安保法執行5年の朝日&東京安保法反対社説の悲惨さ

 俗に「戦争法」とまで言われて非難された安保法が、可決成立執行されて5年が経ったのだそうな。この機会に朝日と東京新聞がそれぞれ関連社説を掲げているのだが・・・まあ、篤と御覧あれ。

①【朝日社説】安保法5年 「違憲」継承は許されぬ

【朝日社説】安保法5年 「違憲」継承は許されぬ

 

  

https://www.asahi.com/articles/DA3S14627554.html?iref=pc_rensai_long_16_article

 

2020年9月19日 5時00分

 

【1】 歴代内閣が一貫して維持してきた憲法解釈を変更し、集団的自衛権の一部行使に道を開いた安全保障関連法の成立から、きょうで5年。菅首相は安倍政権の継承を掲げるが、違憲性のある法律をそのまま引き継ぐことは許されない。

 

【2】 安保法の制定は、7年8カ月に及んだ前政権が、法の秩序を毀損(きそん)した最たる例である。

 

【3】 「法の番人」といわれる内閣法制局長官を、政権の方針に沿う人物にすげ替え、一内閣の閣議決定で憲法解釈を見直した。歴代の法制局長官ら多くの憲法専門家の反対や、国会前デモのうねりを押し切り、巨大与党の「数の力」を頼んで、わずか1国会で強行成立させた。

 

【4】 安全保障環境が厳しさを増すなか、日本の平和と安全を守る手立てを尽くすのは当然だ。しかし、安倍氏のとった手法は、統治権力は憲法に縛られるという立憲主義をないがしろにし、熟議による合意が求められる民主主義の土台を壊した。

 

【5】 安倍氏は退任間際に公表した談話の冒頭、安保法成立を「大きな進展」と位置づけ、日米同盟はより強固になったと自賛した。だが、同盟強化がすべてなのか。これもまた、長期政権の「負の遺産」のひとつであり、首相の交代を機に、欠陥を正す議論を始めるべきだ。

 

【6】 安保法によって、自衛隊の海外での活動をめぐる政府の裁量は大幅に拡大した。国会の監視機能がそれだけ重要性を増したといえる。しかし、南スーダンの国連平和維持活動(PKO)での日報隠しに表れた政府の隠蔽(いんぺい)体質が改まらねば、有効なチェックなどできまい。

 

【7】 そのうえ自公政権は今また、安保政策の大きな転換につながりかねない議論を進めようとしている。専守防衛の原則から逸脱する恐れのある敵基地攻撃能力の保有だ。

 

【8】 陸上配備型迎撃システム「イージス・アショア」の導入断念に伴い浮上したもので、自民党の提言を受けて、政府が具体的な検討を始めた。

 

【9】 安倍氏は先の談話で、「憲法の範囲内」で「国際法を遵守(じゅんしゅ)」しつつ「専守防衛」にも変わりはないと述べたが、とても額面通りには受け取れない。だいたい、安保法の審議の際、敵基地攻撃について「想定していない」と明言していたのは、安倍氏自身である。

 

【10】 辞めていく首相が「今年末までに」と切った期限にとらわれる必要は全くない。日米同盟を基軸としつつ、近隣外交の努力を深め、信頼醸成をはかることこそ、地域の安定に資する。米中の覇権争いが激しさを増すなか、日本に求められる役割を見失ってはいけない。

 

自衛隊は、発足以来70年間も「違憲」ながら継承されていますが、何か?

 その「”違憲”ながら継承され続けた自衛隊」があればこそ、我が国の安全保障も(辛うじて)成立し続けている。上掲①朝日社説がタイトルに掲げる「”違憲”継承は許されぬ」理論に従っていたら、とうの昔に自衛隊は廃され、我が国はソ連か中共に併呑されて居たろうさ。それこそ、朝日新聞の理想とする世界ではあったろうが、な。

②【東京社説】週のはじめに考える 専守防衛を穿つ安保法

週のはじめに考える 専守防衛を穿つ安保法

 

  https://www.tokyo-np.co.jp/article/56661?rct=editorial

 

2020年9月20日 07時04分

 

【1】 安全保障関連法成立から五年。この間、自衛隊は「調査・研究」名目で中東に派遣され、「憲法の趣旨でない」とされた「敵基地攻撃能力の保有」に向けた議論も進みます。安保法は「アリの一穴」をさらに穿(うが)ち、「専守防衛」の防波堤を崩壊させつつあります。

    ◇    ◇

 

【2】 アリの一穴とは、どんなに堅固に築いた堤も、アリが開けた小さな穴が原因で崩落に至ることがある、ささいなことが大事を引き起こす、という趣旨の格言です。

 

【3】 日本の政治では、自衛隊の海外派遣に危惧を示す言葉として、しばしば使われてきました。

 

◆後藤田氏「アリの一穴」

 

【4】 イラク軍がクウェートに侵攻した一九九〇年の湾岸危機。当時の海部内閣は米国から貢献策を求められ、自民党から自衛隊の中東派遣を求める意見が出ていました。

 

【5】 これに慎重意見を唱えたのが、中曽根内閣で官房長官を務めた後藤田正晴氏です。中日新聞の愛知県版に掲載された海部俊樹元首相の回想録から引きます。

 

【6】 <中には「日本はこれまで自衛隊の海外派遣を我慢してきたんだから、千載一遇のチャンスだ」なんていう不穏当な発言もあった。

 

【7】 タカ派は声が大きいから「派遣論者」が多く見えたが、実際には慎重派もたくさんいた。代表は、元副総理の後藤田正晴さん(二〇〇五年死去)だ。私の事務所に何度も足を運び、あのこわもてで「海部君、アリの一穴になるぞ」と言った。

 

【8】 ひとたび自衛隊を派遣すれば、歯止めがかけられなくなることを格言を使って戒めた。

 

【9】 私自身、そのときは自衛隊を派遣するつもりはなかった。というのは、国民のアレルギーが根強かったからだ。自衛隊は戦力の不保持を定めた憲法九条に違反している、と主張する野党もあったほど。世論は成熟していなかった>

 

◆海外派遣の法律次々と

 

【10】 後藤田氏は中曽根内閣当時も海上自衛隊の掃海艇派遣に反対しました。ひとたび自衛隊を海外に派遣すれば歯止めがかけられなくなる、というのは軍隊の暴走と国家の崩壊を目の当たりにした戦争体験者の信念だったのでしょう。

 

【11】 海部内閣は停戦発効後ですが、機雷除去のために掃海艇を派遣します。振り返ればこれが「アリの一穴」だったのかもしれません。

 

【12】 その後、自衛隊の海外活動のための法律が次々と成立します。

 

【13】 次の宮沢喜一内閣当時の一九九二年には国連平和維持活動(PKO)協力法、二〇〇三年に起きたイラク戦争ではイラクで人道支援や多国籍軍支援を行うイラク復興支援特別措置法、「テロとの戦い」ではインド洋で米軍などへの給油活動をするテロ対策特措法です。

 

【14】 そして安倍前政権は五年前の一五年九月十九日、安保法の成立を強行しました。歴代内閣が憲法違反との見解を堅持してきた「集団的自衛権の行使」を、一内閣の判断で容認に転じ、他国同士の戦争への参加を可能にする内容です。

 

【15】 すでに開いていた小さな穴は相次ぐ自衛隊の海外派遣で大きく広がり、戦後日本が貫いてきた「専守防衛」という防波堤は、決壊するか否かの岐路に立っています。

 

【16】 振り返れば、安保法以前の安保論議は、歴代内閣が継承した憲法解釈の下で、自衛隊の活動をどう拡大するかが主眼でした。

 

【17】 しかし、安保法を巡る論議は、憲法解釈そのものを政権の意のままに変える点で、日本の従来の安全保障論議とは全く異なります。安保法の成立強行は、安保論議を根本から変えてしまったのです。

 

【18】 その影響はすでに出ています。「敵基地攻撃能力の保有」を巡る議論です。きっかけは地上配備型迎撃システム「イージス・アショア」(地上イージス)配備の撤回です。生じるミサイル防衛の「空白」を敵の発射基地を直接攻撃する能力を持つことで埋めようというもので、安倍前首相は引き際の談話で「ミサイル阻止に関する安保政策の新たな方針」を年内に出すよう求めました。

 

【19】 敵基地への攻撃について、歴代内閣は「座して自滅を待つべしというのが憲法の趣旨とは考えられない」と憲法が認める自衛の範囲内とする一方、実際に攻撃できる装備を持つことは「憲法の趣旨ではない」としてきました。

 

◆敵基地攻撃力の違憲性

 

【20】 国際情勢の変化に応じた安保政策の見直しは当然ですが、憲法の範囲内というのが大前提です。 

 

【21】 安保法と同様、憲法解釈変更で敵基地攻撃能力の保有に転じれば戦後日本の専守防衛政策から大きく外れます。憲法解釈を政府が自在に変えて、自衛隊の活動範囲を広げることなど許されません。

 

【23】 専守防衛は戦争への反省と同時に、国際社会に対して私たち日本国民の誇り高き生き方を示すものです。菅義偉内閣は安倍政治の継承を掲げるとはいえ、悪(あ)しき部分は引き継いではなりません。

 

 

お前ら、5年前の安保法審議に際して、何と言って騒いだか、覚えてないのかよ。

遠吠え。-安保法案の参院・特別委員会「強行採決」を受けての各紙社説 https://ameblo.jp/zero21tiger/entry-12472588113.html

 「徴兵制になる」は未だ良い方で、「軍歌の足音が聞こえる」などの抽象的表現ですら無く、「戦争の脅威を感じる」「戦争になる」と断定断言する輩が、掃いて捨てる程あった/居たろうが。

 で、その「戦争法」が国会で可決成立して5年経った訳だが、上掲朝日&東京新聞が「安保法による害」としてあげているのは・・・(例によって、丸数字は各紙社説を、【】はそのパラグラフ番号を示す。)

(1) 「違憲」だ。①【1】【4】


(2) 法秩序を毀損した。①【2】【3】


(3) 合意に至らずに法律を成立させたのは民主主義の土台の破壊だ。①【4】


(4) 日米同盟強化が全てでは無い。①【5】


(5) 国会の監視機能の重要性が増したが、南スーダン日報問題のような隠蔽体質が改まらない。①【6】


(6) 敵基地攻撃能力の議論が始まった。①【7】②【1】【18】


(7) 自衛隊が「調査・研究」名目で中東に派遣された。②【1】


(8) 「アリの一穴」で専守防衛を崩しつつある。②【1】【15】


(9) 歴代内閣の解釈を、一内閣が覆した。②【14】


(10) 安保法議論を通じて、憲法解釈が変更可能になった。②【17】

 これら「安保法による害」は、大凡3つのグループに分類できそうだ。即ち、

Ⅰ 安保法立法手続きの問題 (2)(3)(9)


Ⅱ 憲法問題 (1)(10)


Ⅲ 安保法執行5年間で明らかになった/顕著になった問題 (5)(6)(7)(8)(4)

 上記三つの分類のうち、「安保法執行5年」を契機に問題化/問題視すべきなのは分類Ⅲだけ、だと思うのだが・・・まあ、見ていこうか。
 

分類Ⅰ 安保法立法手続きの問題 (2)(3)(9)


 端的に言おう。この分類Ⅰ「立法手続きの問題」と言うのは、イチャモンである。特に上記(9)「歴代内閣の解釈を、一内閣が覆した。と言うのは、一見/一読尤もらしいが、トンデモナイイチャモンである。
 「歴代内閣の解釈を覆せる」のは、現内閣しかあるまい。現内閣というのは、当たり前だが「一内閣」だ。

 一内閣では、歴代内閣の解釈は覆せない。」のならば、それは「歴代内閣院政」とも言うべき、恐るべき(且つ、日本国憲法にも記載されていない)「歴代内閣支配」であり、憲法違反の疑いさえあろう。憲法上現内閣に帰属すべき権限が、「歴代内閣」に委譲委任されているのだから、な。

 「歴代内閣の解釈を覆すには、数代の内閣をかけて行うべきだ。」って「ロジック」は一応成立し得ようが、それとて相当な「歴代内閣院政」である。大体、「そんな悠長な事やっていられる歴代内閣解釈」ばかりではあるまい。
 
 殊に、安保法は我が国の安全保障に関わること。「慎重な議論」ばかりでは無く、「果断な決断」が必要となることもあるのが、安全保障であろうが。

 上記(3)「(与野党)合意に至らない議決だから、民主主義の土台の破壊ってのも凄まじいイチャモンだな。衆参両院の国会で議決したから、法律として成立している。民主主義が求めているのは「国会の議決による法制定」であって、「与野党合意」ではない。

 大体、改憲審議にも出席拒否して、モリカケ桜追求しか能が無く、安全保障議論なんて望むべくもないバカ野党との「合意」がそんなに大事かよ。そんなバカ野党との合意が無かった事を、「民主主義の土台を崩した」と非難するならば、その「民主主義の土台を崩した」責任の一半は、真面に法案審議も出来ない無能な野党にあろうが。

 上記(2)「法秩序を毀損したに至っては、「一体何を言っているのか不明」なレベルだ。上掲①朝日社説に従うならば、内閣法制局長官を政府方針に反する者のままとし、歴代法制長官ら多くの憲法学者の意見に従い、国会前デモに屈する」事が「法秩序を遵守した」事になるらしいが、左様な「法秩序を遵守」したならば、1960年に日米安保は延長されること無く破棄された、筈だな。あの時の「60年安保反対デモ」は、昨今の国会前デモの比ではなかったのだから、な。正にその「1960年に日米安保破棄」こそ「朝日新聞の希望願望」ではありそうだが、日本国民としては溜まったモノでは無いな。

 更に言えば、所詮「立法手続きの問題」は「手続きの問題」であって、「立法して成立した法律の問題では無い」。分類Ⅱに当たる「憲法違反になるような手続きないし法律」で無い限り、如何に法秩序を毀損し与野党合意に至らず歴代内閣解釈に反しようが、憲法に則って可決成立した以上、「手続き上の問題」は「負け犬の遠吠え」以上のモノでは無い。

 安保法が法律として問題だというならば、法律として論じるべきであって、法律成立執行以来5年になっているのに「立法手続き上の問題」を繰り返して、何になろうか?

 左様な「繰り言」「イチャモン」を繰り返していること自体が、「安保法反対論」の敗北であり、堕落であろうが。
 

分類Ⅱ 憲法問題 (1)(10)


 上記(1)は「安保法そのものが違憲だ。」とする主張。上記(10)はその変形とも言うべき安保法議論を通じて、憲法解釈が変更可能になった。」と言う・・・非難なんだな、コレが。恐るべき事に。

 「恐るべき事」と言うのは、私(ZERO)の様な日本国憲法改憲賛同者故の「感想」かも知れないが、隠れも無い「日本国憲法擁護論者」たる東京新聞にかかると、憲法は勿論、憲法解釈も、変更してはならない。」らしい。となると、一体どの時点の何時のどの「憲法解釈」で固定するのだろうねぇ。自衛隊発足時、かな?

 なんにせよ、日本国憲法改憲賛同者たる私(ZERO)としては、「安保法議論を通じて、憲法解釈が変更可能になった。」と言うのは朗報であり、歓迎する。イヤそれどころか、憲法解釈も、変更してはならない。」って東京新聞の主張・発想・思想に、「吃驚仰天」なのである。

 「憲法解釈変更すら、不可能であるべきだ。」と考えるならば、「改憲は不可能」となるのは論理的帰結ではあろう。イヤそれどころか、そもそも「改憲を議論する、思考する」事自体が「思考犯罪」になるだろう。げに恐るべき事ではあるが、だとすると、「日本国憲法自体に明記されている改憲手続きの否定」って事になりそうなんだが、この辺りの「憲法解釈」は、憲法擁護論者(その多くは、憲法学者が占める)はどうなっているのか、是非とも伺いたいモノだな。

 上記(10)という東京新聞の捻くり曲がった「憲法問題」批判に比べれば、朝日の上記(1)「安保法そのものが違憲だ。」は遙かに直接的で明快である。しかしながら、

朝1> 違憲性のある法律をそのまま引き継ぐことは許されない。

と、断定断言出来てしまうのだから、凄まじい。当たり前だが安保法は、単なる閣議決定では無い。発議は内閣であろうとも、審議は国会が行って、可決成立して執行している法律だ。仮に朝日の主張通りに「違憲性がある」としても、最高裁の違憲判決なり国会の安保法破棄決議なりが無ければ、安保法は破棄できない。安倍首相から管(すが)新首相への交替如きで、「引き継がない」なんてことが、出来る訳が無い。喩え政権与党交替に伴う首相交代でも、法律は基本「引き継がれる」のである。

 韓国とは違うのだよ。か・ん・こ・く・と・は。
 尤も、韓国が「大統領交代によって、"引き継がない"」ってのが、そもそも異常なんだからな。

 

分類Ⅲ 安保法執行5年間で明らかになった/顕著になった問題 (5)(6)(7)(8)(4)

 さて、先述の通り「安保法執行5年を契機とした安保法批判の本丸」とも言えるのが、この分類Ⅲなのであるが・・・総じて言えることが、一つあるな。
 
 「これが、安保法審議の頃のアカ新聞と野党が大騒ぎした、”戦争”かよ?」

 辛うじて「戦争に繋がりそう」と言えそうなのが、上記(6)「敵基地攻撃能力議論開始」と上記(8)「専守防衛へのアリの一穴」だけ。安保法執行5年で、「議論開始」と「アリの一穴」である。5年前の法案審議の際の「安保法反対」大騒動は、一体何だったのだ?是非ともアカ新聞諸紙並びに野党共に、伺いたいモノだ。

 ああ、「国会前デモ」ってやつも、その「安保法反対」大騒動の一環だぞ。

  • (5) 国会の監視機能の重要性が増したが、南スーダン日報問題のような隠蔽体質が改まらない。①【6】



 南スーダン日報問題の本質は、「自衛隊及び日本政府の隠蔽体質」ではない。

 南スーダン日報問題の本質は、突き詰めれば日本国憲法9条だ。

 日本国憲法9条のせいで、「自衛隊はPKO活動でも、戦闘地域には派遣しない」などと言う実に馬鹿げたルールがあり(*1)、その為に「戦闘地域になってしまったが、戦闘地域では無いような表現の日報とした」のが南スーダン日報だ。因みに表現は改竄されたが、事実関係は正しく報告されているから、「隠蔽体質」という非難は不当であろう。

 南スーダン日報のような表現変更如きで「国会の監視機能が働かない」ならば、それは国会の監視機能の問題であろう。

  • <注記>
  •  
  • (*1) PKO(平和維持)活動に自衛隊が派遣される地域は、平和を維持するのに他国の軍隊を借りねばならない地域だ。それ即ち、「何時平和が破れ、戦闘が始まっても、不思議では無い」地域に他ならない。
  •  「自衛隊はPKO活動でも、戦闘地域には派遣しない」と言うルールは、言語矛盾とは言わぬまでも、限りなく「矛盾をはらんだ」ルールであり、その矛盾が露見したのが南スーダンである。 


 

(6) 敵基地攻撃能力の議論が始まった。①【7】②【1】【18】

 敵基地攻撃能力が憲法にも専守防衛にも抵触しないことは既に国会答弁で決着済みであり、それは上掲②パラグラフ【19】前半でも触れられている。尤も上掲②東京新聞社説は、

東1> 敵基地への攻撃について、歴代内閣は「座して死を待つべしというのが憲法の趣旨とは考えられない」と憲法が認める自衛の範囲内とする一方、
東2> 実際に攻撃できる装備を持つことは「憲法の趣旨ではない」としてきました。

 
と明記/記載している。敵基地を攻撃することは、憲法も認めるが、攻撃のための装備を保有することは、憲法の趣旨では無い。という、安保法以前の「日本の集団的自衛権」と酷似した「矛盾をはらんだ解釈」を抱えて、よくもまあ、平気で居るもんだ。東京新聞も、「歴代内閣」とやらも、な。

 なれば、尚のこと、「日本は集団的自衛権を保有するが、その行使を日本国憲法が禁じている。」という、矢張り矛盾を含んだ「日本の集団的自衛権」に対する「歴代内閣の方針」の矛盾を些かなり共解消した安保法執行5年という今日は、「敵基地を攻撃することは、憲法も認めるが、攻撃のための装備を保有することは、憲法の趣旨では無い。」と言う歴代内閣解釈を議論する機会として、何が悪いというのだ?

 大体、敵基地攻撃することは認めるが、攻撃する装備の保有は認めない。」などと言う、矛盾した日本国憲法自身が、そもそもの諸悪の根源であるが、所詮「攻撃のための装備を保有することは、憲法の趣旨では無い。」と言うのは、法律ですら無い歴代内閣の解釈でしか無い。現内閣が議論し、覆せるのは、理の当然であろうが。分類Ⅰの上記(9)と、同じ話だ。

 

(7) 自衛隊が「調査・研究」名目で中東に派遣された。②【1】



 で、自衛隊が中東に派遣されましたが、何か?
 

(8) 「アリの一穴」で専守防衛を崩しつつある。②【1】【15】


 専守防衛は、我が国の防衛方針の一方策でしか無い。それを「議論の対象から外し、神聖不可侵とする」事の方が、どうかしている。

 専守防衛の、我が国防衛方針としての妥当性は、大いに議論されて然るべきであり、その議論は安保法が在ろうが無かろうが為すべき事である。「安保法が専守防衛を崩しつつある。」などと言うのは、良く言って被害妄想でしか無い。

 仮に将来安保法が廃案になったとしても、専守防衛の我が国防衛方針としての妥当性議論は議論で、為すべき事の筈だ。

 多分、東京新聞としては、「安保法執行以来のこの5年間で、専守防衛が崩されつつある。皆安保法が悪いんだ!」と言いたいのだろうが、「この5年間で、専守防衛が崩されつつある。」のは、我が国の周辺状況がそれだけ緊迫している、って事では無いのかね?安保法の性にばかり、しているんじゃぁないよ。何が、「アリの一穴」だよ。

 

(4) 日米同盟強化が全てでは無い。①【5】

 斯様に表記すると言うことは、上掲①朝日社説も「安保法には、日米同盟強化の効果があった」と認めた、と言うことで宜しいかな。そうで無ければ、上記(4)「日米同盟強化が全てでは無い。」って非難は、成立しない、よ、な。

 「日米同盟強化の効果は無かった」でも無ければ、「日米同盟強化の効果は小さい/限定的だ」ですらなく、「日米同盟強化が全てでは無い。」と非難しているって事は、「安保法には、日米同盟強化の効果が、予想通りに/予想以上に/絶大な程に、あった」と言うこと、だ・よ・な。

 「公論は、敵より出るに如かず。」と言う、安保法に反対で非難している朝日が「安保法には、日米同盟強化の効果があった」と認めているって事は、安倍前首相としては首相冥利に、安保法としては法律冥利(*1)に、尽きるモノがあろう。

 さて、その上で、日米同盟強化が全てでは無い。」と、安保法を非難してどうしようと言うんだ、朝日は。一体朝日は安保法に何を期待しているんだ?安保法が出来るのは、同盟外交関係で言えば「日米同盟強化」ぐらいだろう。

 ああ、糞の役にも立たない「安保法」であるが故に、日米同盟強化に全く資さず、ために中国との関係を改善する、って「可能性」はあったかも知れない。それこそ正に「朝日が欲する安保法の効果」ではありそうだが、それは「安保法が糞の役にも立たない結果」であり、安保法としても、安倍前首相としても、更に言えば日本国としても、かなり不本意であろう

 日米同盟強化が全てでは無い。」と、安保法を非難するというのは、八つ当たり、以外の何であろうか。

 「日本政府は、日米同盟強化以外の外交施策をしろ。」というのは、非難の一つのロジックとして成立する。だが、それで非難されるのは、真っ先に日本政府であり、日本政府の外交方針であって、日米同盟でも安保法でも無い、筈だ。
 
 「日米同盟強化以外の外交施策に、日米同盟強化や安保法は邪魔だ。」というロジックは成立するだろう。だが、恐るべきと言うか驚くべきと言うか、上掲朝日社説①には日米同盟強化以外の外交施策」は「日米同盟強化以外」としか、書いていない。これは、非難対象が(何故か)安保法であること以上に、不可思議不思議である。朝日新聞で言う日本の外交方針というヤツは、「日米同盟強化」と「それ以外」の二つしか無い、らしい。

 チョイと邪推を巡らすならば、朝日としては「安保法は日米同盟強化に資しているが(資しているから)日中友好に繋がらない。」と書きたかったのだろう。だが左様に書くと余りに中共の主張そのものであり、中共ベッタリであることがバレてしまう(*2)から日米同盟強化が全てでは無い」って「婉曲表現」になった、のではないかな。

<注記>
(*1) 「法律冥利」
って言葉はあるかどうか知らないが。また、法律はモノですら無いのに「擬人化」するのに疑義が無い、でも無いが・・・法律にも「魂」は、あると考えても良かろうさ。言霊思想の延長だ。「安保法の魂」ないし「安保法神」って訳だ。
 「安保法神」って、一寸強そうだぞ。 

(*2) まあ、「未だバレていない」と考えたとして、だが。 

 

「憲法9条擁護論者ってのは、ヒョッとして、全員キチガイじゃ無かろうか?」と思えてきたんだが。

 上掲社説で言うならば、上掲②東京新聞社説敵基地攻撃を、憲法は自衛の範囲として認めるが、敵基地攻撃のための装備保有は憲法の趣旨に反する。」って「歴代内閣の指針」を、容認寛容どころか推奨礼賛出来てしまうその神経は、「キチガイじゃ無かろうか」と疑うに、充分だろう。


 歴代内閣について言うならば、かかる「普通に考えれば矛盾している方針」を「踏襲」してきたことに、葛藤も煩悶もあったろうと想像し、そこに未だ「正気の光」を見出しているのだが・・・鳩山内閣とか、村山内閣とかはこの点で「完全にキチガイ」だったと、確信しては居るがな。

 何しろ、平和愛する諸国民」なんて虚構を前提とした日本国憲法と、現実世界を(ナントカして)折り合わせなければなら無いのだから、軍政を含む政治にせよ、憲法学にせよ、矛盾をはらむことは不可避であろう。その端的な例は、発足以来70年になろうとしつつ未だタダの一文字も憲法に記載が無い、而して幾つかの点で世界屈指の軍隊である、自衛隊であろう。

 だが、日本国憲法に記載があろうが無かろうが、自衛隊は必要だ。故に憲法9条は、9条破棄も含めて改憲を議論し、改める必要がある。私(ZERO) に言わせれば、殆ど自明のことだな。

 でまあ、上掲朝日新聞や東京新聞一とするアカ新聞や日本共産党や数多の憲法学者センセイ方など「憲法9条擁護論者」ってのは結構な数居るらしいのだが、我が国の安全保障、中でも現在その主柱と成っている日米安保同盟と自衛隊に対して、「憲法9条が今のままで改変の必要が無い」とする真面な理由理屈論理ロジックを、読んだことも聞いたことも見たことも無い。

 挙げ句の果てに、憲法9条擁護論者である朝日や東京の新聞の社説が、上記の体たらくである。無論、上掲社説が論じているのは直接的には安保法であり、憲法でも憲法9条でも無いのだが、それにしても、なあ。

 「憲法9条擁護論者ってのは、ヒョッとして、全員キチガイじゃ無かろうか?」と思えて来るのも、当然では無かろうか。