二月七日 衛 恵悟 くん(まもり・けいご) | 昭和の子供なのだ!

二月七日 衛 恵悟 くん(まもり・けいご)

 

 

 

ボクが誕生日を迎えると彼を懐かしく想い出します。彼とは一週間、誕生日が違っていました。

一週間下なんだからエラソーな口をきくな、なんて高校時代は減らず口をたたいていたものです。

高校の三年間から社会へ出ても、クサレ縁で付き合いが続きました。

 

 

 

彼は いっつも青春の匂いがしていた

青くさい‘70年代の青春の匂いがしていた

 

シャイで純情で、繊細で不器用で、思い込みが激しくって

ワガママで、負けず嫌いで、強くって弱くって、自分勝手で

一人が好きで、でも人恋しくって、寂しがりやで

面倒くさくって、優しくって、幼くって、可愛い奴だった

 

彼が就職していた京都時代、絵の道に進むんだ!と決心し

そのために借りたアパートに何度か泊まったことがある

デッサンや油絵でゴチャゴチャの狭い部屋で芸術論をぶっていた

その数年後、大学へ行かないと何もわからん、と

勉強を始め、同志社大学に合格したものの

家の事情で帰郷せざるをえなくなり挫折

二十代の終わりから度々、イランへ出稼ぎに行き

それ以降は写真をライフ・ワークとして

晩年まで真摯に向き合い続けた

 

暇さえあれば日本全国、特に冬の東北地方の撮影行は恒例行事で

チベット、ネパール、中国まで足をのばしている

撮影行のエピソードは、写真といっしょに帰る度に聞かされたものだ

心臓を患い手術の数年後、今度は重度の難病を患い

写真を撮ることも叶わず

多くのカメラが廊下に放り出されたままになっていたのが

哀しかった

 

衛とは一緒に旅行をした。バイクでツーリングもした

無責任な芸術論やら小説やら映画やら

男、女やら節操なく何でも話すというより

言い合い、喧嘩もよくした

何の連絡もなく、フラッといつもの旅に出るように

寒い季節に逝ってしまったらしい

ボクが油断しているあいだに

戻れないところへ旅立ってしまったらしい

彼の見送りはしていない

 

逝ったのをボクは自分で確認していないから

今でも、大好きなクラシック音楽のCDを片手に

ヨッ!と片手をあげ、ここへ顔をだすような気がしている

いつだったか、会いたいときに会えるのが友だちだろ!

なんて言ってたけど

会えなくなっても友だちか・・・・

 

 

二月七日は 衛 恵悟くん の誕生日です

逝ってしまってもう十五年

以前に他のブログに書いたものを転載しました

生きている間は、ホントーに面倒くさい奴でしたが

今は、思い出すだけで胸が熱くなってきます