こんにちは!ゆるゆる発達障害トレーダーのカネさん です!
ふと思うんですけど、世の中って健常者と発達障害者の2種類だけが存在するのではなく、
健常者っぽい当事者も存在してる気がするんです。
いや、むしろ世の中の大半はこの”健常者っぽい当事者”が占めているんじゃないかな?って思ってます。
”健常者っぽい当事者”とは、
「頑張ること」
「努力すること」
「周囲に自分を徹底的にあわすこと」で自分を確立してきた人たちです。
そしてこの人種の最大の特徴は、「周りがそうしてるから自分も同じことをするべきだ」っていう「~べき」を特に考えず、他人に強要してくることなんです。
今の社会はどちらかというと「健常者の能力」前提で構成されています。
物事を効率的に処理していくために「全体に気を配る」 「言葉の裏の意味を察する」ことを考案してきたと思うのですが、
別にこれを健常者たちは強制してきたわけではないのです。
要は自分たちは”こっちのほうがやりやすい”って思ったからそうしてるだけで「あなたたちも絶対こうしなきゃダメよ」って押し付けてきたんじゃないんです。
じゃあ、「周囲に気を配りなさい!」 「全部言わなくても察しなさいよ!」って押し付けてきたのは誰なのか?
それこそ健常者っぽい当事者のしわざなんじゃないか?って僕は思っています。
この人達は「周囲に合わせること」 「合わないんだったら合うまで努力すること」を信条としています。
それを嫌がると
「甘えるな!」とか「何でみんなやってるのにお前はしないんだ!」って迫ってきます。
それに彼らは苦労話が大好きです。「オレはこれが出来るまでにこんな努力をしてきたんだ!」
「だからお前も苦労しろ、お前のはオレに比べたら全然苦労になってない」って。
ホントは苦手なのに、やりたくなかったのに”苦労したらできちゃった”そんな人達なんです。
だから周囲にも自分がしてきたことを強要してくるわけですよ、「苦労して努力することが成功するための唯一の方法だ」ってね。
そしてその一つのやり方にこだわり、それ以外を認めない、これって”発達障害者独特もこだわり”にも似てませんか?
そしてそれを否定して生きる人間、出来ない人間を発達障害者として”病人”に仕立て上げてるんじゃないのかって思うんです。
そこまでしなきゃ出来ないことなんてやらなきゃいいのにって思うんだけど、それ以外で成功されたら彼らはスゴイ困るんですよ
「今まで自分のしてきたことを否定された」って感じちゃうんですから。
僕たちは”障害者”でも”病人”でもなんでもない「生きたいように生きてる普通の人間」なだけなのかもしれません。
社会の常識って”同じ意見を持った圧倒的多数”によって構成されるものと僕は思っています。
ひょっとすると今の常識を作ったのは健常者ではなく、健常者っぽい当事者が作り上げた社会なのではないでしょうか?
仮に健常者たちは、自分たちの生きやすさのために「気配り」 「察知」 「効率」を編み出してきたとするならば、
我々当事者も生きやすさを「今の自分のままで」ドンドン編み出していけばいいんです。