酒と つまみ に 関するエッセイ を 2 編、ご紹介します。
〔 ウイスキーの 水割りについて 〕
今年の 4 月。
文春文庫から、東海林さだおさんの エッセイ集 「 シウマイの 丸かじり 」 が 出版された。
その中の一編、 「 真夜中に聞く 氷の コトリ 」 を ご紹介します。
タイトルにある 「 コトリ 」 は 「 小鳥 」 ではありません(笑)
ウイスキーの水割りに入っている氷の塊が、そっと 溶けていく音です。
さて、東海林さんは、 我々の 日常の 「 生活音 」 から 説き起こしていくのですが、これがなかなか 哲学っぽいのです(笑)
こんな書き出しです ――。
「 生活は 音を立てる。
生活には 音がある。
人間は音をたてないで 生きていくことは できない。
朝から晩まで、なにがしかの音を立てながら 人間は生きていく。
何か行えば 何か音が出る。
食だけに限っても 様々な食の音がある 」。
―― 続けて、その具体例を列挙していきます。
「 いまは もう聞くことはなくなったが、朝の牛乳屋さんの配達の音。 牛乳瓶が触れ合って たてる ガチャ ガチャ という音。
あれは まさに、一日の食生活のスタートの音だった 」。
「 朝、洋食だったら パン と 牛乳と目玉焼き ということになる。
目玉焼きの卵を テーブル に コン と 当てて割る。
割れすぎないように、しかし 確実に割れるように、 コン。
この コン だって 立派な 生活の音なのだ。
和食なら ゴハン に 味噌汁。
味噌汁の具は たとえば 大根の千六本としよう。
昔の朝だったら、どの家の台所からも 包丁で まな板を トントンたたく音が 聞こえてきたものだった。
みんな 台所から聞こえてくる トントン で 目を さましたものだった。
トントン は 母の音でもあった。
♪ あのー トントン は 聞こえないー
・ ・ 時は 流れーたー 」 (笑)
―― さて、ここから おいしそうな ウイスキーの 水割りの話になります。
「 深夜、台所に用事があって 冷蔵庫のそばを通ると、冷蔵庫の底の方から、あれは どう表現したらよいか、ゴソゴソ と いうか ゴトゴト と いうか、そういう低い音が聞こえてくることがある。
冷蔵庫が何か ゴソゴソ やっているのだ。
たぶん 氷が出来上がったので、それを下の容器に 落としている音だと思う。
あの音に なぜか感動を覚える。 あ、 ちゃんと やってるんだ、という感動。
深夜にも かかわらず、人知れず、陰日向 ( かげひなた ) なく、誠実を尽くして働いている冷蔵庫。
そのことを 誇るでもなく、ひそかに、寡黙に、業務に励む冷蔵庫。
人間は 夜は休む。 冷蔵庫だって休んでいいのに、 「 いいえ、そういうわけには いきません 」 という 実直な人柄。
その氷も 時には 思わぬ音を たてることがある。
これも やはり深夜。
本を読みながらウイスキー を飲んでいる。
大き目の水割りのグラス に、大きな氷、ウイスキー、そして水。
一口、ゴクリと 飲んでは 読書にふける。
本に心を奪われている そのとき、 「 コトリ 」 という音が聞こえてくる。
ハッ と我に返ってグラス を見る。
さっきまで安定していた氷塊が 大きく傾いている。
時間が経過して氷が溶け、安定が崩れて 氷が傾いた音だったのだ。
『 そうか。 そっちは そっちで、そういう ひと時を すごしていたか 』 という思い。
時間を共有していたのだ、という 連帯感。
氷の音が、深夜の読書を 深くしてくれる 」。
―― 引用 終わり ――
筆者には、本を読みながら お酒を飲むという習慣はありません。
でも 深夜、静まりかえった部屋で、大きな氷の塊が グラスと触れあって 「 コトリ 」 という音をたてる情景は、よーく 理解できます(笑)
〔 ウイスキーの つまみ に ついて 〕
次に ご紹介する エッセイ は、これも 東海林さだおさんの書いた 「 缶詰の夜 」。
文春文庫刊行の エッセイ集、 「 駅弁の丸かじり 」 に掲載されているもので、ウイスキー の 水割りを飲むときの つまみ について書かれています。
―― 以下は その一部引用。
「 秋の夜長 ――。
いったん寝床に入って 本など読んでいるうちに 眠れなくなり、むっくり起きあがって ウイスキーを飲みだすことがある。
そういうときの ツマミ は 何がいいか。
人 それぞれでしょうが、ぼくだったら 缶詰ですね。
秋の夜には 缶詰がよく似合う。
缶詰は 孤独である。
その中に、食べ物が詰まっているとは思えない金属の筒。
秋の夜の電灯の下で ピカピカ 光って 孤影悄然 ( こえい しょうぜん )。
秋の夜の孤独と、缶詰の孤独。
相寄る二つの孤独な魂。
それに、缶詰を缶切りで キコキコ 開ける あの作業。
( 筆者注記 : このエッセイは 1992 年に書かれました。 当時は まだ 「 缶切り 」 が 一般的だったようです )
あの作業にも、言うに言われぬ孤独感がありますね。
さて、何の缶詰を開けましょうか。
人 それぞれでしょうが、ぼくだったら サンマ 味付け缶 ですね。
ここに、 「 あけぼの さんま味付け 」 という 缶詰があります。 『 特価 138 円 』 というシールが貼ってあります。
側面に、太ったサンマの全身像が描かれてある。
とにかく こいつを開けてみましょう 」。
「 筒切りのサンマが、おなかを中心にして 菊の花状に 丸くなっている。
缶詰というものは 何でもそうだが、中身を皿にあけてはならぬ。
皿にあけると、急に貧寒となる。
缶の中にいたとき そのまま、丸くかたまって おびえているようにみえる。
身ぐるみはがれて 悪代官の前に引き出された お百姓一家といった風情になる。 ヒシ と寄りそって、お互いを かばい合っているようにもみえる。
一家の結束感が 一番かたいのは、シーチキン缶ですね。
一枚一枚が 層になって結束している 」。
「 サンマの缶詰は 皮がおいしい。 箸でこすると ズルズル とはがれる。
この皮は 脂肪があって トロトロ していて、缶詰のプロは、これを “ サンマ缶の 皮トロ ” と称している。
この 皮トロ を たくさん集めて、 『 皮トロ 丼 』 にして食べたら どんなに おいしいことか 」。
「 サンマ缶は 皮がおいしいが、サケ缶は 骨がおいしい。
サケ缶を開けると、真ん中に太くて頑丈そうな骨が一本、うまくすると二本入っている。 これを こわさぬように身からはずして口に入れる。
見た目はいかにも頑丈で硬そうな骨が、口の中で ホロホロ、サクサク と くずれる意外性がいい。 しかも、魚の骨の味が しっかりあって、ほんの少し塩気もあって、 『 こういう骨を 30 本ほど 食ってみたい 』 という気持ちにさせられる。
『 サケ缶の骨だけ缶 』 というのを売り出すと 案外売れるかもしれない 」。
―― 筆者 注記 ――
この 「 サケの骨だけ缶 」。 実際に商品化されています。
東海林さんが、この エッセイ集の 別の記事で取り上げているのですが、岩手県の方が 「 サケ缶の話、読みました 」 との メッセージ を 添えて、宅配便で 「 箱に ギッシリと 」 送ってくれたそうです。
この缶詰、スーパーの缶詰コーナーに置いてありますので、興味のある方は お試しください(笑)
東海林さんの エッセイ の引用に戻ります――。
「 水割りの氷が、コロン と音をたててくずれて、サンマ缶の夜は 静かに更けていく。
薄くなった水割りに、トクトク と ウイスキー を足して、 『 龍泉洞 地底湖の水 』 というのも 少し足して ゴクリと 一口。
サンマ缶から また一本、サンマを取り出して小皿にあけ、おなかのところを 突きくずして 一口。
サンマ缶の サンマの おなかは ビロビロ とおいしい。 口の中で ビロビロ と とろける。
サバ缶の サバ水煮の おなかと、このサンマの おなかと どちらが おいしいか。
ずうっと昔から考えているのだが、いまだに 結論が出ない 」 。
〔 了 〕