7月 1日 付け 毎日・夕刊 に こんな タイトルの 記事が 載りました。

 

「 『 あさき ゆめみし 』 『 日出処の天子 』 巨匠 2人、友情 紡いだ 半世紀 」

 

これは 昭和を代表する 著名な 女性漫画家 お二人の、最近の動向を 伝えるものです。

 

筆者は お二人の作品は 読んだことが ないのですが、興味深い エピソードが 書かれていますので お時間が ある方は ご一読してみてください。

 

― 以下、その全文引用 ―

 

 源氏物語を漫画化し、受験生が 必ず読む と 言われる 人気漫画 「 あさき ゆめみし 」 などで 知られる 大和和紀さん( 74 )と、聖徳太子を 独自の設定で 描き、熱狂的なファンを生み出した 人気漫画 「 日出処の天子 ( ひ いづるところの てんし ) 」 などで 知られる 山岸凉子さん ( 74 ) の 巨匠 2人が、故郷の北海道に マンガ ミュージアムを つくりたいと 奔走している。

 

実は 2人は 高校時代からの 友人。

 

「 あさき ゆめみし 」 と 「 日出処の天子 」 が 誕生した背景、そして 2人の 半世紀の 友情秘話を 語ってもらった。  【上東麻子 】

 

 東京都内の ホテルの ラウンジ。

何度も読み返し、同級生たちと語り合った作品の数々を 思い出していた。

 

「 お待たせしてしまって…… 」 と、小柄で 上品な女性たちが 笑顔を こちらに向けていた。

 

大和さんは 1966年、「 どろぼう天使 」 で デビュー。

 

 

大正時代を舞台に 陸軍少尉と 快活な女学生・花村紅緒の 波乱万丈の恋物語 「 はいからさんが通る 」 で 第 1 回 講談社 漫画賞を 受賞。

 

長編 「 あさき ゆめみし 」 は 15年 かけて 月刊誌などに 連載。

 

歴史を舞台にした作品が多く、これまでに 「 ヨコハマ物語 」 「 N.Y.小町 」 など 40 作品 以上を 送り出してきた。

 

 山岸さんは 69年に 「 レフト アンド ライト 」 で デビュー。

 

71年に 連載を始めた 「 アラベスク 」 は 初の 本格バレエ漫画 として 人気となった。

 

80年 に 連載を開始した 「 日出処の天子 」 で 第 7 回 講談社漫画賞。

 

美しい人物や 背景の描写、独特の世界観で 知られる。

 

ホラー作品も多く 150作品以上を 発表している。

 

 

  「 もうすぐ デビュー 」 手塚治虫の予言

 

 2人がデビューした当初は、「 漫画は 小学生が 読むもので、中学生になると 読んじゃ いけない時代だった 」 と いう。

 

そんな時代に 漫画を描くようになった 2 人は 高校時代に 共通の知人を介して 知り合い、切磋琢磨 ( せっさたくま ) するようになった。

 

 デビュー前。 2 人には 忘れられない エピソードがある。

 

高校時代、2 人が 尊敬する 手塚治虫が 札幌に 来るという。

 

描いている作品を 見てもらいたい。

 

訪問中の予定を調べ、2 人で 待ち伏せして 作品を見てもらえないかと頼んでみた。

 

 

手塚さんは 2 人の作品を丁寧に 見た上で、こう 講評したという。

 

「 本当に 好きなんだね。 もうすぐ デビューするよ 」 と 大和さんに。

 

「 もう 少し かかるね 」 と 山岸さんに、それぞれ 声を かけたのだ。

 

 「 そりゃあ、神様ですから、うれしかったですね 」 と 大和さんは 目を 細めて 振り返る。

 

 「 神様 」 の 予言通り 大和さんは 18歳でデビュー。 北星学園女子短大在学中から 漫画家として 活動を開始し、卒業後に上京して 本格的に 仕事を スタートさせた。

 

山岸さんも 北海道女子短大を 経て、大和さんから 3 年 遅れて デビューした。

 

2人は 大和さん、山岸さんの順番で 締め切りに 追われる日々に突入していく。

 

 三島由紀夫が 自殺しても 「 それが 何 ? 」

 

 「 忙しかったわねえ 」 と 顔を見合わせる 2人。 今でも 覚えている 会話がある。

 

 三島由紀夫が自殺した 70年、山岸さんが 「 大変な事件が 起きた 」 と 大和さんに 電話をかけた。

 

 ところが 電話を取った 大和さんは 「 それが 何 ? 今、それどころじゃ ないから ! 」 と ガチャンと 電話を 切ったという。

 

大和さんは 「 あはは、締め切り前 って 鬼気迫る 状態なのよね 」と 苦笑い している。

 

当時、2人は 20代。

遊びたく なかったのだろうか。

 

 そう聞くと、大和さんは 「 それどころじゃ ないですよ。 目の前の 仕事が あるし、遊びたくて 東京に 来ているわけじゃないから。

そういえば 当時 流行の ゴーゴー喫茶に 2、3 回だけ 行ったね 」 と 山岸さんの方を 見た。

 

 同意を求められた 山岸さんは 「 そう、行きましたね。 懐かしいわ。 でも、楽しみは 寝ること だったわね。 いつも 睡眠不足だったから 」 と、やはり 思い出すのは 仕事の忙しさだ。

 

「 怒とう 」 「 鬼気迫る 」 「睡眠不足」。

漫画のようなセリフを ポンポンと 繰り出し、なんだか 懐かしそうな 2人である。

 

 時代の 先駆けと なって

 

 「 日出処の天子 」 の 独特な 厩戸王子 ( うまやどのおうじ )( 聖徳太子 ) の イメージは、古代 東アジアの 国際政治家として描いた 梅原猛の大著 「 聖徳太子 」 などから 着想を 得たという。

 

 

しかし、聖徳太子が超能力者で 同性愛者という設定は 当時、編集部で 「 ちょっと これは…… 」 と 物議を 醸したという。

LGBTQ と いう 言葉も なかった時代である。

 

「 主人公の設定を 何か もう少し…… 」 と 描き直しを求める編集部の声に 山岸さんは 耳を 貸さず、方針を貫く。

 

連載が 始まると 熱狂的なファンが つき、作品は 累計 350万部の 大ヒットと なっていく。

 

 一方、大和さんの 「 あさき ゆめみし 」 は、きらびやかな 光源氏と 彼を とりまく 宮中の女性の 壮大な恋愛劇。

 

歴史小説 好きな 大和さんの、源氏物語を いつか 漫画にしたいとの 思いを 果たした 作品だ。

 

 

「 のめりこんで 凝りに 凝って 描くことの 幸せを 実感しましたね 」。

 

累計発行部数 1800 万部 を 超える 金字塔に なった。

 

 「 漫画家は 映画監督で あり、美術、時代考証家、脚本家、そして 役者なんです。 全部 やらなきゃ いけない。

一人映画 みたいな ものです 」 と 大和さん。

 

40 代ごろ からは 仕事のペースを 落としながらも 2017年 まで 連載を持ち、現在は 自作の 原画の修復や 保存作業などに 軸足を 移している。

 

山岸さんも 20年まで 連載を持ち、今は マイペースに 漫画制作に 取り組んでいる。

 

連載の 締め切りに 追われる生活を 長く 続けられたのは、「 漫画が 好きだから 」。

 

今でも 若い作家たちの 漫画を 読み続けているという。

 

「 最近は 美大出身の漫画家も多く、絵も うまいし、アニメ世代なので、動きが 立体的な 感じで いいですね 」 と 評価する。

 

 大和さんは 40 歳 手前で 結婚し、母 でも ある。

 

山岸さんは 「 おひとりさま 」 を 楽しむ。

 

12月 25日 を すぎると 売れ残る クリスマスケーキに なぞらえて、女性は 25 歳までに 結婚するのが よい と された時代だった。

 

 「 友達は みな 24 歳までに 結婚しちゃいました。 でも、自分を表現する手段として 漫画を 選んだ人生に 悔いは ありませんね 」 と 山岸さん。

 

大和さんも 「 もし 普通に OL ( 和製英語 オフィス レディの 略語 ) に なっていたら、それなりに やっていたと思う。

でも、自分の感受性を 押し殺すのは つらいことですよね。 漫画家になれて よかった 」。

 

 北海道に 漫画の 殿堂を

 

 そして 今、2 人が 情熱を燃やすのが、マンガ ミュージアム の 建設である。

 

「 北海道出身の 優れた漫画家が 大勢います。 北海道の生んだ宝。 この人たちの 作品の数々を 一堂に会して 見ることができたら…… 」 と 思った。

 

それを 山岸さんに 相談したところ 「 やるべきよ。 手伝うわ 」 と 背中を 押された。

 

2人の夢は 「  北海道 マンガ ミュージアム構想 」 と して 走り出している。

 

発起人代表は 大和さん、副代表を 山岸さん、事務局を 旧知の編集者 ( 元 ダ・ヴィンチ編集長 の 横里隆氏 ) が 務める。

 

昨年から 北海道に ゆかりのある漫画家に 呼びかけたところ、ヤマザキマリさん、荒川弘さん、いくえみ綾さん、石川サブロウさんら 18人が 発起人に、4人が 賛同者として 名を 連ねてくれた。

 

 1 年前から、2 人は札幌市などに 協力を 依頼するために 何度も 足を運び、札幌市では 4 月から ミュージアムが 建設できるかどうか 具体的な 検討を 始めるところまで こぎつけた。

 

目指すのは 原画の保管や 展示などを 行い、漫画文化の発信拠点となる施設だ。

 

 こうした プロジェクトは 2 人 には 初めて。

 

「 全く 違うことをするのは 面白い。 いろんな人に 出会って 社会勉強にも なりますしね 」 と 大和さん。

 

山岸さんも 「 いろんな苦労があって、『 マンガ ミュージアム が できるまで 』 っていう 漫画が 一冊 描けそう 」 と 笑う。

 

高校生のころに 手塚治虫を 待ち伏せしたような感じで 語り合う 2 人。

 

山岸さんが NG と いうことで 写真で お見せすることはできないが、何だか 楽しそうだ。

 

 「 この年になるとね、何をしていても 楽しいの。 でも やっぱり 漫画が好き 」 と 大和さん。

 

山岸さんも 大きく うなずき、「 小説は 文字しか ないけれど、漫画は 絵と 文字の 両方がある。 映画や アニメは 大勢でないと できないけれど、漫画は 一人でも 描ける。 そういう意味でマンガは 強い メディア。 可能性を もっと知ってもらいたいですね 」 と 意気込む。

 

北海道出身の 漫画家 2 人の挑戦は 続く。

 

〔 了 〕