• 「お前ら既に、死んでいる。」―小西文書(別名 「高市文書」)問題を巡る、アカ新聞5紙社説の大騒ぎぶり。


 ある範囲の人には言うまでも無いだろうが、タイトルにした「お前ら、既に、死んでいる。」と言うのは、「一世を風靡した」と言って良さそうな昔の人気漫画「北斗の拳」の主人公・ケンシロウの決め科白、「御前は既に、死んでいる。」の捩りである。このケンシロウの決め科白を吐かれた悪役は、大抵直後に「血飛沫をあげて、奇声を発しながら(*1)絶命する」事になっている。

 それはさておき、立憲民主党の小西議員が「高市早苗元法務相が放送法の解釈を変更し、政府が放送に不当に介入できるようにしたぁぁぁぁ!!これが証拠の公式文書だぁぁぁぁぁぁ!!!!!」と国会で騒ぎ立て、これに載ったアカ新聞ども、結構な騒ぎを演じている。

 具体的に、各紙の社説タイトルと日付を列挙すると、下記の通り。朝日&毎日が3/4に先ず「火蓋を切って落とし」、それが3/8-9にはアカ新聞5紙が揃って社説とした上、先陣を切った朝日&毎日は3/12にも社説とし、毎日に至っては3/18に至るまで、高市元総務相の「閣僚としての資質を疑う」と、息巻いている。
 更に進んで、3/24の朝日社説と3/25の琉球新報社説は、「放送法の解釈変更を撤回しろ!!」って主張に、「すり替えて」いる。

 当該文書(小西文書、別称「高市文書」)は、「高市議員と安倍首相(当時)の電話記録」と言う、実に怪しげな(*2)電話記録と、「高市早苗議員らに、放送法の新解釈をレク(レクチャー)した。」って記録であり、後半の焦点は後者なのだから、「放送法の解釈変更(が、仮にあったとしても)を、高市早苗議員の責任とする事は、出来ない。」と、「漸く気づいた」んだか、「気づかれた、と悟った」んだか、したらしい。(前者については、「事実を記録したモノと確認できなかった」ためか、ウヤムヤニされている。)

 「漸く気づいた。」のならば、随分と間抜けな話だ。
 「気づかれた、と悟った。」のならば、随分と国民、読者、一般大衆を、「舐めている/舐めていた」って事になるな。

 更に言うならば、岸田首相も、当該小西文書(別称 高市文書)に対する役所の報告も、「放送法の解釈変更は、行われていない。」と明言・明記している。

 念のため繰り返すが、下掲するのは何れも各紙社説のタイトルである。各社説は後掲するが、「新聞の社説」と言えば、「新聞社の、社としての公式公的な主張」である。

 こ・れ・ら・が・だ。

①ー1【朝日社説】放送法の解釈 変更の経緯、解明急げ (3/4)
①ー2【朝日社説】高市元総務相 国の基盤 揺るがす暴言 (3/9)
①ー3【朝日社説】放送法の解釈 不当な変更、見直しを (3/12)
①ー4【朝日社説】放送法の解釈 高市氏答弁 撤回明快に(3/24)

②ー1【毎日社説】放送法巡る「内部文書」 政治的圧力の経緯検証を(3/4)
②ー2【毎日社説】放送法の解釈変更 看過できない政治介入だ (3/8)
②ー3【毎日社説】高市氏の「捏造」発言 耳を疑う責任転嫁の強弁 (3/12)
②ー4【毎日社説】公文書否定する高市氏 閣僚としての資質を疑う (3/18)

③【東京社説】放送法と政権 不当な新解釈撤回せよ (3/9)

④-1【沖縄タイムス社説】放送法巡る文書公表 解釈変更の真相究明を(3/9)
④-2【沖縄タイムス社説】高市氏の問題発言 閣僚に資質が問われる(3/21)

⑤ー1【琉球新報社説】放送法解釈変更 「報道の自由」を侵害した (3/9)
⑤ー2【琉球新報社説】放送法4条 解釈変更は撤回すべきだ (3/25)


 本件に関する私(ZERO)の意見・私見は、先行記事『その「不当」、今更今頃、気づいたの????

 

l』に記載した通りであり、特に付け加えることも、変更しなければならないことも、今の所全く無い。

 要は、故・安倍元首相に対する「モリカケ桜」追及と同根の「出来損ないスキャンダル」追及を、高市元総務相相手に始めようとしたが、「モリカケ桜」に輪をかけて出来が悪い「出来損ないスキャンダル(*3)」だったモノだから、「追及開始」から半月かそこらで自壊自滅し始めている、と言う所。民主党や立憲民主党(両者の差異は、殆ど無い)得意の「○×追及チーム」を立ち上げる暇さえ、無さそうだ。

  • <注記>
  • (*1) 「あべし!」「ちにゃ」「たわば!」など。 
  •  
  • (*2) 警察や内閣調査室ならばいざ知らず、「国会議員と首相(当時)の電話記録が、行政文書になっている。」ってのは、「実に怪しげ」だろう。
  •  
  •  事実、この部分は、当初こそ「問題視」されたが、いつの間にかウヤムヤになった。 
  •  
  • (*3) なぁにしろ、幾ら「行政文書だから、公的文書だぁ!!」と言った所で、それを作った当人すら証人喚問されず、そこに記載されている高市元総務相等が「事実と異なる」「捏造だ」とまで言い切っているのだから、「怪文書」の域を、全く出ていない。 




(1)①ー1【朝日社説】放送法の解釈 変更の経緯、解明急げ (3/4)
①ー1【朝日社説】放送法の解釈 変更の経緯、解明急げ (3/4)
放送法の解釈 変更の経緯、解明急げ

 


1.①ー2【朝日社説】高市元総務相 国の基盤 揺るがす暴言 (3/9)

 


2.①ー3【朝日社説】放送法の解釈 不当な変更、見直しを (3/12)

 


3.①ー4【朝日社説】放送法の解釈 高市氏答弁 撤回明快に(3/24)

 


(2)②ー1【毎日社説】放送法巡る「内部文書」 政治的圧力の経緯検証を(3/4)

 


1.②ー2【毎日社説】放送法の解釈変更 看過できない政治介入だ (3/8)

 

 

 
2.②ー3【毎日社説】高市氏の「捏造」発言 耳を疑う責任転嫁の強弁 (3/12)

 

 


3.②ー4【毎日社説】公文書否定する高市氏 閣僚としての資質を疑う (3/18)

 

 


(3)③【東京社説】放送法と政権 不当な新解釈撤回せよ (3/9)

 

 

 
(4)④-1【沖縄タイムス社説】放送法巡る文書公表 解釈変更の真相究明を(3/9)
 

 


1.④-2【沖縄タイムス社説】高市氏の問題発言 閣僚に資質が問われる(3/21)

 


(5)⑤ー1【琉球新報社説】放送法解釈変更 「報道の自由」を侵害した (3/9)

 


1.⑤ー2【琉球新報社説】放送法4条 解釈変更は撤回すべきだ (3/25)

 

 

 

  • (6)諄い様だが、先行記事冒頭での問いかけを繰り返そう。【Q】「政府が放送法に基づいて、自由であるべき報道・放送に不当に介入している。」と言う、誠に由々しき事態を、「国会で取り上げられた行政文書で知る」なんてことが、あり得るだろうか?他国ならばいざ知らず、この、我が国で、だ。


 上掲社説群の通り、アカ新聞どもの論調は、ほぼ立憲民主党の主張をなぞっており、以下の通り要約できそうだ。

 (1) 「政府が放送に不当に介入できる放送法解釈の変更」は、「あった」に違いない。

 (2) 上記(1)の放送法解釈変更に、高市元総務相は、関与したに違いない。

 (3) 上記(1)~(2)の証拠は、「行政文書と認められた」公式文書である。公式文書だから、正しいに違いない。

 (4) 上記(1)~(2)の「真相」を究明しろ!!!

 (5) 上記(3)の証拠文書を否定する高市元総務相は、怪しからん!!閣僚失格だぁぁぁぁっ!!!!

 (6) 上記(1)で「あったに違いない」法解釈の変更は、撤回しろぉぉぉっ!!


 事の序でだが、上記(4)で言う「真相」とは、モリカケ桜と同様に、高市元総務相が関与して、政府が放送に不当に介入できる様な放送法の法解釈変更が、行われた。であり、それ以外は「真相とは認められず」=「疑惑ハサラニフカマッター」となることは、「想像に難くない」と言うよりは、「火を見るよりも明らかだ」と言い得そうだ。

 だが、一寸頭を冷やせば判る様な事が、幾つもある。頭が冷えていないモノだから、(或いは、冷やさない様にしているモノだから、)上掲社説群には「判らない」らしい。

 一つは、問題の文書が、「正当な公的公式文書」だったとしても、「誤記である」可能性はある、と言うこと。
 真実・事実を伝えることを旨とする(笑ってはいけない)新聞記事や報道番組ですら、誤報・虚報と言うモノは、一定数「ある」モノだ。行政文書でしかも内部文書ならば、「誤記があっても修正さらず、放置される」事もあり得る事。内部文書は、外部や第三者に検証されることはないのだから、その可能性は高まる。
 
 即ち、公的文書にある記載だから、事実に違いない。」と言うのは、相当に乱暴な話だ。
 況んや、「公的文書の記載を否定した」ら、「閣僚としての資質を問われる」と言うのは、もう、言論統制の域に達していよう。

 もう一つ。コチラの方がデカい話だと思うんだが、政府が放送に圧力をかけた」事象事例が、タダの一つもあげられないばかりか、左様な事象事例の有無すら話題にならず、問題にならず、問題視されていない、と言う、げに恐るべき事実である。上掲一連の社説群は、「法解釈の変更」の有無やら真相やらを「追及」するばかりで、「実際に、現実に、放送に政府の圧力が掛かった」とは、全く報じもしなければ、主張もしていない。

 その問題の「法解釈の変更」が昨日今日の話ならば、「法解釈の変更が実際の法を通じて実害を及ぼすまでの時間遅れ」により「未だ、実害となって現れていない。」と考えることも出来よう。だが、上掲社説群に在る通り、当該「法解釈の変更」があったとされるのは、2015年で、8年前の話。故・安倍元首相の第二次政権後半の話であり、その後に管首相、岸田首相と、首相二代を経ている。
 それなのに、「政府が放送に圧力をかけた」なんて事象・事例がタダの一つもあげられない上に、そんな事象・事例の有無さえ論じられない、と言う事実の意味する所は、殆ど自明であろう。

 政府が放送に圧力をかけた」なんて事・事例がタダの一つも報じられて居らず、恐らくは、発見もされていない。他に、解釈があるだろうか?

 「政府の圧力により、未だ報じられないのである!」ってロジックが(一応)成立することは認めよう。だが、我が国ではとてもじゃないが「俄には信じ難い」どころか「想像を絶する」事である。私(ZERO)はテレビを基本的に見ないので、しかとは言いかねる部分があるモノの、「サンモニ」こと「サンデーモーニング」はじめとする各種報道番組に「政府の圧力があり」つつ、今現在の報道ぶりであり、且つ今現在も「政府の圧力故に、その”政府の圧力”を、報じることが出来ない」とは、正に、想像を絶する。

 例えば、安倍元首相国葬に対する反対騒動とも言うべき反対報道&反政府報道が、「政府の圧力受けていた」と信じられる人は、是非ともその根拠を御教示願いたいモノだ。「政府というモノは、圧力かけるモノである。」という「政府圧力原理主義」とでも言うべき精神状態以外に、私(ZERO)には想像も理解も出来そうにない。

 更に付け加えるならば、立憲民主党にせよ、小西議員にせよ、上掲社説を掲げたアカ新聞各紙にせよ、私(ZERO)が想像する通りに、「高市元総務相に対する”モリカケ桜”追及を意図していた。」とするならば・・・・其奴らは、「安倍元首相に対する(主として首相時代の)モリカケ桜追及」が、「有効であった」ないし「有益であった」と考えており、今も考えていると言うことを、かなり強烈に示唆している。

 もし左様であるならば・・・「お前ら、既に、死んでいる。」ってヤツだな。政治家としても、政党としても、報道機関としても、ジャーナリズムとしても、無論「社会の木鐸」としても、だ。 

 「お前ら、既に、死んでいる。」
 

  • 1.「教科書問題」再び。「小西文書問題」。


 「教科書問題」ってのが、一頃アカ新聞で「一世を風靡した」事がある。ナンでも、ある年の日本の教科書検定にて、世界史高日本史の教科書で、大東亜戦争だかそれに先立つ日中戦争だかの頃を指して、「日本の侵略」と表記していたのが、教科書検定によって「日本の進出」に「書き換えられた」ってんで、歴史の歪曲だぁぁぁぁぁ!!!と結構な大騒ぎとなり、中国政府や韓国政府まで騒ぎ出すって、「国際問題」にまで発展した。「侵略進出問題」なんて別称/俗称すら、出来たぐらいの、結構な大問題となった。

 所が・・・この年の教科書検定で「"日本の侵略"表記が、検定結果で"日本の進出"に書き換えられた。」って事例は、無かったのである。
 「遡れば、過去の教科書検定にはあった筈だ!」と調査したが、そん事例も無い。それどころか、この年の教科書検定に合格した教科書には、「日本の侵略」表記も、「日本の進出」表記も、どちらもあった、のである。「萬犬、虚に吠える」と言うタイトルで、渡辺昇一氏がその経緯を審らかにする本を出しているし、「"日本の侵略"表記が、検定結果で"日本の進出"に書き換えられた、事例は無かった。」事を産経が記事として掲載し、誤報/虚報を謝罪している。

 だが、大騒ぎになったモノだから、翌年ぐらいから「"日本の進出"表記の教科書」は無くなって、「"日本の侵略"表記」に「統一された」そうだから、アカ新聞としても中国&韓国としても、「騒いだ甲斐があった」ってこと、なのだろう。

 構図的には今回の「小西文書(別称 高市文書)問題」と、そっくりではなかろうか。

 兎に角騒ぐ。大騒ぎする。「放送法に解釈変更があったか否か」という事実の確認も、その結果たるべき「放送に、政府から圧力がかかったか、否か。」の「放送法解釈変更による実害」の検証も、等閑に付されてしまって、丸っきり無し。

 で、騒ぐだけ騒いで、「世間を騒がせた」罪過で高市元総務相を更迭だか辞任だかに追い込もう、って算段なんだろう。まあ、自民党や公明党やら与党の「傍観無策ぶり」が、アカ新聞とバカ野党を「つけあがらせている」側面も、ありそうだな。

 教科書問題のときもそうだったが、大いに騒いでいるのはアカ新聞ども。これに、教科書問題の際には中国&韓国政府が「日本政府批判」の乗り出した。今次「小西文書(別称 高市文書)問題」では、バカ野党が率先して「口火を切り」、そこにアカ新聞どもが乗っかった形ではあるが。

 アカ新聞どもがつるむ相手が、外国政府=中韓政府ではなく、(一応)日本国内勢力のバカ野党になったのが、「進歩」と言えば、「進歩」か・・・大差は無い、気がするが。

 ああ、捏造でも、出所が怪しくても、「公的文書」が根拠になっている分は、何ら事実が無く「イメージだけ」で騒ぎ始めた(調査ぐらい、しろよぉ・・・(*1))「教科書問題」よりは「マシ」ではあろうな。

 だぁが、大差は無いぞ。

 

  • <注記>
  • (*1) 「日本のマスコミは、報道機関ではないし、ジャーナリズムなど欠片もない」事の、一つの証左、ではあるな。