こんにちは!ゆるゆる発達障害トレーダーのカネさんです!



ボクは発達障害ゆえの特性で社会で「生き辛さ」を感じ、現在「FXトレーダー」として生計を立てていまして、



自分の経験してきた「生き辛さ」や「FXトレード」の技術を通じて、同じ悩みをもつ方のサポートをお手伝いさせていただいてます。



まずは、ボクがこれまで歩んできた半生を自己紹介がてら、話していきたいと思います。



長文となっていますが、しばしお付き合いくださいね。




 【手が掛かり過ぎて大人から見放された子供時代】


幼稚園入園時からあまりにも手の掛かり過ぎる子供として幼稚園側から「通園拒否」を言い渡される。



その後は自宅で過ごしたためか、同世代の友達がおらず、家の中が「世界の全て」になった。



小学校に入学すると入学式の途中で席を立っていきなり帰宅してしまうなど早くも先生方から「問題児」としてブラックリスト入りに、



ホームルームでの先生のお知らせがさっぱり理解できず、提出物を期限に出せたことが6年間で一度もない。



この頃は喋り方が独特で「吃音」もひどかったし、他人との接し方がかなり一方的(他人の話を遮って自分のことだけしゃべりまくる)だったためクラスメイトや先生から「変な奴・・・・」と思われイジメの対象に。






【イジメと不登校を繰り返した中学時代】




中学校に上がると授業内容の難易度もアップし、ほとんどついていけなかった。



先生からも「お前が行ける高校はない」とはっきり言われ「どうせ行ける学校ないんだからもう登校しなくていいよ」とあっさり見捨てらる。



また小学校のころのクラスメイトも一緒の中学にいたため「あいつは変な奴だから」と自身の特性を言いふらされ、それをとにかくいじられた。



そのたびにキレてちょっとしたことでも大声をあげて暴れていたため、誰も近づこうとはしなかった。そこから登校拒否となり、卒業式も出ないまま中学校生活は幕をおろした。





【地獄の「シゴキ」が待ち受けた学生時代”最悪”の高校時代】


そんな中両親が「この学校ならあんたでも入れる」といって見つけてきた高校が「全寮制の高校」



全力で拒否したが、「イヤならお前とは親子の縁を切る」とまで言われて渋々入学する。




定員割れを起こしていた学校だったため名前を書くだけですんなり合格できた。しかしここから「学生生活最悪の地獄」が待ち受けていた。



そこはまるで”軍隊”であり”刑務所”のようなとこで、

TVも新聞もない娑婆から隔離されたかのような山奥にある学校だった。




そして何より辛かったのが”先輩たちのシゴキ”である。



朝5時起床でいきなり10キロのランニング。しかも大声をあげながら。



そしてランニングから帰ると「声を出してない」 「チンタラ走ってた」という

ほとんど言いがかりとも言える指導が入り、そこから連帯責任として一年生全員で「エンドレス腕立て」 をやらされるのでる。

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生活態度にも異常に厳しい学校だった、特に服装や部屋の清掃状況などとにかく徹底されていた。



しかし、身の回りの始末が殺人的に苦手だったため部屋は汚いし、制服はしわだらけ、

そのことで何度も先輩に”かわいがられ(シゴキ)”毎日ボコボコにされていた。



しかも連帯責任、自分のせいで関係ないクラスメイトまで先輩にボコボコにされるためどれだけ恨みを買ったかわからない。




授業も相変わらずついていけず、とくに数学は3年間0点を通した。



先生からは「お前の人生はここを卒業したら終わりだな・・・」ってはっきり言われた。



別に反抗したかったわけじゃない、みんなについていきたいって思ってやってきたのに毎回通信簿に書かれることは「生活態度が悪い」「改善する気が見られない」と「問題児」として扱われた。




どうして自分だけこんな目に合うんだろう? ただ周りと同じくなりたいと思ってやってる”つもり”なのに・・・・。


「がんばりなさいよ」とか「たまに遊びにきてね」なんて温かい言葉を一度も言われることなく、「厄介者」として一番輝くはずの学生生活は終わりを告げた。





 【離婚・借金・自殺未遂、人生最大の暗黒期の社会人時代。】



そんな思いを抱えながら社会へ飛び出したものの、どこへ行っても簡単な雑用一つこなせず、職を転々とすることに、高校の担任の「お前の人生は高校出たら終わりだな・・・」ってセリフが現実味を帯びてきた。



20代後半で結婚し、男児を設けるも2年と結婚生活は持たず離婚。原因は私自身の特性だった。



「もっと気を配ってほしった」 「もっと私を大事にしてほしかった」という妻のサインに全く気付くことが出来なかった。




妻からは「二度と会いにこないで、子供にはあなたは死んだと伝えておくから・・・」と言われ面会の一切を拒否された。



この時が人生で一番の暗黒期。パチンコ依存症、アルコール依存症、買い物依存症、SEX依存症、ニコチン依存症というほぼすべての依存症を併発。手を出してないのは覚せい剤だけ。



闇金にも手を出してしまい、借金が300万を超え「自身の生命保険」で清算しようと自殺を決意。




自宅近くの鉄塔から自殺を決行するも、生来の頑丈な身体と田植え時期で地面が泥で柔らかくなっていたことと発見が早かったため「全治半年の入院」で未遂に終わった。



どれだけ神様を恨んだかわからない・・・・。





「最初っから殺すつもりならそもそもこの世に誕生させてんじゃねーよ!」



死に切れず助かったことを恨んだ。




「そうか・・・神様は一息で殺さず、じわじわとなぶり殺そうしてるんだ・・・」って思った。




闇金の借金を両親が先祖の田畑を売って返済してくれて晴れて自由の身になれた。




【自分の「生き辛さ」の原因が判明。”障害者”として再起をはかるも・・・】



入院中のカウンセラーから「一度精神科に通われては?」という勧めもあり、診察を受けると「発達障害」の診断がおりた。



「そうか・・・だからこんなに生き辛かったんだ・・・自分はただのダメ人間じゃなかったんだ」って一度は安堵し、そこから「発達障害者としての自分」に向き合う日々が始まった。




一般常識について書かれた本、発達障害の特性について書かれた本を手当たり次第買いあさり、「特性の改善」に昼夜費やした。



そして「障害者枠」での職に就き再出発するも、今度は「普通に見えるから」という理由で健常者並みの成果と仕事を与えられまたつまづくことに・・・・・。




「特性の改善」に昼夜を費やし、「普通っぽさ」は手に入れることは出来ても「普通」になれたわけでなく、



逆に「普通に見えてしまう」ことから「甘え」として認識されてしまい、配慮を受けれずまた職を転々とする日々に逆戻り。




「特性の改善」に活路を見出したのに徒労に終わったことに絶望を感じ、今度は鬱病に。




 【人生のターニングポイント。僕に光をくれた「2つの出会い」】






しかし、ここで転機が訪れる。




それは、心屋仁之助 との出会い。



きっかけは偶然TVに出演してた本人の肩書が気になった。




「性格リフォーム?なんだそりゃ?」ってなってすぐさまネットで調べてみた。



そして彼のブログに辿りつき、「そのままで生きていい、どうせ幸せになるから」って言葉にとっても感銘を受けたんです。



「そっか・・・・・発達障害を持ったまま幸せになっていいんだ」って肩の荷がスッと降りる感覚を覚えたんです。



幸せにになるためには「発達障害の特性」を改善しなきゃって思ってましたからね。



そこで今まで自分が「やらなきゃ」って思ってたことを一回全部捨ててみたんです。



「もう特性は改善しない、特性全開で幸せになる」


「会社に勤めないと生きていけないという思い込みを捨てる」



って決意したんです。何十年も真っ暗だった目の前がパァ~っと明るく開けた気がしてきました。




そんな時に限っていい出会いが生まれるもんです。ある日TVを見てると、為替のニュースがやってたんです。




そのとき、ふと「あ、FXトレーダーなら会社勤めしなくても稼げるかな?」ってビックリするくらい軽い気持ちでトレーダーとしての道を歩み始めました。



時は1ドル75円の戦後最大の超円高時期。もう為替は儲からない、二度と上がることはない。そうささやかれた相場に参戦したんです。




そこから「アベノミクス」の流れに乗り、何とか専業としてやっていけるまでになりました。



「ああ、今まで会社の仕事はダメだったけど、自分にはこんな得意があったんだ」



「会社の仕事をこなす能力と起業する能力は別なんだ」ってことに気が付いたんです。



こんな感じで現在は貧しくとも何とか「専業トレーダー」としてやっていけてます。



会社勤めしてたときには出来なかった「一人旅」も頻繁に行くようになり、「好きなときに好きなことをやれる」って自由を手にすることが出来たんです。



決して裕福ではないけれど、今の暮らしが精神的に自分の人生史上とっても裕福です!


正直振り返るのも辛すぎる過去だし、プロフィールを作成してるときも涙が止まりませんでした。



でもね、今までの辛すぎる過去も今の気楽で楽しい人生を迎えるための「伏線」って考えると



「あれは、あれでよかったんだな・・・・」って思えるようになりました。



なんか恨み言を連ねたようなプロフィールだったけど、「こんなんでも楽しく今を生きてるんだ」ってことを生き辛さに悩む当事者にわかってもらえたらうれしいです。




最後までお読みいただきありがとうございました!























































  【イジメと不登校を繰り返した中学時代】