五輪石 | 意地に生きるも男の本懐 なんてね

意地に生きるも男の本懐 なんてね

意味はほとんどない・・・ひとりごと

ちょっと懐かしい昭和の思い出話

       (サブタイトル)



 私が小学校2年くらいのことであった。

毎日、山や田んぼで泥だらけになりながら、

かけずり回って遊んでいた。


 とても病気になんか無縁の毎日であった。


ところが、ある日突然、高熱に襲われた。挙

句の果てに体中に湿疹ができてしまった。母

や祖母は、「こりゃーホロセじゃろう。しば

らくしたら治るよ」とたいして気にもせずに

能天気に構えていた。しかし、私の症状は一

向に改善しなかった。4、5日たって後、高

熱からは、解放され微熱になった。しかし、

発疹は、一向に治まらない。1週間ほどたっ

ても、発疹が治まらない私を心配した母は、

近所の家に頼んで車で診療所に連れて行って

くれた。診察の結果、すぐに治まると言われ

て安心して帰ったのだが、1日たっても2日

たっても症状は一向に改善しなかった。そん

な時、親戚のトシオおじさんがやってきた。

おじさんは「山で遊びよったんじゃったら、

そりゃー五輪石に何かしたんじゃないかのー

?」と言う。


 「五輪石?」「なんじゃそりゃ?」


 よくよく聞くと五輪石とは、戦国時代に亡

くなった人を弔うたに置かれた墓石のような

ものらしい。山の中や畑、田んぼの側に祀っ

てあるダルマのような形をした石のかたまり

の事である。おじさんが言うには山の中にあ

る五輪石は、長い月日の中で地面に埋まって

いるような物もあるという。たまたま山の中

でそれを踏んだか蹴ったか何か失礼があった

のではというのだ。


 トシオおじさんは「よし、今からすぐに五

輪石にお参りに行こう」と言った。なんでも、

失礼があったときには、とにかくどこの五輪

石でもいいからお参りをすれば許してもらえ

るという。早速、私とトシオおじさんはお供

え物、ろうそく、線香、懐中電灯をもって一

番近くにある五輪石にお参りに行くことにな

った。夜9時過ぎておりあたりは、真っ暗で

懐中電灯がないと何も見えない静かな夜であ

った。トシオおじさんが一緒でなければ絶対

にありえない話である。ほどなく近くの五輪

石へ着いた。近くといっても山裾で、民家が

なくさみしいところに祀ってある。到着する

なり、すぐにお供えをし、お参りをした。半

信半疑でありながら私は、心の限り祈った。

「何か失礼があったらすみませんでした。本

当にごめんなさい。」純粋な心で、それだけ

を祈った・・・。心の限り祈った・・・。あ

たり一面の暗闇と妙な静寂の中で見るローソ

クの炎は、やけに神聖なものに感じた。


 お参りを終えたトシオおじさんと私は、家

に帰った。帰った途端に母が、大きな声で叫

んだ。「どうしたん!ブツブツが引いとるよ

!」


 蛍光灯の下に映し出された私の腕や足から、

ブツブツがかなり引いていたのである。なん

ということであろうか・・・。それから1時

間近くの間に私の湿疹は、7,8割方が引い

てしまった。そして次の日の朝には、お腹の

一部を除いてほとんどの湿疹が無くなってし

まったのだ。


 発疹が引いたのが、たまたま治る時期だっ

たのか、あるいは、五輪石が許してくれたの

かは分らない。ただ私は、この世の中には、

説明のできない力が働くことがあるのだとい

うことを身をもって経験したような気がする。

感謝の気持ち、お詫びの気持ち、敬う気持ち

様々な気持ちを常に持つことが必要だと感じ

た。



 私に大切な何かを教えてくれた五輪石には

今も感謝している。



 ありがとう「五輪石・・」