通学のはなし | 意地に生きるも男の本懐 なんてね

意地に生きるも男の本懐 なんてね

意味はほとんどない・・・ひとりごと

ちょっと懐かしい昭和の思い出話

       (サブタイトル)

 小学3年生になると、本校への

通学となる。同級生も増え、クラ

スは4名から14名へと一気に増

えた。バス通学にも慣れ、本校生

活も快適なものとなっていた。た

だし、土曜日となると話は違って

くる。授業は午前中で終わるので

非常にうれしいのではあるが、歩

いて帰らなければいけないのだ!

なぜなら、バスは昼の便がないか

らなのだ。朝と夕方は通勤・通学

で利用客が多いのであるが、昼は

殆ど乗り手がない。よって昼の便

はないのである。すなわち、昼ま

での授業の日は歩いて帰らなくて

はならないことになる。麓の学校

から約3kmを集団下校である。

3年生から6年生まで皆で1列に

歩いて帰るのだから、低学年はた

まったものではない。3kmとい

っても登りの山道である。大きな

ランドセルを背負ってとにかく一

生懸命歩くのである。


 四季を感じながら、歩いて帰る

といろんなドラマもあった。「ガ

サ、ガサ、ガサ」と谷で音がする

ので皆で覗き込むとなんとサルの

群れが集団で移動していた。自分

たちと同じ方向に列をなすように

木の枝を移動していた。一瞬、視

線があったが、何事も無いように

去って行った。サルも集団下校す

るんだろうか?そんなことをつぶ

やきながらせっせと帰った。


 アケビが取れる時は、上級生が

ツタをたどりながら木に登って取

ってくれた。良く熟れてパックリ

と口を開けたアケビを皆でほおば

った。たいして食べる部分はなく

ほとんど種ばかりであったが妙に

甘かった。


 時にはマツタケを大量に発見し

皆で山分けにした。(もう時効だ

と思います。ごめんね!)


 冬の寒い日は、場所にツララが

できる。そのツララをとってもら

い、みんなでかじりながら帰った。


 ただし、いろんな寄り道をして

も午後2時までには絶対に帰らな

ればならなかった。なぜなら、

2時から吉本新喜劇が始まるから

だ。岡八郎、船場太郎、平参平、

木村進、チャーリー浜、豪華な顔

ぶれである。


「ゴメンくさい!こりゃまたくさ

い!あーくさ!」


歩いて帰った疲れが一気にとれ


る瞬間であった・・・。


ちょっと懐かしい昭和の思い出話

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