ちょっと懐かしい昭和の思い出話
(サブタイトル)
田舎の年末は忙しい。終業式が終わったら
あわただしく毎日が過ぎていく。何が忙しい
のかよくわからないが、とにかく忙しいらし
い。母は、毎日掃除、掃除、掃除と何かに取
りつかれた様子に動き出す。「普段からして
おけばいいのに・・なんで年末になると掃除
を始めるんだろう?」 私は独り言のように
つぶやいていた。
クリスマスは、大変だ。年に1度のケーキ
が食べられる日なのだ。田舎には日常生活に
ケーキなどは存在しなかった。誕生日はプリ
ンかゼリーで、お祝いでケーキなど食べたこ
とがなかった。だからこそ、クリスマスのケ
ーキは、一大イベントなのである。なおかつ
生クリームのケーキの存在なんか知るよしも
ない。ケーキといえばバタークリームの味が
ケーキなのである。いまだにバタークリーム
の味が懐かしく、その味でクリスマスを思い
出すのは私だけだろうか?
餅つきの前になると、母はおもむろに一人
で山に行く。鏡餅に使うウラジロという植物
をとってくるためだ。どこにあるのか知らな
いが効率よく必要な数だけを確実にとってく
るためだ。どこにあるのは知らないが効率よ
く必要な数だけを確実にとってくる。なぜそ
の植物でないといけないのか知らないが、ウ
ラジロは必需品であった。
餅つきは、28日か30日に行った。理由
は知らない。いや、そんなことはどうでもよ
かった。とにかく大量の餅をつかなくてはな
らない。大量の餅をつく道具がまたすごい。
杵と臼の組み合わせであるが、臼は石ででき
ていた。臼がとにかく大きい。なぜかという
と足踏み式であるからだ。玄関土間の横にち
ょうど入る作りになっていた。足踏み式で楽
で良かったと思っているのは最初だけである。
時間が経過すると肩で息をするようになる。
汗だくになるのである。それだけ大量の餅を
ついていのである。正月過ぎても「モロブタ」
に入った大量の餅は、部屋の片隅に山のよう
に積まれていたものである。
大晦日は家族全員が早めに風呂に入り、テ
レビに備える。レコード大賞を見て、その後
紅白歌合戦を見なければいけないからだ。
特に紅組が勝つか、白組が勝つかで家族は、
もめた。どちらが勝っても何ら問題ないのだ
が、妙に熱くなった。私は男だから絶対白組
を応援するんだと、固く心に決めていたこと
は言うまでもない・・・。
白組万歳!