【音楽】辻井伸行~ベートーヴェン・月光ソナタ~ | zeronote52~それなりに生きて、だいたいこんなもん~

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52歳。人生、思ったほど大したものにはならなかった。人付き合いは不器用、ポジティブ疲れもする。それでも、仕事、筋トレ、読書、音楽、愛犬と、たまに車で知らない景色と美味しいものを探す。誰かの正解より、自分の「まあ、悪くない」を。

 

 

ベートーヴェン 月光ソナタ 辻井伸行

 

夜、静かな時間にベートーヴェンの「月光ソナタ」を聴く。

何度も聴いてきた曲なのに、辻井伸行さんの演奏で聴くと、なぜか少し違う景色が見えてくる。

いや、「見える」という表現そのものが、この音楽には不思議なのかもしれない。

ベートーヴェンは、耳で音楽を聴くことができなくなっていった。

そして辻井伸行さんは、目で楽譜を見ることができない。

それでも――

音の聞こえないベートーヴェンがスコアを書き、
スコアを見ることのできない辻井さんが、その音符を音楽にする。

そう考えるだけで、私は音楽というものの凄さを思い知らされる。

これは、単なる「奇跡」という言葉では片付けたくない。

その背景には、想像を絶する努力があるからだ。


ベートーヴェンの「月光ソナタ」。

正式名称は、ピアノ・ソナタ第14番 嬰ハ短調 作品27-2

「月光」という名前があまりにも有名なので、最初からベートーヴェンがそう名付けたように思ってしまうけれど、実は「月光」は後世につけられた愛称だ。

ベートーヴェン自身は、この作品を「幻想曲風ソナタ」としている。

私は、この言葉がとても好きだ。

幻想。

現実には存在しないもの。

けれど、人の心の中には確かに存在するもの。

言葉では説明できない感情。

届かなかった愛。

孤独。

憧れ。

諦め。

そして、それでも消えることのない希望。

「月光ソナタ」の美しさは、単に「月夜を思わせる美しい曲」というところにはないのだと思う。

むしろ、その静かな音の奥に、人間の心そのものがある。


ベートーヴェンの人生を少し知ってから、この曲を聴くと印象が変わる。

彼は時代に翻弄され続けた。

音楽家にとって、聴力を失っていくことがどれほど残酷なことだったのか。

私には、その苦しみを本当の意味で理解することはできない。

分からないものは、分からない。

ただ、それでも彼が音楽を書くことをやめなかったことには、言葉を失うほどの強さを感じる。

さらに、愛する人との関係にも恵まれなかった。

「月光ソナタ」は、ジュリエッタ・グイチャルディに献呈された作品として知られている。

彼女への思いをめぐっては、後世にさまざまな物語が語られている。

ただ、ひとつ確かなのは、ベートーヴェンが人を愛し、そして愛することの苦しさも知っていたということだろう。

人を好きになったからといって、必ず結ばれるわけではない。

努力したからといって、必ず報われるわけでもない。

人生は、そんなに都合よくできていない。

だからこそ、人は美しいのかもしれない。

叶わなかったもの。

失ったもの。

届かなかったもの。

そうしたものを抱えながら、それでも生きていく。

その姿が、私は人間らしいと思う。


そして、そのベートーヴェンの音楽を辻井伸行さんが奏でる。

辻井さんは、生まれつき目が見えない。

しかし、私は「盲目のピアニスト」という言葉だけで辻井伸行さんを語ることには、少し違和感がある。

もちろん、それは辻井さんを語るうえで重要な事実だ。

けれど、それだけでは、この人の音楽の本質に届かない。

辻井さんは、楽譜を見ることができない。

だからこそ、音を聴き、覚え、身体に刻み込み、何度も繰り返しながら音楽を作っていく。

一曲を仕上げるまでに、いったいどれだけの努力を積み重ねているのだろう。

私には想像することしかできない。

けれど、その想像をはるかに超える努力が、この一音一音の背景にあるのだと思う。

だからこそ、私は辻井さんの演奏を聴いて、

「目が見えないのに凄い」

とは言いたくない。

そうではなく、

「この人だからこそ、ここまでの音楽になった」

そう感じる。


特に「月光ソナタ」を聴いていると、それを強く感じる。

月の光は、太陽のように強く照らさない。

夜の闇を押しのけるのではなく、ただ静かにそこにある。

その控えめな光が、かえって心に残る。

辻井さんの奏でる「月光」にも、そんな静けさがある。

音を強く押し出すのではなく、余白まで音楽にしてしまう。

一つひとつの音が、夜の空気の中に静かに浮かんでくる。

私はそこに、

盲目のピアニスト・辻井伸行さんにしか表現できない「月の光」

があるように思う。

それは、目で見た月ではない。

心で感じる月なのかもしれない。


そして、ここが何とも不思議なのだ。

ベートーヴェンは、音が聞こえなくなっていく中でスコアを書いた。

辻井伸行さんは、スコアを見ることができない中で、その音符を音にする。

聞こえない人が書いた音楽を、
見えない人が奏でる。

この二人の間には、200年以上という時間の隔たりがある。

生きた時代も違う。

抱えていた苦しみも違う。

人生そのものも違う。

それなのに、一枚の楽譜を通して、二人の魂がつながっているように感じる。

音楽とは、何と不思議なものなのだろう。

言葉なら、時代を越えることは難しい。

人なら、いつか人生を終える。

けれど音楽は、楽譜という形で残り、演奏する人の手によって何度でも生まれ変わる。

ベートーヴェンが書いた音符は、200年以上経った今も生きている。

そして今日、辻井伸行さんの指によって、再び息を吹き返す。

これほど贅沢な時間があるだろうか。


「月光ソナタ」は、儚くも美しいメロディを持っている。

けれど、その儚さは弱さではない。

むしろ、壊れそうなものを抱えながら、それでも前へ進もうとする強さだと思う。

人生には、どうにもならないことがある。

誰にも言えない寂しさを抱える日もある。

一生懸命やっているのに、思うような結果が出ないこともある。

愛する人と結ばれないこともある。

夢を諦めなければならないこともある。

それでも、人は生きていく。

ベートーヴェンもそうだった。

辻井伸行さんも、きっとそうなのだろう。

だから私は、この曲を聴くと少しだけ優しい気持ちになる。

「頑張らなければ」と自分を追い込むのではなく、

「今の自分も、それなりによくやっている」

そう思わせてくれる。

人生は、いつも完璧でなくていい。

迷ってもいい。

立ち止まってもいい。

うまくいかない日があってもいい。

それでも、また一歩進めばいい。

月の光は、そんな私たちを責めることなく、ただ静かに照らしてくれる。


辻井伸行さんの「月光ソナタ」を聴きながら、そんなことを考えた。

そして最後に残ったのは、難しい言葉ではなかった。

ただ、

美しい。

それだけだった。

音の聞こえないベートーヴェンがスコアを書き、

スコアを見ることのできない辻井伸行さんが、その音符を音楽にする。

それだけで、音楽というものの凄さが分かる。

まさに珠玉の演奏。

ベートーヴェンが残した、儚くも美しい月の光。

そして辻井伸行さんにしか表現できない、もうひとつの月の光。

同じ楽譜なのに、演奏する人によって景色が変わる。

だから音楽は面白い。

だから私は、音楽を聴くことが好きなのだと思う。

今夜、少しだけ照明を落として、

もう一度、辻井伸行さんの「月光ソナタ」を聴いてみよう。

きっとその夜の月は、

昨日までとは少し違って見える気がする。