小さいとき、近所の子たちがバレエを習いに行く、というので、
「私も行きたい!」と言って、習い始めました。
レオタードが必要なので、買いに行くときに、
私は薄いピンクのフリフリがついたのがいい、と言ったのですが
母は「あなたにピンクは似合わないのよ」と言って
結局、黒のシンプルなレオタードになっちゃいました。
たぶんそれ以来、ピンクは着なくて、フリフリもついていない服ばっかり。
気がつけば黒とか茶色とかばっかり着るようになっていました。
「自分には似合わないんだ」と信じていました。
まったく疑ってもいなかったので、特にそれが辛いとか、悲しいとか、そういう気持ちもありませんでした。
20代後半くらいだったか、その人に似合うカラーを診断してくれる、という人がいて、友達といっしょに見てもらいにいきました。
大きな鏡の前で、顔の下、胸の前にいろんな色の布をあてて、顔色の変化をみて、春、夏、秋、冬のどのシーズンの色が似合うのか、をみてくれるというものです。
そうしたら、私は、夏、サマーの色が似合う、と言われました。
サマーの色には、ピンクがしっかり入っていました。
他にも、似合うはずがないと思っていたパステルカラーもありました。
そのときから、ピンク解禁です。フリフリも、控えめにたまに取り入れています。
ピンクを着ていても、母にも「似合わない」なんて言われたことはありません。
なんだ、似合うんじゃん、という話です。
子供のころって、もしかしたら今でも、とっても素直に人に言われたことを信じちゃうんですね。
それが似合う色の話くらいですんでいればいいですが、
「お前はダメな子だ」とか「醜い」とか「生まれて来なければよかった」とか、
そういうことを言われてたら、どうなっちゃうんでしょうね。。。
おそろしいですよね。
たぶん、母は私にはピンクが似合わないと言ったこと、覚えていないとおもいます。
悪気がなくて言ったことが、こんなにずーっと長いこと影響を与えていたと知ったら、言った方もショックかもしれませんね。
人が人に影響を与えるということは、ある程度は仕方がないことなんだと思います。
そうやって育ってきているんだ、ってことです。
今自分が信じていることの、どれくらいが、人から言われたことなんだろうか? って想像してみてください。
もしかしたら、全部かも~ っていう気になりませんか?
だとしたら、それをもし冷静に受け止めることができたらですけど、
そうしたら、今自分が限界だと思っていることなども、
ほんとじゃないかもしれない、という可能性がある、ということに気づくかもしれませんね。
ちなみに、カラーの診断をしてもらった数日後に、美容院にいきました。
その美容師さんは、「裸でも似合うような髪型にしてください」といったら「わかりました」といって切ってくれるような方で、すごいな、と尊敬しています。
髪の色を決めるにあたってその方にカラー診断の話をしたら、
「そんなのに縛られてないで、自分が着たい色をきたらいいんだよ~!!」って言ってました。
もっと上をいっているというか、軽く、超えていました。
カラー診断では、このばあい、可能性が開けた、とはいえ、けっきょく、新しい枠を自分にはめてただけ、でもあるわけですからね。
私は小中学生のときに、銀河鉄道999が好きでした。
星野鉄郎にあこがれていました。
鉄郎が好き♪ っていうよりは
鉄郎みたいになりたい! っていう感じでした。
銀河鉄道999では、鉄郎は、最初は機械の体を手に入れて永遠の命を得る!
という目標をもって、999に乗りました。
旅するうちに、いろんなことを学んで、機械の体よりも限りある命の人間がいいんだ!
と意識が変わって、こんどは機械人間と戦うようになるんです。
あらすじを書いてくれてるブログみつけましたので、知らない方はどうぞ♪
瞑想をはじめて、ワークショップを主催するようになって、
あぁ、鉄郎のように私も機械人間と戦うってことを始めたんだなあ~
と、最近気がつきました。
人間は、機械のように生きている。
自動的に、小さいときから身に着けてきた反応を繰り返して、生きている。
無意識にプログラムされているとおりに、機械的に、生きている。
そのことに気づいて、そのプログラムを手放して、新しい選択をしてくことで、
人間として、生きていける。
例えば、
いじめられた経験をもつ人が、
集団の中でいかに嫌われないようにするか、を瞬時に察知して行動することや
男の人にひどいことをされた幼少期の体験をもつ人が、
男の人を苦手になる、ということ、といったことから
日常の動作にいたるまで。
立つときはこういう風に立つ、
座るときはこういう風に座る、
靴は左からはく、
食べるときは同じように食べる
この人は昨日と同じこういう人だ、と思って、対応する、
この出来事は以前にあったものと似ているから、
相手の人はこういう風に思っているにちがいない、と
過去データを検索して当てはめて、決め付ける、
などなど、例をあげればキリがありません。
ためしに、今日1日に自分が何をしたか、
そのときにどれだけ自動的に行動していたか、を振り返ってみたら
「どんな風にやっていたかなんて、覚えていないや・・・」
ということに気づくと思います。
家から駅まで、いったい、どんな風に歩いていたんだろう?
お昼ごはんは、誰と何を食べた、ということは覚えていても、
一口一口、どんな風に味わっていたんだろう?
家族と何気ない会話、いつもの延長、じゃないとしたら、
今日は、相手はどんな表情をして、自分は何を感じていたんだろう?
よかれと思って、両親や先生や友達が教えてきてくれたこと、
社会が、これがいいんだよーと教えてきてくれたこと、
自分自身が、こういうときはこうしたらいいんだ、と学んできたこと、
そんなたくさんの、うまく生きるために、無事に生きてくるために必要だった
大切な、教えや学び。
いままで生きてくるために重要だったもの。
大人になって、もう必要なくなったものもたくさんある。
だけど、その区別をつけることもなく、ただ、自動的に、そのまま、いる。
「もしかして、自分が機械化人間だとしたら?」
そういう前提で、日々の暮らしをみていくと、
けっこう、「ああ、機械化されていたんだ・・・」ということに気がつくかもしれない。
そうしたら、もう、機械化人間から生身の人間への道が始まる。
そういう自動化されたプログラムがなくなっていくことを、ここでは「ゼロ」といっています。
楽しく、わかりやすく、ゼロへの道をいっしょに旅できたら嬉しいです。
星野鉄郎にあこがれていました。
鉄郎が好き♪ っていうよりは
鉄郎みたいになりたい! っていう感じでした。
銀河鉄道999では、鉄郎は、最初は機械の体を手に入れて永遠の命を得る!
という目標をもって、999に乗りました。
旅するうちに、いろんなことを学んで、機械の体よりも限りある命の人間がいいんだ!
と意識が変わって、こんどは機械人間と戦うようになるんです。
あらすじを書いてくれてるブログみつけましたので、知らない方はどうぞ♪
瞑想をはじめて、ワークショップを主催するようになって、
あぁ、鉄郎のように私も機械人間と戦うってことを始めたんだなあ~
と、最近気がつきました。
人間は、機械のように生きている。
自動的に、小さいときから身に着けてきた反応を繰り返して、生きている。
無意識にプログラムされているとおりに、機械的に、生きている。
そのことに気づいて、そのプログラムを手放して、新しい選択をしてくことで、
人間として、生きていける。
例えば、
いじめられた経験をもつ人が、
集団の中でいかに嫌われないようにするか、を瞬時に察知して行動することや
男の人にひどいことをされた幼少期の体験をもつ人が、
男の人を苦手になる、ということ、といったことから
日常の動作にいたるまで。
立つときはこういう風に立つ、
座るときはこういう風に座る、
靴は左からはく、
食べるときは同じように食べる
この人は昨日と同じこういう人だ、と思って、対応する、
この出来事は以前にあったものと似ているから、
相手の人はこういう風に思っているにちがいない、と
過去データを検索して当てはめて、決め付ける、
などなど、例をあげればキリがありません。
ためしに、今日1日に自分が何をしたか、
そのときにどれだけ自動的に行動していたか、を振り返ってみたら
「どんな風にやっていたかなんて、覚えていないや・・・」
ということに気づくと思います。
家から駅まで、いったい、どんな風に歩いていたんだろう?
お昼ごはんは、誰と何を食べた、ということは覚えていても、
一口一口、どんな風に味わっていたんだろう?
家族と何気ない会話、いつもの延長、じゃないとしたら、
今日は、相手はどんな表情をして、自分は何を感じていたんだろう?
よかれと思って、両親や先生や友達が教えてきてくれたこと、
社会が、これがいいんだよーと教えてきてくれたこと、
自分自身が、こういうときはこうしたらいいんだ、と学んできたこと、
そんなたくさんの、うまく生きるために、無事に生きてくるために必要だった
大切な、教えや学び。
いままで生きてくるために重要だったもの。
大人になって、もう必要なくなったものもたくさんある。
だけど、その区別をつけることもなく、ただ、自動的に、そのまま、いる。
「もしかして、自分が機械化人間だとしたら?」
そういう前提で、日々の暮らしをみていくと、
けっこう、「ああ、機械化されていたんだ・・・」ということに気がつくかもしれない。
そうしたら、もう、機械化人間から生身の人間への道が始まる。
そういう自動化されたプログラムがなくなっていくことを、ここでは「ゼロ」といっています。
楽しく、わかりやすく、ゼロへの道をいっしょに旅できたら嬉しいです。
辛いことや苦しいことは見たくない!って思って生きてきました。
「苦労は買ってでもしろ」なんて、とんでもない! 絶対イヤ~!でした。
だけど、いくら「イヤ!」っていってても、
辛い気持ちになったりすることは、あるんですよね。
怒りや悲しみを感じないようにしていたら、感じないままでいたら、
本当の喜びとか本当のエクスタシーも感じられない。
コンシャス・リレイティングというワークで、自分の内側を見るプロセスを続けているのですが、その講師であるデバラジが言っていました。
インドの瞑想のマスター、OSHOも同じようなことを言っています。
そんなことを言われても、いやなものはイヤです。
放っておいてもネガティブな感情を感じるのに、
ましてや、わざわざ見ていくなんて、とんでもないことです。
そんな私が、瞑想やコンシャス・リレイティングのワークを続けてくるなかで
辛い感情などを見ていっても、怖くないんだ、ということがわかってきました。
なぜかいつも同じようなシチュエーションで、同じようなことにぶつかったり、
同じような反応をして苦しんだりしている。
それを無意識に繰り返しているよりは、
それがいったい自分のどんなところから来ていたんだろう?
ということがわかると、同じことをしなくてすむ。
同じように、わけもわからず自動的に苦しい気持ちを体験しなくてすむ。
ってことがわかったんです。
それなら、「感じたくない!」って、ごまかしたり、ふたをするよりも、
その中にはいっていったほうがいい。
感情は、思考が元になって起きていたりするから、
その元となる考え方をシフトすれば、マイナスの感情を感じなくてすむ。
そういう方法も、あります。
一生懸命、マインドをコントロールして、自分が好ましい方向の思考をして、
好ましい方向の感情を味わう。
そういう方法も、出来る人はいるし、それで、幸せな人もいると思います。
ただ、頭で全部を理解したからといって、それですべてが解決するわけではないんじゃないかなあ。
私たちは、頭だけじゃない。ハートやカラダ、魂、全部です。
感じるものは、感じる。
それが、自然のこと。
感じているのに、それにフタをしたり、ごまかしたり、なかったことにしようとしていると、
感じるセンサー自体がマヒして、「本当の喜びも感じられない」という風になっていってしまうんだなと思います。
だから、苦しいことをもっと感じたほうがいいんだ!と、いいたいわけではありません。
自分が感じていることには、それを認めて、開いていることが大切だなあーと思うんです。
たとえばマイナス思考の人は、マイナス1から2,3と、マイナスが増えていくほうにしかみない。マイナスがへっていくほうはみない。
プラス思考の人は、右肩上がりの成長しかみていない。
どっちも片っぽしかみない。
でも生は両方だから。
ゼロにいることができれば、その両方を見ることも出来るし、
そのなかでバランスもとることもできる。
ゼロは、どっちにもいけるし、どちらでもない。
いま起きていることに、「これは起きちゃいけない」「これは感じちゃいけない」って緊張して向き合っているんではなくて、
「ああ、これがきたのね」「ああ、こんどはこれね」と、リラックスして、お迎えしていけたら、すごいですよね。
そんな風に生きていけたら、何がきたって無敵♪
「苦労は買ってでもしろ」なんて、とんでもない! 絶対イヤ~!でした。
だけど、いくら「イヤ!」っていってても、
辛い気持ちになったりすることは、あるんですよね。
怒りや悲しみを感じないようにしていたら、感じないままでいたら、
本当の喜びとか本当のエクスタシーも感じられない。
コンシャス・リレイティングというワークで、自分の内側を見るプロセスを続けているのですが、その講師であるデバラジが言っていました。
インドの瞑想のマスター、OSHOも同じようなことを言っています。
そんなことを言われても、いやなものはイヤです。
放っておいてもネガティブな感情を感じるのに、
ましてや、わざわざ見ていくなんて、とんでもないことです。
そんな私が、瞑想やコンシャス・リレイティングのワークを続けてくるなかで
辛い感情などを見ていっても、怖くないんだ、ということがわかってきました。
なぜかいつも同じようなシチュエーションで、同じようなことにぶつかったり、
同じような反応をして苦しんだりしている。
それを無意識に繰り返しているよりは、
それがいったい自分のどんなところから来ていたんだろう?
ということがわかると、同じことをしなくてすむ。
同じように、わけもわからず自動的に苦しい気持ちを体験しなくてすむ。
ってことがわかったんです。
それなら、「感じたくない!」って、ごまかしたり、ふたをするよりも、
その中にはいっていったほうがいい。
感情は、思考が元になって起きていたりするから、
その元となる考え方をシフトすれば、マイナスの感情を感じなくてすむ。
そういう方法も、あります。
一生懸命、マインドをコントロールして、自分が好ましい方向の思考をして、
好ましい方向の感情を味わう。
そういう方法も、出来る人はいるし、それで、幸せな人もいると思います。
ただ、頭で全部を理解したからといって、それですべてが解決するわけではないんじゃないかなあ。
私たちは、頭だけじゃない。ハートやカラダ、魂、全部です。
感じるものは、感じる。
それが、自然のこと。
感じているのに、それにフタをしたり、ごまかしたり、なかったことにしようとしていると、
感じるセンサー自体がマヒして、「本当の喜びも感じられない」という風になっていってしまうんだなと思います。
だから、苦しいことをもっと感じたほうがいいんだ!と、いいたいわけではありません。
自分が感じていることには、それを認めて、開いていることが大切だなあーと思うんです。
たとえばマイナス思考の人は、マイナス1から2,3と、マイナスが増えていくほうにしかみない。マイナスがへっていくほうはみない。
プラス思考の人は、右肩上がりの成長しかみていない。
どっちも片っぽしかみない。
でも生は両方だから。
ゼロにいることができれば、その両方を見ることも出来るし、
そのなかでバランスもとることもできる。
ゼロは、どっちにもいけるし、どちらでもない。
いま起きていることに、「これは起きちゃいけない」「これは感じちゃいけない」って緊張して向き合っているんではなくて、
「ああ、これがきたのね」「ああ、こんどはこれね」と、リラックスして、お迎えしていけたら、すごいですよね。
そんな風に生きていけたら、何がきたって無敵♪