ココイチの創業者の宗次徳二氏の生い立ちは悲惨なものでしたが、
それをものともせず、寝る間も惜しんで働いた結果、
ビジネスの大成功者になったのです。
(前回の続きです。ウキペディア参照。)
不動産業の収入が不安定だったことから、妻と相談し、
1974年(昭和49年)にCoCo壱番屋の前身となる喫茶店「バッカス」を
名古屋市西区内に開業しました。
オープン初日に手伝いに入った際、喫茶店が天職であると感銘を受け、
不動産業の廃業を決意しました。
のち岩倉沿線土地を廃業し、1975年(昭和50年)2号店となる
珈琲専門店「浮野亭」を開業しました。
カレーは、人気メニューでした。
1978年(昭和53年)にカレーハウスCoCo壱番屋を創業しました。
西枇杷島町に1号店を出店しました。
10ヶ月後に2店の喫茶店を処分しました。
自転車操業が続いていましたが、新店舗開業などのため
尾西信用金庫から借り入れた100万円のうち、
20万円は社会福祉協議会や町役場に匿名で寄付しました。
1982年(昭和57年)には既に売上が3億円を超え、株式会社壱番屋を
設立し代表取締役社長に就任、1998年(平成10年)には500店出店を
機に妻・直美と社長を交代し、自身は代表取締役会長となりました。
社長・会長職の後任は、それぞれ妻直美が務めました。
2002年(平成14年)には代表権のない創業者特別顧問に退き、
19歳のときにアルバイトとして入社した浜島俊哉副社長を
社長に就かせました。
役員からも退任し、経営から引退しました。
社交的な妻とは対照的に、引退するまで友人を一人も作らず、
3、4時間の睡眠時間で、仕事に専念したといいます。
経営の一線を退いてからは、2003年(平成15年)に音楽やスポーツの
振興、福祉施設やホームレスへの支援などのため
NPO法人イエロー・エンジェルを設立し理事長に就任しました。
クラシック音楽好きであり、 2007年(平成19年)には
クラシック音楽の普及を目的として、私財を擲って宗次ホールを建設、
2012年(平成24年)に1月名古屋市芸術奨励賞を受賞しました。
宗次エンジェルヴァイオリンコンクール上位入賞者や、
五嶋龍や葉加瀬太郎へのストラディバリウスの貸与、
宮本笑里へのドメニコ・モンタニアーナの貸与なども行いました。
2012年(平成24年)4月には株式会社ライトアップを設立し、
代表取締役に就任しました。
(続く)
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