本日、8月 6日 の 読売新聞 に 掲載された 「 編集手帳 」 の 全文引用です。

 

 

これまで どんなふうに、私たちは 原爆忌を 迎えて来たろう ?

 

俳人の 曽根原幾子さんに、その答えで あるかのような 一句が ある。

 

< 粥に塩ふる 八月六日の卓 >

 

普段と すこしも変わらない日として、朝の食卓が 詠まれている。

 

朝がゆ に 塩をふる 平凡な日々が いかに貴いか、と いうことに 思いをめぐらし、静かな心持ちで 平和を受け止めるのである。

 

今年は 以前と ちがった慰霊の日に 感じられるだろう。

 

侵略戦争を 引き起こした 国がある。

 

ウクライナ侵攻が 始まって 半年近くの間には、ロシアが 核兵器使用を 脅しに使う 局面も あった。

 

核を保有しながら 沈黙する ことと、使用を ほのめかすことは かなり 違う。

 

「 平和の維持 」 を 憲章に掲げる国連の 安保理 常任理事国の 一つが、人道は どうでもいいと 言っているに 等しい。

 

極言すれば、元々 か細い国連を中心とする 世界の秩序が、紙の上の文字でしか なかった可能性を 告げられたようなものだろう。

 

それに抗するため 唯一の被爆国 日本にしか できないことがある。

 

核兵器が どれほどの惨禍に 及ぶかを 伝える活動に 尽きよう。

 

静かに平和を受け止める 8月6日を、また いつか。

 

 

この記事は 「 核兵器 使用を 脅しに 使う国 」 が 「 『 平和の維持 』 を 憲章に掲げる国連の 安保理 常任理事国の 一つで ある 」 ことの 理不尽さ と、「 元々 か細い国連を中心とする 世界の秩序が、紙の上の 文字でしか なかった可能性 」 を 指摘している。

 

これを読んで、6月15日の 読売に 掲載された「 憲法は 機能しているか 」 と いう 記事を 思い起こした。

 

筆者のブログにも 取り上げたので 再掲する。

 

是非とも ご一読を 願います。

 

 

 

 

〔 了 〕