10 月3 日にフジテレビで放映された 「 林修 ( はやし おさむ ) のニッポン ドリル 」 という クイズ バラエティーで、 1980 年のヒット曲 ベストテンに関するクイズが取り上げらた。
レギュラーメンバーは 林修、千鳥というお笑いコンビの ノブ、風間俊介。
ゲストに 武田鉄矢、長嶋一茂、厚切りジェイソン、それにタレントの若槻千夏が 回答者として迎えられた。
前回の小ブログでは、ベストテンの 10 位から 6 位までを取り上げたが、今回はベスト 5 をご紹介する。
なお、記事の内容と画像は全て、この番組からの引用 ・ 転載です。
それでは、始めます。
この番組で発表される ベストテンの曲名も、クイズ形式になっている。
例えば、 「 第5位は フォークシンガー N 」
ナレーション : 「 今は少し強面 ( こわもて ) ですが、当時はバリバリのフォークシンガーだった長渕剛さんが歌った 『 順子 』 」
♪ 順子 君の名を呼べば 僕はせつないよ
「 長渕さんはこの曲で、初めてオリコン チャート1 位を獲得。 一躍、トップ シンガー の仲間入りをしました。
また この頃、甲斐バンドの 『 安奈 』、
♪ 安奈 おまえの愛の灯は まだ もえているかい
ばんばひろふみの 『 SACHIKO 』、
♪ SACHIKO 思い通りに
サザンオールスターズの 『 いとしのエリー 』 など 名前の入った歌が多く、カラオケやスナックで歌う際、好きな女性の名前に変えて、よく 歌われていたのです 」
第 4 位 「 アメリカンな C M ソング 」
ナレーション : 「 第 4 位はアメリカンな歌声が カッコいいと評判になった シャネルズの 『 ランナウエイ 』 」
♪ ランナウエイ とても好きさ
「 シャネルズは、そのデビュー曲が いきなり ミリオンセラー ( 累計 ) を記録するという快挙を成し遂げました。
ここで クエスチョン。
この曲のタイトル、 『 ランナウエイ 』 は、ある商品の名前から付けられたものですが、その商品とは一体、何でしょうか? 」
「 正解は ラジカセ。
実はこの曲。 C M ソングとして誕生。
1980 年にパイオニアから発売された 『 持ち運べるラジカセ、 ” Run away ” 』 の C M ソングとして作られ、アメリカで撮影していた映像とマッチし、かっこいい歌として話題になりました 」
第 3 位 「 高音ツインボーカル C 」
ナレーション : 「 第 3 位は 超高音ボイスで人気を博した こちら。 クリスタルキングの 『 大都会 』 」
「 ムッシュ吉崎と 田中昌之の ツインボーカルバンド。 累計売り上げは なんと 150 万枚以上。
出だしの超高音ボイスにご注目 」
♪ あー 果てしない 夢を追い続け
「 さらに目を引くのが、こちらのアフロ ヘアー 」
「 では現在は ? 」
ナレーション : 「 こうなっていました。
元クリスタルキングのボーカル、田中昌之さん。 67 歳。 アフロヘアーは今も ご健在です。
そして もう一つ気になるのが 現在の声。 世を震撼 ( しんかん ) させたあの高音ボイスは、どうなっているのでしょうか? 」
( ここで田中昌之が 『 大都会 』 の一節を歌う )
♪ あー 果てしない 夢を追い続け
♪ あー いつの日か 大空かけめぐる
ナレーション : 「 こうなっていました 」
スタッフ : 「 あの頃と比べると、やはりちょっと低いですか? 」
田中 : 「 もおー 全然低いです。 2 音半、低いです。
ほーんと、もう、赤の他人の歌声ですね 」。
筆者注記 : ちなみに田中さん、バリバリの関西弁です。 「 赤の他人 」 の 「 赤 」 のイントネーションが 「 あ か↑」。
これが関東では 「 あ か 」 と前にきます。
ナレーション : 「 実は田中さん。 ある事件をきっかけに、高い声が出なくなってしまったそうです。
ある事件とは、喉 ( のど ) に 『 ほにゃらら 』 をぶつけてしまったから。
では 『 ほにゃらら 』 とは いったい何?」
―― 正解は野球のボール。
田中 : 「 草野球やってて、そんでサード守ってたん。 ゴロが来て 取りに行ったら ゴーンとぶつかったんです。 それ以来、高い声は出なくなった 」。
筆者注記 : 田中さん、やっぱり バリバリの関西弁です。 「 草野球 」 の イントネーションが 「 くさや きゅう↑ 」。
これが関東では 「く さや きゅう 」 と前にきます。
第 2 位 「 中森明菜 ・ 石井竜也もカバー 」
ナレーション : 「 1980 年のベストヒット曲。 第2位は中森明菜や石井竜也など 様々な人気アーティストたちがカバーし、後世に歌い継がれた こちら 」
♪ 子供たちが 空に向かい 両手を広げ
ナレーション : 「 この曲のサブタイトルは 『 シルクロードのテーマ 』。 曲調も 外国をイメージしたものとなっています。
実は 1970 年代後半から 1980 年代にかけて、 『 異邦人 』 の他にも 外国のことを歌った曲が、数多くヒットしているのです。
平尾昌晃 ・ 畑中葉子 『 カナダからの手紙 』
♪ ラブレター フロム カナダ
庄野真代 『 飛んでイスタンブール 』
♪ 飛んでイスタンブール 光る砂漠でロール
ジュディ・オング 『 魅せられて 』
♪ Wind is blowing from the Aegean
♪ 女は恋
ナレーション : 「 このように当時、外国をテーマにした曲がヒットしたのは、ある理由があったからだそうです。 林先生。 お願いします 」。
林 : 「 ここで ニッポンドリル。 外国の国名が入った曲がヒットしたのは 『 ほにゃらら 』 が出来たから。
さあ、この 『 ほにゃらら 』 に入る言葉をお答えください。
おおーっと。 厚切り、早い。 どうぞ 」
厚切りジェイソン : 「 地球儀 ( ぎ ) 」
ノブ : 「 あははっ! それ、前からあるわ! 」
林 : 「 ちょっと、日本、バカにしている? 」
武田 : 「 わかった! 成田空港ができたから! 」
林 : 「 正解! 」
風間 : 「 えーーっ! ウッそーー! じゃあ、それまでは? 」
一茂 : 「 羽田だよ! だってオレ、羽田からハワイ 行っているもん、3歳の時! 」
ノブ : 「 さらっと自慢、すな 」
林 : 「 3歳の時ってことは、 1968 年ぐらいですよね!? そんな頃、外国に行けたのは、ほんの一部の特権階級だけです! 」
ゲスト一同 : 「 あはははは 」
林 : 「 だって当時、1ドル 360 円の時代ですよ! 」
一茂 : 「 それは知りませんけど、ボクは行きました! 」
林 : 「 武田さんは初めて海外に行かれたのは、お幾つの時でした? 」
武田 : 「 わったしは……初めて外に行ったのは……。 27 歳の時ですね。 映画祭のキャンペーンでしたから。 プライベートじゃなかったですね 」
一茂 : 「 ボクはバカンス。 3歳でバカンス! 2カ月、ね」
( 一同 失笑 )
林 : 「 ( その場を収めるように )まあ、そういう生き方は ちょっと除いて考えますよ。
1980 年というのは一般の人が海外に憧れを抱き始めた時期でして、そのきっかけとなったのが ’78 年の成田空港の開港も その一つだろうと……。
これを見ていただくと 分かるんでしょうけど ( と、折れ線グラフの図表を出して ―― それは縦軸に海外渡航者数、横軸に年を表示したもの) 」
林 ( 一茂が 3 歳だった 1968 年の渡航者数を指して ) : 「 こんな年、ほとんど行っていないって! 」
一茂 : 「 うん。 そこそこ。 そこ、オレ 」
林 : 「 しかも、アレでしょ! 行ったのは 3 歳の時だけじゃなく、4 歳も 5 歳も ずっと行ってるんでしょ? 」
一茂 : 「 うん。 ずーっと行ってる 」
ナレーション : 「 成田空港の開港で国際化が進むとともに 140 万枚を超える大ヒットを記録した 『 異邦人 』。
実は この曲が出た時、武田さんは恐怖を感じていたそうです 」。
武田 : 「 このね、久保田早紀って ものすごく驚異だったんです 」
一同 : 「 へえー 」
筆者注記 : ここから武田さんの 面白独演会が始まります(笑)
武田 : 「 だって 皆さん、ね! 西田佐知子 以来なんです、イスラム圏を歌ったのは! 」
ノブ : 「 アメリカなんかじゃなくって? 」
武田 : 「 うん。 むかし、西田佐知子さんという方が 『 コーヒールンバ 』 って歌ったんです。
♪ 昔 アラブのー 偉いお坊さんがー
アラブの偉いお坊さんですよ、あなた!
それで久保田早紀がイスラム圏を歌った時、これは全部 持ってくんじゃないかと!
第 2 のユーミンになるんじゃないかって 恐怖感がありましたね 」
一同 : 「 へえー 」
武田 : 「 ユーミンとかね、一茂さんって怖いのよ、俺たちは。
なぜかと言うと違う言葉、持っているから。 暮らしの良かったヤツって 」
一同 : 「 あっははは 」
武田 : 「 ユーミンの歌、よく聞いてごらんよ。 ユーミンの歌で 『 ルージュの伝言 』 ってあるじゃない 」。
一同 : 「 ああー 」
「 うんうん 」
武田 : 「 あれ、ビックリしなかった? バッスルームにルージュの伝言よ! 」
一同 : 「 んー? 」
武田 : 「 普通じゃないよ! 口紅なんて、女の人が大事に大事に使っているのに ( 壁になぐり書きをするような動作で ) バッスルームにルージュの伝言! 」
ノブ : 「 リッチだなー 」
林 : 「 武田さんはあの曲から、生活水準の違いを感じたんですか? 」
一同 : 「 あははは 」
武田 : 「 それから 『 卒業写真 』! あの 『 悲しいことがあると 開く皮の表紙 』 」
一同 : 「 うんうん 」
武田 : 「 オイ、オイ! オイッ! 『 皮の表紙 』?
ペランペランの紙だよ、俺らは!
違うんだよ、決定的に! 同じ言葉を使っても、向こうがランクが上なんだ!
それにお客さんが付いていったら、もう帰ってこねぇよ、俺たちの所には! 」
一同 : 「 あっはははー 」
一茂 : 「 武田さん。 ユーミンも私も 立教なんです 」
武田 : 「 やっぱり、ええトコの子に対する何かがあるよね。
負けたくない! とか やっつけてやる! とか……
もう一つ やっぱり勝てないとか…… 」
若槻 : 「 ああ、面白い。 武田さんには R-1 グランプリに出てほしいです(笑) 」
林 : 「 さあ、いよいよ第1 位の発表です。 あなたの予想は合っているでしょうか? 」
ナレーション : 「 1980年。 年間売り上げランキング第 1 位。
『 R & B 歌手 M 』。
この年だけではなく、1980 年代 ( 10年間 ) 全体での売り上げ第 1 位でもあるのが、こちら!」
♪ ダンシング ・ オールナイト 言葉にすれば
「 もんたよしのりさんが結成した もんた & ブラザーズの名曲。 累計売り上げは、なんと 200 万枚のダブル ミリオン!
代名詞とも言えるハスキーボイス! ご堪能 (たんのう) あれ!」
ナレーション : 「 もんたさんの特徴といえば、なんと言ってもハスキーボイスですが、実は、あることをして、あえてハスキーボイスにしたのだそうです。
あることとは何なのか。
現在 大阪に住んでいらっしゃる、67 歳になったもんたさんに真相を聞いてきました 」
もんた : 「 そもそも俺、こんな声
とちごうて、電話かけたら女の子と間違えられるような 細い、高い声やってん。
海に行って、ガーッ 叫んで 」
ナレーション : 「 なんと、声を潰 ( つぶ ) すために海に向かって叫び続けました。 その期間は半年にも及んだそうです。
海外の R & B 歌手の しゃがれた声への憧れから、歌手の命である声を潰すというリスクを取ったもんたさん。
結果、歌手人生を賭けた賭けに勝ち、今の独特な、しわがれたハスキーボイスが誕生したのです。
そのハスキーボイスは 今でも健在。
67 歳にしてソロで 現役バリバリの歌手なんです 」
スタッフ : 「 ( 声を潰して ) 後悔されたことはありますか 」
もんた : 「 いっやー、一回もないなあ。
声をからすなんて 何の苦労もいらない。 むしろ、喜びやったね。
ましてや その頃なんて、 『 ちょっと声かれているなあ 』 って言われたら 褒め言葉くらいに思ってたな 」
それでは最後に、 1980 年のヒット曲 ベスト 10 の一覧を掲げて、小記事を終わります。 長々とお付き合いくださり、ありがとうございました。
〔 了 〕