昭和の子供なのだ! -5ページ目

超不器用

 

 

地震で大事な陶器なんかが割れまして・・・

修繕したいんだけど自信がなく

とりあえず、この磁器の招き猫で

練習してみましたが・・・・

四種類もの瞬間接着剤を準備したのに

仮組みをしっかりしたのに

目が痛くなるほど慎重にしたのに

丸二日もかけたのに

凸凹になり、しっかり接着されてるんで

元には戻りません(泣)

ここまで不器用だとは思いませんでした。

思い起こせば小学生の頃から

凧を作っても舞い上がったことは無く

竹トンボも飛行機も飛んだこと無く

プラモデルも完成させたこと無く

工作でも木を切らずに手を切っていた。

以降も不器用という才能は劣化することなく

今に至っているようです。

 

あの大事な陶器二個はどうしよう・・・・

 

 

 

 

2024年2月・・・

 

 

2024年令和6年の始まりは、なんなんだろう。

元日の能登地震

前記のように事務所は足の踏み場もない有様になりましたが

崩れ落ちた物の中から何十年も忘れていたものを見つけました。

東京時代の仕事の写真に混じって

40数年前、樽谷雅好さんが北陸中日新聞に掲載した 

石の仏にしい語り 高岡西国三十三札所めぐり

の約40葉をコピーした粗末な手作りの本。

表紙にはタルさんの手書きのサインが銀で入っています。

1982年7月から翌年の5月までの連載でした。

懐かしいなぁ、そういえばタルさん逝ってもう1年かぁ

さみしい・・・・

 

その数日後、同級生から金沢在のK先生が亡くなったとの連絡。

K先生は高校時代の工業デザインの先生で

在学中は話したことも無かったと思いますが

同窓会でその人となりに接して以来

年に一度はお会いし話を伺うのが楽しみでした。

当事務所にも何度か遊びに来ていただきました。

(昭和の子供たち・やよい町15番地・高校編・工業デザインで描いています)

今年も11月頃に会を開こうと予定していたけど

今度は偲ぶ会になってしまう

かなしい・・・

 

で、ついに後期高齢者になってしまいました。

若い頃は相手にもしてなかった クソ・ジジイです。

鎌倉のオババが書いていた

切実に人生の終わりを感じて焦っている・・・

体の不調を数え上げればきりがなく

残り時間はどんだけなのか

何をすればいいのか、何をしたいのか

わからない・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2024年・・・・・・・・

 

 

なにを今更ですが

昨年末にコロナに罹患しましての発熱、異常な倦怠感が続き

(普段からマスクをしてるのに、どこでうつったのやら見等がつかない)

ようやく癒えたと思って完全に気をゆるめ

炬燵でゴロゴロしていた元日の夕刻

あの強震が襲ってきました。

とりあえず近くの小学校の体育館に避難。

当然寒くって、避難した方々のためにと

マットやら水やらの準備のお手伝いをしていたら汗をかき

汗がひくと悪寒・・・・

今度は酷い風邪ということになりまして

咳が止まらず寝不足が続いて医者通い

元日からの三週間は何もできず、忸怩たる思いで過ごしております。

 

罹災した能登半島、40年くらいの間に四輪やバイクで

何十回も通った所。

テレビに映し出される風景は見覚えのある所ばかり。

未だに信じられません。

しかしながら

わたしは金も地位も体力も、なんにも無い後期高齢者、

足手まといにしかならないジジイでした。

ただただテレビを観て同情することしかできません。

 

高岡の地震は震度5強とか。経験したことのない揺れで

自宅のほうは1. 2階の壁の亀裂ぐらいで済みましたが

近所では塀が崩れたり、屋根瓦がすべて落下した家もありました。

事務所のほうは本棚の物はすべて落下

陶器やプラスティック製の物が一部破損。

上記の写真は、とりあえず本棚に収納し通路の確保と

暖房器具が使えるほどに片付けた後です。

( なーんだ、いつもと同じじゃねーか )

これでも半日かけたんですよ。

そんな言い訳をして

医院以外はどこへもでかけず、何もせず

令和6年を過ごしています。

このままボケてしまうんじゃないか・・・・・