昨秋、中野テルプシコールで行われた東京公演にも参加した。率直に言って、私は不満だった。その時点で前作となるコルヴスとしての作品「親愛なるアルトーさんへ」の余韻が私の中に(或いは彼の中に)残っていた事も大きいが、全体を通して、言葉とダンスの余白が大きく感ぜられ、彼の中でその言葉、その動きの必然性が内実として誕生するまでのプロセスを、その余白の中で「待たなければならない」といった印象があり、彼の中の燃えたぎる荒御魂がカオスに炸裂する宇宙を一方的に夢想していた私には、余白の誕生は密度として、いかにも「さりげなさ」や「素っ気なさ」を主基調としたかっこよさを現しているようで、意味として、或いはドラマとしての言葉の不親切さが、逆に動きに溶け込まないような気もしてしまい、「東京ぶりやがって」という苦々しい思いで帰路についた記憶がある。だいぶ脳内で誇張されている気もするが。
とにかく一方的に期待し、一方的に不満足だった私は、仙台公演で完全にギャフンといわされた。
初日。最後列から鑑賞した。心の中で「どれどれ」といった1歩も2歩も引いて俯瞰するようなつもりで席につく。ジャジーでブルージーなSEにまたおしゃれにやるつもりなのか、との苛立ちを抑え、暗転。ピンスポットの中に降臨。この始り方好きなんだなぁと思いながら、物質が崩壊するようなノイズの中で一気に心を掴まれる。
ガソリンの揺れ方。赤い閃光に思わずニヤリ。東京でもこのシーンが1番高まった。が、照明効果も相俟ってかなりムネアツ。10代の頃を思い出す。あの頃のエネルギーはあの頃だけのモノじゃない。今だって身体の中にある。傷のように。皺のように。
反復は時間を停止させる、と誰かが言っていたが、「晴れ」の一語の中に私を閉じ込めたまま世界を転覆させる演出は本当に見事だった。現象世界のその全ては、意識の宇宙の裏返しであり、それは誰かの宇宙であってはならないと思った。能動性を失う事は、正に意識不明状態。脳じゃないかもしれないが、意思に結び付く意識。明日の天気はその意思の総体だ。
レディオヘッドに繋がるシーン。色が抜けてシルエットの彼の動きに驚いた。今までに見たことの無いような。激しさ。狂おしさ。世界と全く別個に存在しながら、しかしそれが世界を動かしてるかのような。音と全く別個に存在しながら、しかしそれがトムヨークを歌わせてるかのような。
量子力学を数学的に少し勉強すると、右や左といった概念を用いる事が、いかに認識の基礎基盤になっているのかが解る。つまり、ゼロをどこに置くのか、というのはどこまでいっても(仮)でしかあり得ないのだが、しかしその(仮)が無ければどんな認識もカオスでしかない。
東京公演での北欧神話は、私にとっては余白の中に唐突に上から落ちてきた世界だった。
今回は、南(下)北(上)といった方角が示され、その事はこのシーンに限らず、観るものに常にゼロの位置を提示する意識が感ぜられて、安心してこちらの意識を預けられる入口の広さだった。カオスに対して、それが真理への入口であろうとも、能動性を持って身を委ねる事の出来る人は少ない。カオスの真実を目の前にした時、私たちは、悪い意味で「考えて」しまうのではないだろうか。カラマーゾフの大審問ではないが、神の不在をユークリッド幾何学で解決しようとするかのように。その意味で、今回のゼロ地点の提示は、観る側にとってファクトの世界に爪先を置きながら、存分に作品の世界に身を委ねられる良い仕方であったと思う。特に、彼のような衝撃波の大きい作品を創る場合においては。
10代の彼は、正にサーチアンドデストロイな人だった。デストロイする為にサーチするような。
36歳の彼は、見事に破壊から再生を描いた。いや、描いたというのは正確ではなくて、正に灰から世界を産み出した。満員御礼80名の立ち会い出産だった。文字通り身体1つで。
2日目。いつもより早起きではあったが、体調は万全だった。俄雨もあったようだが、会場前には快晴で暖かだった。昨日の興奮もあり、上機嫌で談笑しながら、制作のくせに遠慮なく真ん中の真ん中に席を取った。
暗転。
ガソリンの揺れ方。
昨日以上に熱を帯び、けんたろうは怖いくらい世界に呼び掛けている。吸い込まれる。
何かおかしい。
尋常でない汗が顔を伝う。背中も汗。手が痺れる。会場全体の密度がすごい。見えない大きな暗闇が迫ってくるような。耳鳴りもする。目の前がグラグラしてくる。怖い。
トムヨークが歌い出す。気を失うとはこの感じかと思いながら、もうその場にはいられなくなって思い切って外へ。10BOXの中庭の、四角く切り取られた空を見て深呼吸するとすぐに汗は引いた。なんだったんだろう。10分か15分か、ベンチに座る。中ではけんたろうが踊っている。公演の途中の出入りは、本当に全てを台無しにしかねない危険な行為。やってしまった。本当に申し訳無いことを。でも、あのシーンだけは観なきゃならん、と意を決してもう一度中へ。袖では、私が無理矢理巻き込んだ舞監と、公演実現の源の主催者が立っている。3人で袖から色が誕生し、人間が人間を認識する瞬間に立ち会った。素晴らしかった。この世にこんな根源が見える顕微鏡があったのかと思うほど。
彼との因縁を喜びと共に誇らしく思えた機会はほぼ無いのだが、私は別に批評家ではないし、全く個人的に彼との関係性のフィルターを通して彼のダンスを評しても責めは受けないだろうから、私はこう言いたい。
このような、現象世界を変容させる力をも持つような意識の発露を身体1つで具現化出来る人間が、私の人生における最も長く、親しき友人である事が、私の人生を豊かにし、そして私に創る力を与えてくれる事は、本当に得難き喜びであり、誇りである。そして、彼の創る作品は、世界にとって失ってはならない力である事を改めて確信した。
次回作、気絶してでも観る覚悟で。
その日までは、まだまだ生きていたいと思えた2日間だった。
2017.4.30
富田
真人