こんにちは!ゆるゆる発達障害トレーダーのカネさんです!
僕は一時期「社会に適応することは徹底的に周囲のまねすること」って思っていました。
でも、周囲のマネをしている間はスゴく苦しかったです。
ドンドン自分が自分じゃなくなっている気がして、会話してるときも「僕は一体何をいってるんだろう?」って感覚に襲われて、
なんか、自分じゃない他の誰かが変わりに会話してるんじゃないのか?って気分になっていたんです。
「え?適応したかったから努力したんじゃないの?」
それが全く違います。別に適応したいとか思ったわけではないのです。
適応を求められたから、適応を強要されたから努力したが正解です。
要するに…要求されたからには応える必要があると考えていたからなんです。
当時僕にかけられたこの言葉。
「ちゃんとしなさい」
「お前はおかしい」
「気持ち悪い」
「空気読め」
「アスペルガー症候群」
「これを何とかしろ!それが適応というものだ」って言われていましたし、これを「改善することが」自分が社会で生きていくためには必須項目である、って思っていたんです。
そう、”適応したかったから”特性を改善しようとしたんじゃないんです。”そう”しないと、誰かを不愉快にさせてしまうかもしれない・・・・。そしてそれが何より怖かった
だから「改善したほうがいいのかな・・・」ってそしてれが生きやすさにつながるって信じて”頑張る”に走ってたんですね。
でもね、僕が思うに適応するって「周りのマネをする」じゃないんですよ。
適応するってのはそのまんまの自分で生きていくってことだと僕は思ってます。
適応する=”周りのマネをする”ってことはカメレオンのように”擬態”を施すってことです。
カメレオンが擬態を施すのは「そのままだと他の動物に食べられてしまうから」ですよね?
つまり適応する=周りのマネをするのは今の自分はダメだっていう”否定から始まってるんです。
今の自分を無意識で否定しまくってるから一生懸命擬態を施してる間も「何か違う・・・・」って感じてしまうし、長い間擬態を施したままだと、ドンドンほんとの自分から離れていってしまい「元はいったいなんだったのか?」わからなくなり自分のホントのしたい、得意、好きっていう”潜在能力に蓋をしてしまうんです。
ホントの本音は自分はこんなことしたくなかった、もっと自由に生きたかった。でも、嫌われるのは嫌って思いが自由に生きることにブロックを掛けてしまってるんです。
擬態を施してホントの自分がバレないようにしても、ゴメン・・・・、それバレてます。
やっぱり、我々の特性ってどうやっても目立つんですよ、我々ってサバンナでいうとこの象やサイみたいな超大型動物なんです。
でもね、象やサイって擬態を施そうなんてしてないでしょ?なぜなら彼らは肉食獣に襲われたってへっちゃらだからです。草食獣だけど肉食獣いっぱいのサバンナで目立っても全然適応出来てます。
そう、私たちは擬態を施さないと生きていけない”小動物”なんかじゃないんです、象やサイのようにガンガン目立ってもいいんです、彼らがガンガン目立ってもライオンは手出ししないでしょ?
だから「特性全開のまま生きてもいい」「目立ってもいい」「嫌わてもいい」
大丈夫、それでも幸せになっていいんです!。