しけり 」。
ここに 「 こそ 」 と いう 「 他から きわだたせる 係助詞 」 が 加わることで
「 祝う 今日こそ 楽しけれ 」 と 変化する。
「 けれ 」 は 「 けり 」 と いう 「 ある 事実に 初めて気づいた と いう 驚き 」 を 表わす 助動詞の 「 已然形 」 ( いぜん けい ) です。
( すみません。 「 何を ゴチャ ゴチャ と、わけ の わからんこと を 言って いるのだ 」 と いう お叱りは、素直に 受け入れます 笑 )
理屈っぽい 話の 続きで もう 一言 ――
「 已然形 」 とは 活用語 ( 用言 および 助動詞 ) の 語形の 一つで、文語 だけに ある 活用形。 「 已 ( すで ) に 然 ( しか ) り 」 ( もう そうなっている ) と いう 確定を表わす形で ある。 活用表では 第 5 段に 置かれる 」。
え、なんですか ?
「 それで もう、気が 済んだか ? 」 ですって ?
ええ、もう 十分、語り 尽くしました(笑)。
最後に……
「 え? まだ やるのか ! 」 と いう あきれ顔を 無視して……
この 「 係り 結び 」 の 例として、卒業式の 定番ソング 「 仰げば 尊し 」 の 歌詞を ご紹介して、この稿を 終えます。
仰げば 尊し わが師の 恩
教えの 庭にも はや 幾年 ( いくとせ )
思えば いと 疾し( とし ) この 年月 ( としつき )
今こそ 別れめ いざ さらば
この 最後の一句は、元々 「 今は 別れむ いざ さらば 」。
「 別れむ 」 の 「 む 」 は 「 意志 ・ 意向 」 を 表わす 助動詞。
従って この 句の 意味は 「 今は 別れよう いざ さらば 」。
これに 「 強調 」 を 表わす係助詞 「 こそ 」 が 加わると、「 別れむ 」 が 已然形 と なって 「 今こそ 別れめ 」。
「 今こそ 別れよう 」 と 変化する。
「 別れめ 」 は 「 別れ目 」 では ないんですね。
…… ん ? でも 一体、「 別れ目 」 って 何 なんだ(笑)
〔 了 〕