ネットを見ていたら、ちょっと気になる記事を見つけた。
「家族葬でも105万!『葬式は遺族の悲しみを癒やす』
は本当か。『葬式も遺骨も要らない』という選択」
宗教学者の島田裕巳さんの『無縁仏でいい、という選択』
という本を取り上げた記事です。
島田さんといえば、以前にも『葬式は、要らない』という
本を書かれています。
葬儀屋の私からすると、なかなか刺激的なタイトルです。
記事の中では、一般葬の費用が161.3万円、家族葬でも
105.7万円という数字が紹介されていました。
確かに100万円を超えるとなれば、
「家族だけのお葬式なのに、そんなにかかるの?」
と思われる方がいても不思議ではありません。
実際、葬儀の仕事をしている私自身も、昔と今ではお葬式
に対する考え方が大きく変わってきたと感じています。
以前なら、お通夜をして、葬儀・告別式をして、親戚や近所
の方にも来ていただいて……という形が当たり前でした。
しかし今は、家族葬、一日葬、直葬(火葬式)など、できる
だけシンプルなお葬式を希望される方が増えています。
これは決して「故人を大切に思っていない」からでは
ありません。
むしろ、「形式よりも、家族でゆっくりお別れしたい」
という方が増えているように私は感じています。
では、本当に「葬式は要らない」のでしょうか?
私は葬儀屋なので「葬式は絶対に必要です!」と言いたい
ところですが、実はそうとも思っていません。
お坊さんを呼ばなくてもいい。祭壇を飾らなくてもいい。
たくさんの人を呼ばなくてもいい。
お通夜をしなくてもいい。
極端に言えば、葬儀という「儀式」は無くてもいいのかも
しれません。ただ、葬儀には大切な役割があります。
そのひとつが、*哀しみの処理、いわゆる悲嘆の処理*です。
これは、私の中で一番大切にしたい部分でもあります。
お医者さんから臨終の宣告を受ける。
それまで温かかった故人様の体が、少しずつ冷たくなって
いく。やがて体が硬くなり、硬直していく。
ご家族は、その様子を見ながら、少しずつ大切な家族の死
を受け入れていきます。
そして、お通夜、葬儀・告別式、出棺、お骨上げ、初七日
といった一連の流れを通じて故人様の死を現実のものと
して受け止め、哀しみを処理していくのです。
もちろん、お葬式をしたからといって、悲しみがすぐに
消えるわけではありません。
大切な人を亡くした悲しみが、数時間のお葬式でなくなる
はずもありません。
それでも、故人様と向き合い、触れ、声をかけ、最後の
時間を過ごすことには、大きな意味があると思います。
以前、亡くなった時やお葬式の最中は、ものすごく悲しん
でいたご家族が、お葬式をすべて終えて自宅へ帰る時に、
故人様のお骨を忘れて帰ろうとされたことがありました。
一見すると、驚いてしまう出来事です。
しかし、これは決して故人様を大切に思っていないから
ではありません。
むしろ、ちゃんとお葬式を通じて、哀しみの処理ができた
からこそ起こることなのだと思います。
お葬式の間に、故人様の死を受け入れ、最後のお別れを
終えた。だからこそ、気持ちが少しずつ日常へ戻っていく。
私は、そういうことなのだと感じています。
だからこそ、最後に故人と向き合って、お別れする時間は
あった方がいい。と思っています。
奈良市民葬ESSでも、宗教者を招かず、祭壇も設けず、
ご家族だけで故人様を囲んで過ごしていただく「お別れ葬」
を行うことが多くあります。
先日のお別れ葬でも、出棺前に喪主様が故人様へ、
「さよならは言わないよ!またね!」と話しかけておら
れました。祭壇無し。参列者ゼロ。
でも、二日間、ご自宅で故人様と向き合い、言葉をかけ、
最後の時間を過ごすことができた。
私は、十分に「お葬式」だったと思います。
葬式が遺族の悲しみを本当に癒やすのか?
これは私にも分かりません。
ただ、「ちゃんと顔を見て送ることができた」
「ありがとうと言えた」「最後に家族で一緒に過ごせた」
そんな時間が、後になって何かの意味を持つことはある
と思います。
これからは「葬式をする・しない」ではなく、
自分たちには、どんなお別れが必要なのか?
を考える時代になっていくのではないでしょうか。
葬式も、お墓も、遺骨も要らない。
そんな考え方があってもいいと思います。
反対に、昔ながらのお葬式をして、お墓を守っていきたい
という考え方もあっていい。
大切なのは「世間がそうしているから」ではなく、自分や
家族が納得して選ぶことです。
葬儀屋の役割も、「立派なお葬式を売る仕事」から、
「その家族に必要なお別れを一緒に考える仕事」
へ変わってきているのかもしれません。そして、そのお別れ
の中で、ご家族が故人様の死を受け入れ、少しずつ哀しみ
を処理していく。
そんな時間を大切にできる葬儀屋でありたいと思います。
